危うい自由診療

弁護士 服 部 功 志

まだ小学生ぐらいのころだろうか。遊んでばかりしていてろくに勉強などしていなかった私は、クラスの頭の良い友達のかけているメガネになぜか憧れ、自分もメガネかけたらなんか頭良くなるかも知れないし、かっこいいって思われるかも・・・。
なんてバカなことを考えたものである。 高校3年生の夏にはじめて勉強というものに真剣に取り組んだ私は、慣れない勉強に体が悲鳴を挙げ、それまで両方1.5あった視力が、一気に0.5くらいに下がり、その後もドンドン低下した。
憧れのメガネを初めて買って「おっ!ちょっと似合うかも・・・。」なんて思ったのはほんのつかの間。たちまち目が悪いことがいかに不便かを思い知り、同時に「視力が良かったらなんて幸せなのだろうか」「なんとかして視力が戻らないだろうか」と裸眼で生きているひとのことを心からうらやましく思うことになる。

そんな視力の悪い人間が誰もが思う願望につけ込み、医療を道具にした商売。
レーシック事件はまさにそんな事件であろう。 私をはじめ、医療問題弁護団の多くの弁護士が、レーザー光線を使って視力矯正をするレーシック手術により角膜炎や角膜潰瘍に集団感染させた未曾有の眼科被害事件の解決に取り組んでいる。

70人以上にも及ぶ患者の受けた被害は、眼に走る激痛と、眼が見えなくなるかも知れないという恐怖で、まさに地獄のような日々を過ごすことになった。
眼が思うように見えないことにより、また、急に入院を余儀なくされたことにより、被害者は、日常生活を送ることもままならず、中には、デスク仕事の継続が困難となり失業した方、卒論が書けずに留年したりする方、進学や就職の時期と重なり思い描いていた進路を断念せざるを得なくなった方もいた。
被害者へ聴き取り調査の結果、われわれ弁護団は、報道された「角膜炎などへの集団感染」という短い言葉だけでは到底伺い知ることができなかった、生々しくそして壮絶な被害を目の当たりにし、この事件の被害の大きさを痛感することになった。

その眼科は、芸能人の名前をつかった広告、当時の相場に比べて安い値段、お友達紹介割引、3年間再手術無料といったキャンペーンと言ったさまざまな手段を使って、お客を集めていた。
被害者の方々は、その裏側に、手洗い場がない手術室、薄めて使われていた消毒液、使用済みと未使用が別けられていない医療器具といった衛生管理の実態が潜んでいたとは到底想像できなかっただろう。

専門性に対する社会の信頼に応えてこそ本当の専門家であるにもかかわらず、その社会の信頼を利用した金儲けのために、多くの犠牲者を出した責任はあまりにも大きい。

私は、当初、こうした素朴な怒りから弁護団活動に参加したが、徐々にこの事件の背景に横たわる自由診療そのものの危うさに対しても注目していかなければならないのではないかと思いはじめた。
自由診療行為の中には、治療の必要性も緊急性もないために保険適用が外されている性質のものが多くある。美容整形、インプラント治療、ダイエット外来など。これらは、美しさ、若さなど、多くの人の願望を叶えてくれるいわば魔法のような医療行為であろう。
もちろんこれらの全てが、レーシック事件のように安全性を無視したものでないことは言うまでもない。

しかし、自由診療は、料金を自由に決定できるものである以上、市場が大きくなればなるほど価格競争に陥りがちである。料金を安く設定すれば当然その分どこかで経費を抑える必要が出てくるし、ひょっとしたら安全対策、感染対策にかける労力と費用をおろそかにしていく医療機関が現れるかも知れないし、もう既に存在しているかも知れない。

被害回復を実現はもちろん、そんな危うい自由診療に対して警鐘を鳴らすためにも、今後もレーシック事件訴訟に尽力していきたい。

福島県立大野病院事件検討報告書 -刑事記録等から見えてきたもの-

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序文

2008年8月20日、福島地裁は、福島県立大野病院の母体死亡事例について業務上過失致死罪等に問われた産科担当医に対し、無罪の判決を言い渡した。

大野病院事件は、現職の産科医の逮捕という特異な経過を辿ったことから全国の注目を浴び、医療に対する刑事司法の介入の是非について大きな議論を巻き起こした。

また、折から進行中だった「医療版事故調」の導入論議にも大きな影響を及ぼし、さらには、近年巷間喧しい「医療崩壊」のひとつの象徴的事件とも擬せられてきた。

このような複雑な文脈の中で、本件の無罪判決は、多くの医療関係者の「歓迎」を受けた。

それから1年余が経過し、大野病院事件は、あたかも、無罪判決によって全ての問題点が解消されたかの如く受け止められている。

しかし、刑事無罪判決は、本当に全ての問題点に応えるものだったのだろうか?

私ども医療問題弁護団の検討班は、ご遺族の協力を得て、刑事事件の訴訟記録を精査し、併せて医学文献の検討と専門医からの参考意見の聴取を行った。

その結果、大野病院事件には、少なくとも、刑事事件の無罪判決で解消されているとは思われない多くの疑問点ないし問題点が、再発防止には必ずしも活かされないまま、なお未解明のままに残されていることを知った。

判決当時、社団法人日本産婦人科医会は、寺尾俊彦会長名で、「このように診療行為に伴って患者さんが死亡されたことを深く受け止め、再発防止に努めなければなりません。そのためには、専門家集団による透明性のある事故調査が必要です。」とのコメントを発表した(日本産婦人科医会HP)。
また、当時、昭和大学産婦人科の岡井崇教授も、「非常に悲しい事件で、遺族の思いは察するに余りある。 しかし、実地の医療の難しさを理解できない警察、検察がこの問題を調べたことは問題だった。亡くならずに済む方法はなかったのかという遺族の疑問は、専門家中心の第三者機関でなければ晴らすことはできない。」とのコメントを発表している(2008年8月21日毎日新聞)。

しかし、大野病院事件について、その後、「専門家集団による透明性のある事故調査」が遂げられ、あるいは「専門家中心の第三者機関」が設置されて、その成果が広く国民に対して開示されるということは、今日に至るまでなかったように思われる。

私どもは、本報告書において、主として刑事事件記録の検討を通じて私どもが抱いた未解決の疑問点ないし問題点を、「調査・検討すべき論点」として敢えて提示し(本報告書119頁「総括」において掲載する)、広く議論に供したいと考える。

願わくば、本報告書を契機に、我が国の医学界、とりわけ産科医療の「専門家集団」が、自律的かつ自発的に改めてこの事件を検討し、「透明性のある事故調査」を遂げられんことを、そして、その結果得られるであろう再発防止のための貴重な教訓が広く国民に開示されんことを、強く望みたい。