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インフォームド・コンセントを考える

弁護士 濱 野 泰 嘉

インフォームド・コンセント。いまや、医療機関のホームページを開けば、病院の理念としてこの言葉を並べているところも少なくない。
どの医療機関も、インフォームド・コンセントに取り組んでいることをアピールし、患者の自己決定権を重視しているとの姿勢を示す。しかし、医療過誤事件の相談では、医師の説明に対する不満は相変わらず耳にする。果たして、実態はどうなのか。

幸か不幸か、2006年春、私は、友人のがん手術前の医師の説明に立ち会う機会を得た。彼とは大学時代からの付き合いで、奥さんも同じころから知っている。 2人は学生時代、子どもの権利や国際協力に積極的に取り組むなど、私なんかより自分の考えをしっかり持ち、自らの信念に従って生きている類の人間だった。それが、私が医療過誤事件に携わる弁護士であると知って、医師の説明に立ち会って欲しいというのだ。

彼からの話はこうだった。地方在住の彼は、2週間前にお腹の調子がよくないので病院に行ったところそのまま入院となり、検査の結果、大腸がんの疑いありとのこと。そこで、地方の病院ではなく、首都圏の大病院で再検査し、必要があれば手術を受けようと、A病院に転院した。A病院では入院直後から前の病院と同じ検査をひと通り行い、その後、詳しい説明もなく手術日程だけ伝えられた。看護師に、早く医師から検査結果などの説明を受けたいと求めても、今度、医師から説明があるからと取り合ってくれず、結局、A病院が指定してきた説明日は手術の前日である日曜日だった。彼の希望は、自分の病気を知りたい、どういう治療がされるのか知りたい、それだけだった。そして、この時点ですでに、彼がA病院の対応に不安を感じていることは、はっきりしていた。

説明の当日、指定された時間より早めにA病院に行き、彼を見舞った。半年前に会ったときよりやつれ、何よりも不安げだった。私は、彼の奥さんの弟として、医師の説明に同席した。

彼の病気と手術の説明は、主治医ではなく、消化器外科部長であるB医師からなされた。彼の病名は進行性の大腸がんであること、手術は腹腔鏡下手術であること、腹腔鏡下手術は回復が早いこと、手術をやってみないと治るかわからないこと、それと手術の開始時間。B医師の説明は意外なほどあっさりとしていた。

カルテや検査記録、画像などは一切見せられることなく、小腸、大腸、直腸などの絵が描いてある絵本のようなものを示されて、大腸はここで、そこにがんがあるという説明だけだった。というより、カルテ自体、その場になかった。大腸がんのステージも質問するまで教えてくれず、他の治療法や、腹腔鏡下手術のリスクについての説明もなかった。そして、治るか治らないかはお腹を開けて見てみないとわからないという。素人に説明してもわかるわけがない、医師にまかせておけばいい、B医師の有無を言わせない口調には、そのような気持ちがにじんでいた。

友人と奥さんはいくつか質問した後に、セカンドオピニオンを口にした。B医師にこのまま手術をお願いしていいのか、その不安から出た正直な気持ちだったと思う。これを聞いて、B医師の表情は硬くなり、こう言い放った。「セカンドオピニオンやインフォームド・コンセントは、うちの病院も推奨しているが、私は懐疑的である。30分以上話していて患者にため息が出たら、私は手術をしない。医者に手術する義務はない」と。

結局、友人は手術の同意書を受け取ったままサインせず、病室に戻った後、すぐに他の病院に転院したいと胸の内を明かした。 彼の奥さんも同じ気持ちだった。幸い転院先はすぐに見つけることができたが、その日は日曜日だったため、転院先の病院も受け入れる態勢がとれず、翌日に転院することになった。日曜日は転院が難しいから患者は手術を受けざるを得ない、だからあえて手術前日の日曜日に手術の説明を設定したのではないか、そう勘繰ってしまうほど、友人はA病院やB医師の対応に強い不信感を抱いていた。

おそらく、通常は、B医師の説明くらいで同意書のサインはなされるのだろう。だから、B医師もあの程度の説明しかしなかったのかもしれない。しかし、それは、患者が医師の説明に納得したことを必ずしも意味しない。むしろ、患者が納得していないにもかかわらず、医師は患者が納得したものと勘違いすることとなり、医師と患者の意識のギャップを大きくし、手術が失敗したときにクレームとして露呈する。

当たり前のことであるが、医療は患者のためにある。人はみな、簡単な病気や怪我であれば、自分でどんな病気や怪我か判断して、どういう治療をするか決めているはずである。専門的な知識・技術が必要な場合も、異なる理由はない。ただ、専門的な知識や技術を有する医師の手助けが必要なだけである。医師は、専門家として、患者に病気を伝え、どのような治療法があり、その選択を手助けする役割が期待されており、また、患者の選択した治療法を行うことが期待されている。患者の「病気を治したい」との要求に応えるべく、専門的な知識・技術を提供する、専門家とはそんなものである。

当然、医療には不確定な部分もあり、治るかどうかわからない場合や、治療法に複数の選択肢がある場合もあるだろう。また、患者はあくまでも病気を治すために医師に治療を依頼しているのであり、例えば手術するなら治るだろう、治らないのならなぜ手術した、と考えてしまうことも多い。患者の考えと専門家である医師の考えとの間にギャップがあるのは当然のことである。 しかし、そうであるからこそ、専門家である医師には、患者が自分の病気を知り、自分で治療法を判断し、その治療による結果も受け入れられるための丁寧な説明が求められるのである。

なお、友人は、その後、転院先で大腸がんの腹腔鏡下手術を受けた。手術前の説明は、B医師とは異なりじっくりと時間をかけた丁寧なもので、この医師なら手術がどういう結果になろうとも悔いはないと思ったそうである。同じ手術についての説明でも、医師への気持ちはこれほどまでに違うものかと、改めて知らされた次第である。

以上

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