お知らせ(事件報告・提言)

「権利侵害申立てに関する委員会決定 『大学病院教授からの訴え』」に対する申入書

1.平成22年2月28日放送のテレビ朝日・朝日放送共同制作の報道番組「サンデープロジェクト」中、「密着5年 隠蔽体質を変える~大学病院医師の孤独な闘い~」と題する特集コーナーにおいて、金沢大学附属病院で起きた「患者の同意なき臨床試験」をめぐる裁判と大学病院側の対応等が取り上げられました。

本件放送に対して、金沢大学附属病院産婦人科学講座の教授より、放送倫理・番組向上機構(BPO)の「放送と人権等権利に関する委員会」(委員会)に対し、人格権侵害等の違法と放送倫理違反の申立てがなされ、委員会は、平成23年2月8日の「権利侵害申立てに関する委員会決定『大学病院教授からの訴え』」(http://www.bpo.gr.jp/?p=2611&meta_key=2010#b_01)において、本件放送に放送倫理上の問題および表現上の問題がある等と判断しました。

しかし、本決定には、重大な事実誤認及び判断の誤りがあります。誤りのある決定を訂正することがないまま放置し続けることは、BPOのあり様として由々しき事態であり、今後の医療過誤・医療事故に関する適切な報道を萎縮させるものです。

そこで、当弁護団は、BPOに対し、本決定の誤りを詳細に説明して、誤りの訂正などを求める申入書を提出しました。

2.これに対し、BPOからは、「本件申入書に対して具体的な回答や見解を示すことは差し控えさせていただきます。」との回答がありました。
何の説明もないまま、当弁護団が提示・説明した誤りを正さないという態度は、「正確な放送と放送倫理の効用に寄与すること」を目的としているBPOの今後の有り様に禍根を残すのではないかと危惧します。


「権利侵害申立てに関する委員会決定
『大学病院教授からの訴え』」に対する申入書

放送倫理・番組向上機構
理事長 飽戸 弘 殿平成24年6月5日医療問題弁護団
代表 弁護士 鈴 木 利 廣
(事務局)東京都葛飾区西新小岩1-7-9
西新小岩ハイツ506 福地・野田法律事務所内
電話 03(5698)8544 FAX 03(5698)7512
HP http://www.iryo-bengo.com/

当弁護団は、東京を中心とする250名余の弁護士を団員に擁し、医療事故被害者の救済、医療事故の再発防止のための諸活動を行うことを通じて、患者の権利を確立し、かつ安全で良質な医療を実現することを目的とする団体です。

平成22年2月28日放送の報道番組「サンデープロジェクト」中、「密着5年 隠蔽体質を変える~大学病院医師の孤独な闘い~」と題する特集コーナー(以下、「本件放送」といいます。)において、金沢大学附属病院で起きた「患者の同意なき臨床試験」をめぐる裁判と大学病院側の対応等が取り上げられました。同裁判では、同大学病院入院中の患者(以下、「本件患者」といいます。)が同病院で実施されたクリニカルトライアル(*1)に症例登録され、そのプロトコールに基づく化学療法を受けたか、本件患者を同クリニカルトライアルに症例登録することにつき、医師は、これを説明して同意を得る義務があったか、その義務違反があったときの慰謝料額はいくらか等が争われ、金沢地方裁判所平成15年2月17日判決及び名古屋高等裁判所金沢支部平成17年4月13日判決を経て、最高裁判所で本件患者の遺族の請求を一部認容する判決が確定しました(以下、地裁判決と高裁判決とを「両判決」といいます。)。

本件放送につき、金沢大学附属病院産婦人科学講座の教授より、貴機構の放送と人権等権利に関する委員会(以下、「委員会」といいます。)に対し、人格権侵害等の違法と放送倫理違反の申立てがなされました。委員会は、「権利侵害申立てに関する委員会決定『大学病院教授からの訴え』」(以下、「本決定」といいます。)において、本件放送に放送倫理上の問題および表現上の問題がある等と判断しました(*2)。

しかし、申入れの理由記載のとおり、本決定には、重大な事実誤認及び判断の誤りがあります。

貴機構は、「正確な放送と放送倫理の高揚に寄与することを目的」として、「言論・表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理上の問題に対し、独立した第三者の立場から対応」することとしています。そして、日本民間放送連盟と日本放送協会が1996(平成8)年9月19日に制定した放送倫理基本綱領では、「万一、誤った表現があった場合、過ちをあらためることを恐れてはならない。」「報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない。」と定めています。貴機構の委員会決定が広く公表されるとともに、決定内容が報道一般に対して1つの指標を示すことになる以上、貴機構の委員会が、誤りのある決定を下した場合において、それを訂正することがないまま放置し続けることは、貴機構のあり様として由々しき事態です。特に、本決定を誤ったまま放置すれば、今後の医療過誤・医療事故に関する適切な報道を萎縮させることとなります。

したがって、当弁護団は、患者側で医療事故問題に取り組む立場から、かような事態を改め、今後同様の過ちが発生することがないよう、貴機構に対し、以下のとおり、申し入れます。(*1) 平成7年9月、北陸GOG研究会(Hokuriku Gynecologic Oncology Group)では、卵巣癌に対する最適な治療法を確立するために、CAP療法とCP療法とを無作為で比較する試験ないし調査を始めた(以下「本件クリニカルトライアル」という。)。地裁及び高裁では、後述するとおり、本件患者が本件クリニカルトライアルに症例登録されたか否か、当事者間で「比較臨床試験」の概念につき争われ、本件クリニカルトライアルが各当事者の主張する「比較臨床試験」に該当するか否か等が争われた。
(*2) 本決定の「放送内容の概要」を、本申入書添付の【別紙】に引用する。


申入れの趣旨

  1. 委員会ないし貴機構は、本決定のうち下記(1)ないし(3)の点に関する誤りを訂正されたい。(1) 「高裁は、このクリニカルトライアルが遺族らが主張するような『比較臨床試験』とはいえないと明言したうえで、地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し」たと判断した上で、「裁判では『同意なき臨床試験』であったという遺族側の主張が一貫して認められたかのように伝えている。こうした説明は、裁判全体を通じての判決内容の要約として著しく雑であり、裁判所の判断について視聴者の認識を誤導する恐れがあった。」とし、「本件放送は内容が正確性を欠いている点において放送倫理上の問題がある」とした点
    (2) 「症例登録票についてまで『カルテの改ざん』という表現を用いて批判したことは、言葉足らずで、表現上の問題があったとの批判を免れない」とした点
    (3) 「医療過誤と説明義務違反は本来別種のことがらであり、視聴者に対してそれを混同させ、ひいては金沢大学事件も本来の意味での医療過誤事件であったと誤解させる恐れがあった点で、不適切で不正確な表現である」とした点
  2. 委員会ないし貴機構は、本決定により不利益を受けた利害関係者である打出喜義医師に対し、本決定の誤りに関する事情を説明されたい。
  3. 貴機構は、専門性の高い分野を取り上げた番組について審理するときには、その分野の専門家を委員として加える等、専門的知識・知見を獲得する仕組みを構築されたい。
  4. 貴機構は、利害関係者等から決定に誤りがあるとの申立てがあったときには、決定を出した委員会とは構成メンバーの異なる別の合議体において、同決定に対する再審理を実施する仕組みを構築されたい。

申入れの理由

第1 「同意なき臨床試験」が行われたことを認める判決が確定した等の情報が不正確である、との指摘について

  1. 本決定の要旨(1) 本決定は、本件放送内における「高裁でも遺族の主張が認められ、病院側が上告を断念。患者の同意を得ずに臨床試験を行ったうえ、改ざんまで行ったことが判決で確定したのだ。」とのナレーションが、視聴者に対し、[1]「病院が患者の同意なき臨床試験を行ったということを裁判所も認め、それが最高裁まで行って確定した」という情報(以下「[1]情報」という。)、[2]「その裁判において病院が事実を隠すために証拠を改ざんしたことも同様に認定され、確定した」という情報(以下「[2]の情報」という。) を提供しているとする(p13)。
    そして、[2]の情報については「放送倫理上の問題はないと判断する」が(p15)、[1]の情報については、「本件放送における説明は不正確であり、放送倫理上の問題がある」とした(p13)。(2) 本決定は、「治療に実験的、試験的要素があったことと、地裁判決が病院側に重い説明義務違反を指摘したことを考えれば、本件放送において、裁判所が『同意なき臨床試験を行ったことを認めた』と表現したことはあながち間違いとはいえない。」(p14)と判断する。(3) そのように判断しながら、本決定は、「高裁は、このクリニカルトライアルが遺族らが主張するような『比較臨床試験』とはいえないと明言したうえで、地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し、損害賠償の額も72万円と大幅に減額した」(p14)と指摘して、[1]の情報が不正確であるとする。(4) そして、本決定は、ナレーションが、遺族側のした上告が棄却されたという事実に触れず、「裁判では、『同意なき臨床試験』であったという遺族側の主張が一貫して認められたかのように伝えている。」ことにつき、「裁判全体を通じての判決内容の要約としては著しく雑であり、裁判所の判断について視聴者の認識を誤導する恐れがあった。」と指摘する(p14)。(5) さらに、上記[1]の情報が不正確であるとの前提に立ち、「金沢大学事件裁判の経緯についての紹介の仕方は、上訴審以降の経過を捨象し、その結果を誤り伝えたため、裁判所が、病院で行われたクリニカルトライアルがもっぱら実験目的を主とした比較臨床試験として行われたものであったと認定したかの如くに説明した点において不正確なものとなっている。」と指摘している(p17)。
  2. 本決定の問題点(1) 同意なき臨床試験であった事実は裁判で一貫して認められている
    1. ア 本決定は、上記1(4)のとおり、「裁判では、『同意なき臨床試験』であったという遺族側の主張が一貫して認められたかのように伝えている。」ことが、「裁判全体を通じての判決内容の要約としては著しく雑であり、裁判所の判断について視聴者の認識を誤導する恐れがあった。」と指摘する。しかし、以下に説明するとおり、同意なき臨床試験であった事実は裁判全体で一貫して認められており、本件放送に「著しく雑であり」「視聴者の認識を誤導する恐れがあった」と指摘される理由はない。
    2. イ 裁判では、本件患者が本件クリニカルトライアル(前掲(*1)参照)に症例登録され、そのプロトコールに基づく化学療法を受けたか否かが、争点となっていた。病院側は、本件患者が症例登録された事実はないと主張していた。この点について、地裁判決は、病院側の主張を排斥し、本件患者がクリニカルトライアルに症例登録され、そのプロトコールに基づく化学療法を受けた事実を認定した(同判決第3「当裁判所の判断」1)。高裁判決も、「当裁判所も、[本件患者]は、本件クリニカルトライアルの対象症例として登録され、本件プロトコールに従ったCP療法を受け、第1サイクル目の抗がん剤の投与を受けたと認定する」([]内は判決の文言を置き換えたもの。以下、判決文言の置き換え、ないし、判決文の注釈を挿入する場合、[]で表記する。)とし、その理由についても、一部補正したほかは、地裁判決の理由のとおりであるとして地裁判決をそのまま引用している(同判決第3「当裁判所の判断」1)。すなわち、本件患者が本件クリニカルトライアルに症例登録されていたことは、地裁・高裁ともに認めている。
    3. ウ また、本件クリニカルトライアルへの症例登録につき本件患者の同意を得なかった事実については、地裁では、「[本件患者]に対する説明と[本件患者]の同意を得ることなく、[本件患者]を本件クリニカルトライアルの対象症例として登録し、本件プロトコールにしたがった治療をした」と判示して、上記事実を認定している(同判決第3の2(5))。高裁でも、「[本件患者]に対し、本件クリニカルトライアルの目的、本件プロトコールの概要、本件クリニカルトライアルに登録されることが[本件患者]に対する治療に与える影響等について説明し、その同意を得る義務があったところ、[主治医の]医師を含む控訴人病院の医師が[本件患者]に対して同説明をせず、その同意を得なかったことは弁論の全趣旨に徴して明らかである」と判示し、やはり本件患者の同意を得なかった事実を認定している(同判決第3の4(2)キ)。すなわち、本件クリニカルトライアルの対象症例としそのプロトコールにしたがった治療を行うことにつき、本件患者の同意を得なかったことも、地裁・高裁ともに認めている。
    4. エ 以上のとおり、同意がないまま、本件患者が本件クリニカルトライアルに症例登録され、そのプロトコールに基づく化学療法を受けた事実は、地裁判決・高裁判決とも一貫して認定するところである。病院側は上告をしていないから、この事実は、地裁、高裁、最高裁と一貫して認められた事実である。
    5. オ そして、「クリニカルトライアル(clinical trial)」の和訳は、「臨床試験」であり、「臨床試験」は「予防・診断・治療のための物質や器具、方法の有効性や安全性を調べる目的で、人間を対象にして行われる試験の総称」(近藤均ら編『生命倫理事典』p638、太陽出版、2002年)である。本件放送で、「クリニカルトライアル」という言葉ではなく、「臨床試験」という言葉を用いて、裁判所が本件患者の同意を得ずに臨床試験を行ったと認定したと説明したことは、極めて正確な表現である。
    6. カ したがって、「病院が患者の同意なき臨床試験を行ったということを裁判所も認め、それが最高裁まで行って確定した」という情報は、極めて正確なものであり、本件放送の説明に「著しく雑であり」「視聴者の認識を誤導する恐れがあった。」等と指摘することは明らかな誤りである
    (2) 「もっぱら実験目的を主とした比較臨床試験が行われた」という情報は全く提供していない
    1. ア 本決定は、上記1(5)のとおり、本件放送につき、「裁判所が、病院で行われたクリニカルトライアルがもっぱら実験目的を主とした比較臨床試験として行われたものであったと認定したかの如くに説明した」と評価している。
    2. イ しかし、この評価は誤りである。
    3. ウ 本件放送は、裁判所が、病院でもっぱら実験目的を主とした比較臨床試験が行われた事実を認定した等ということはおろか、そもそも、もっぱら実験目的を主とした比較臨床試験が行われた等とも、一切説明していない。本件放送が、裁判に関して視聴者に対し提供している情報の要旨は、本決定が指摘するように、[1]の情報と[2]の情報にすぎない。また、本件放送の中で以下の2つのコメントで、「実験」という言葉が登場する。しかし、これらは、本件患者の気持ちを紹介したもの、あるいは、「大学病院医師の孤独な闘い」として本件放送で取り上げられた「大学病院医師」打出喜義医師(以下、「打出医師」という。)の見解を紹介したものに留まっている。これらをもって裁判所が上記認定をしたかの如く説明したと言えないことは言うまでもない。さらに、上記のとおり、本件放送は、もっぱら実験目的を主とした比較臨床試験が行われたこと等、一切説明していないのであるから、かかる気持ち及び見解の紹介をもって、裁判所が上記認定をしたかの如く説明したと言うこともできない。よって、本件放送から、病院がもっぱら実験目的を主とした比較臨床試験を行った、あるいは、そのような事実を裁判所が認定したとの情報をくみ取ることはできない。【「実験」という言葉が登場する場面】
      ・本件患者が弁護士に宛てた手紙の内容の紹介
      「私が是非お伝えしたいことは、治療が実験だったことです。いろんな薬を患者に何の説明もなしに使い分けていたのでした。」
      ・打出医師のコメント
      「患者さんに黙って、まるで、なんか、実験材料みたいに人間をしていって、そんな話、ずっと前から無い訳でして」
    4. エ したがって、「裁判所が、病院で行われたクリニカルトライアルがもっぱら実験目的を主とした比較臨床試験として行われたものであったと認定したかの如くに説明した」との本決定の評価は、誤りというほかない。※ なお、本件クリニカルトライアルに治療目的以外の実験目的が存在したか、実験目的を優先させたかについて、両判決の認定は次のとおりである。(ア) 実験目的の有無につき、地裁判決は、「患者のために最善を尽くすという本来の目的以外に、卵巣癌の治療法の確立に寄与するという他事目的が考慮されている」(同判決第3の2(3))とする。高裁判決も、「実験的ないしは試験的な側面があり、そのことが副次的な目的となっていた」(同判決第3の4(2)ア)、「高容量のCAP療法とCP療法との無作為比較試験を通じての検討という他事目的があるが故に、[本件患者]の個別具体的な症状を捨象した画一的治療が行われる危険性を内包する危険がある」(第3の4(2)ウ)、「患者のために最善を尽くすという治療目的以外に、本件クリニカルトライアルを成功させ、その目的に寄与するという他事目的が考慮されていることになる」(第3の4(2)エ(ア))としている。したがって、両判決とも、本件クリニカルトライアルに治療目的以外の実験目的が存在したことを認めている。(イ) さらに、両判決は、医師が本件患者に対する最善の治療よりも実験目的を優先させたか否かについて、次のように判断した。まず、地裁判決は、[1]本件患者に対するCP療法が無作為割付によるものと考えられることや、[2]本件プロトコールどおりにCP療法1サイクルを行っていることなどを挙げ、「本件プロトコールにこだわらず、[本件患者]にとって最善の治療方法を選択したと認められる特段の事情」を認めることはできないとした。高裁判決も、[1]本件患者に対するCP療法が無作為割付によるものと考えられることや、[2]患者の腎機能を示す値が下がっていた際、相当と考えられる慎重な措置をとることなく、本件プロトコールに従ってCP療法1サイクルを実施したことなどを挙げ、「担当医師の、本件クリニカルトライアルの本件プロトコールを[本件患者]に対する最善医療義務の履行に優先させる心理状態による影響を疑わせるものがある」と判示した。したがって、地裁判決・高裁判決は、いずれも、担当医の医療措置が、患者に対する最善の治療よりも実験目的を優先させたものであると積極的に認定するには至っていないものの、少なくともその疑いを容れている点で共通するものである。
    (3) 本決定が指摘する地裁判決と高裁判決の違いについて本決定は、[1]の情報が不正確であるとする理由につき、上記1(3)のように地裁の判断と高裁の判断の違いを挙げている。しかし、地裁判決と高裁判決は、以下に説明するとおり、争点に対する判断において本質的に異なるものではない。
    1. ア 医師の説明義務の範囲(ア) 説明義務の範囲に関する本決定の内容本決定は、両判決を以下のとおりに要約し、それを前提に、「高裁判決は、このクリニカルトライアルが遺族らが主張するような『比較臨床試験』とはいえないと明言したうえで、地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し」たと評価している(決定p13以下)。※ 「遺族らの主張するような比較臨床試験に該当するか否か」の判断と「医師の説明義務の範囲」の判断とは関連性がない(両判決共通)。この点は後述する。【地裁判決】
      「当該患者に対しては基本的な治療方法の選択(重い副作用を伴う化学療法の採用等)については説明されているものの、その具体的内容について、投薬の予後に関するデータを集積するため、使用薬剤の組成が異なる二つの療法のいずれを選択するかについて、無作為の割付によって適応患者をグループ化し、その具体的内容を当該患者に説明することなく、一方の療法を実施したことは、医師に許されている合理的裁量の範囲を超えるものであり、この実験的性格をもつ『他事目的』について担当医師は患者に説明し、その同意を得る義務があった・・・同意を得なかった担当医師の行為は、医師に許される合理的な裁量の範囲を逸脱して」いる。【高裁判決】
      「二つの療法(※CAP療法とCP療法)は、治療上の効果、副作用の出現に有意の差は認められておらず、いずれを選択するかということ自体については医師の合理的な裁量の範囲内にあるものだと認定し、この点に関する地裁の判断を否定した」
      「このような副次的目的を伴う『他事目的随伴行為』については、医師に許された合理的裁量の範囲内であって、そのことの説明がないからといって直ちに患者の自己決定権の侵害としての説明義務違反をきたすものではない」
      「ただし本件の場合においては、担当医師に対して、クリニカルトライアルの手順書に書かれている指示を患者に対する最善治療義務の履行に優先させる心理的影響を及ぼしかねず、事実そのような状況にあったと思わせることがあった等の理由から、その限りにおいて『他事目的』を説明する義務があった」(イ) 地裁判決における判断医師の説明義務違反の有無に関する地裁判決の判断は、【別表1】「地裁判決の判示」のとおりである(同判決第3「当裁判所の判断」2)。要約すれば、医師は患者に対して、治療の具体的内容として CP療法・CAP療法のどちらを選択するかについては説明する必要はないが、最善を尽くすという本来の目的以外に、本件クリニカルトライアルを成功させ卵巣癌の治療法の確立に寄与すると言う他事目的が考慮されており(他事目的が治療方法の具体的内容の決定に影響を与え得る場合であり)、最善の治療を選択したと認められる特段の事情がない限り、クリニカルトライアルの対象症例とすることにつき同意を得る義務があった、と地裁は判断している。これを整理すれば、[1] 治療方法について、患者には概要を説明すれば足りる。治療方法の具体的内容まで説明する義務はない。
      なぜならば、患者は「医師が、患者の現在の具体的症状を前提に」「許された条件下で最善と考える方法を採用する」と信頼するからである。
      つまり、治療方法の具体的内容については、個々の患者の同意までは不要であり、医師がその内容を決定できる。[2] ところで、治療行為が患者の治療目的とは別の目的を持つことがある(他事目的)。[3] この他事目的が治療方法の具体的内容の決定に影響を及ぼすことがある。[4] [3]の場合は、他事目的に関し説明する義務が生じる。
      なぜなら、具体的治療方法を決定するにあたって「患者の現在の具体的症状を前提に」した最善の医療が採用されない危険があるからである。[5] 本件は[3]の場合に該当する。
      したがって、特段の事情がない限り、他事目的に関する説明義務が生じる。
      というものである。※ 地裁判決は、抗癌剤治療としてCP療法・CAP療法のいずれを選択するのかは、上記の「具体的内容」にあたり、医師の裁量の範囲であって、患者にどちらを選択するのかを説明する必要はない、とは明示していない。しかし、一般的に二つの療法の選択についての説明義務を認めているのであれば、本件ではその説明義務違反の有無のみ判断すれば足りるはずである。しかし、地裁判決は、他事目的の有無をわざわざ判断し、その判断に基づき説明義務違反を導き出していることから見て、他事目的がなければ、二つの療法の選択については説明する義務は生じないと判断しているものと考えられる。地裁判決が、本件で説明すべき・同意を得るべき内容を、CP療法・CAP療法のどちらを実施するか、ではなく、「本件クリニカルトライアルの対象症例にすること」としていることとも符合する。(ウ) 高裁判決における判断以上の地裁判決における判断に対応する高裁判決における判断は、【別表2】「高裁判決の判示」のとおりである(同判決第3「当裁判所の判断」4)。これを地裁判決の論理の流れに沿って整理すれば、[1] 医師の説明義務一般について、地裁判決とほぼ同様の見解を示す。[2] 治療行為に他事目的が随伴することがある。[3] この他事目的が加わることによって、もともとの治療行為にはない「権利利益に対する侵害の危険性」が生じることがある。[4] [3]の場合は、他事目的に関し説明する義務が生じる。
      なぜなら、他事目的があるがゆえに、例えば、当該患者の個別具体的な症状を捨象した画一的治療が行われる等して、医師の最善医療義務の履行が阻害される危険があるからである。[5] 本件は[3]の場合に該当する。
      したがって、最善医療義務の履行が阻害されていないといえるような事情がない限り、他事目的に関する説明義務が生じる。というものである。(エ) 両判決の示す説明義務の範囲は一致している以上のとおり、地裁判決も高裁判決も[1] 医師は、治療の概要を説明すれば足り、その具体的内容を説明する必要はない。[2] 医師は、患者の症状などに応じて最善の医療を提供しなければならない。
      ※ これを地裁判決は「期待」といい、高裁判決は「医師の最善医療義務」と表現した。[3] 治療に他事目的が随伴し、その他事目的の存在ゆえに、最善の医療が提供されないおそれがあれば、医師は患者に対し、その他事目的に関して説明しなければならない。※ 説明すべきとされる場面は、地裁判決では「他事目的を有していて、この他事目的が治療方法の具体的内容の決定に影響を与え得る場合」とし、高裁判決では「他事目的が随伴することにより、他事目的が随伴しない治療行為にはない権利利益に対する侵害の危険性があるとき」としている。
      すなわち、両判決どちらも、単に他事目的があるだけで説明義務を生じさせるとはせず、前項[2]に反する事態を招く場合に説明義務が生じるとしている。[4] 本件は、前項[3]にあたり、他事目的に関して説明義務を負っており、説明義務違反があった。としており、他事目的に関する説明義務が生じる根拠も説明義務が発生する要件も同じである([3]のとおり、表現には違いがあるが、説明義務発生の根拠は同じであり、具体的あてはめにおいて違いが生じるとは考えにくい)。したがって、高裁判決が、「地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小した」と評価することは到底できない。(オ) 以上のとおり、本決定は、[1] 両判決とも、抗癌剤治療として二つの療法のどちらを選択するかにつき、医師は患者に説明する必要はない、と判断しているにもかかわらず、あたかも両判決が異なるかのように要約した。[2] 両判決とも、他事目的の存在のみで説明義務が生じるとはせず、最善の医療を受けられるであろうという患者の期待・医師の最善医療義務に反する事態を招く場合に説明義務が生じるとしたにもかかわらず、あたかも両判決が異なるかのように要約した。との2点において、両判決の読み誤りがあり、この読み誤りを前提にしたために「地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小した」との誤った判断を導いたものである。※ 両判決の評価
      研究者は、両判決を以下のとおり評価している。○ 安藤高行「近年の人権判例(1)」九州国際大学法学論集14(3), p338(1)-266(73), 2008年
      「2審判決は相当詳細であるが、それは1審判決が比較的簡潔にのべていることを敷衍したものであり・・両判決の基本的な構造はほぼ同じである。」(p279(60)-278(61))
      「両判決とも、医師は患者に対し、自らの意思で当該治療法を受けるか否かを決定することができるよう、『患者の現在の症状、治癒の概括的内容、予想される効果と副作用、他の治療方法の有無とその内容、治療をしない場合及び他の治療を選択した場合の予後の予想等』(2審判決では、『当該治療の診断(病名と症状)、実施予定の治療法の内容、その治療に伴う危険性、他に選択可能な治療法があれば、その内容と利害得失、予後など』)について説明し、同意を得る義務があるとし、さらにこうした一般的説明義務に加えて、治療行為に治療以外の他の目的が随伴し、『この他事目的が治療方法の具体的内容の決定に影響を与え得る場合』(2審判決では、『他事目的が随伴することにより、他事目的が随伴しない治療行為にはない権利利益に対する侵害の危険性があるとき』)には、そのことについても説明し、同意を得る義務があるとするのである。この一般的な説明・同意取得義務に加えて第2の説明・同意取得義務が存在することの指摘と、それが本件では履行されていないとの判断が、両判決の最も注目される点といえよう。」(p278(61))
    2. イ 「比較臨床試験」該当性囲(ア) 本決定は、上記1(3)のとおり、高裁が「クリニカルトライアルが遺族らが主張するような『比較臨床試験』とはいえない明言したうえで、地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し、損害賠償の額も72万円と大幅に減額したのである」と述べ、クリニカルトライアルが遺族らが主張するような「比較臨床試験」に該当するか否かによって、両判決における病院側の説明義務の範囲や損害賠償額の認定に差異が現れたように指摘する。しかし、このような指摘も、以下のとおり誤りである。(イ) 裁判では、本件患者遺族側と病院側とが主張する「比較臨床試験」の概念に対立が見られ、「本件クリニカルトライアル」が「比較臨床試験」に該当するかが争点とされた。すなわち、本件患者遺族側は、「『当該患者の治療を第1目的とせず、新薬や治療法の有効性や安全性の評価を第1目的として、人を用いて、意図的に開始される科学的実験であり、複数の治療方法・薬物の有効性・安全性を比較研究することを目的とするもの』を比較臨床試験と定義し、本件クリニカルトライアルは『比較臨床試験』である」と主張した。これに対し、病院側は、「『比較臨床試験』とは、(1)医薬品の製造承認を受けるための臨床試験(治験)、(2)医薬品の市販後調査のうちの市販後臨床試験、(3)病院内で、市販医薬品の保険適用外使用や院内特殊製剤の製造と使用を目的とした院内臨床試験等に限られ」、これらは「治療よりは試験または実験に重点がおかれる」が、「本件クリニカルトライアルのような医薬品の保険適用使用内での最適治療法の開発研究は、『比較臨床試験』には該当しない」と主張した(地裁判決第3の2(1)、高裁判決第3の4(1))。(ウ) この点について、地裁判決は、「医師が患者を試験ないし調査の対象症例とすることについて患者に対するインフォームドコンセントが必要か否かは、その試験ないし調査が『比較臨床試験』に該当するか否かによってアプリオリに決まるものではな[い]」と判示して、本件クリニカルトライアルが、本件患者遺族側の主張する「比較臨床試験」に該当するか否かの判断をしなかった。そのような判断を経ずに、本件クリニカルトライアルに症例登録するにあたって、本件患者に説明しその同意を得る義務があったことを認めた(同判決第3の2(1)イ以下)。(エ) これに対し、高裁判決は、「本件クリニカルトライアルは、そこに症例登録された進行期Ⅱ以上の卵巣がんの患者に対するCAP療法又はCP療法による化学療法を行うこと、すなわち、治療を主たる目的としたものであって、被控訴人[本件患者遺族側]らが主張するような・・『比較臨床試験』とはいえない」と判示した。しかし、このことから、説明義務が必要か否かをアプリオリに決めることはせず、やはり本件患者に説明しその同意を得る義務があったことを認めた(同判決第3の4(2))。(オ) 以上のとおり、両判決とも、本件クリニカルトライアルが、本件患者遺族側の主張する「比較臨床試験」に該当するか否かによって、病院側の説明義務の範囲や損害賠償額を決したわけではない。この点、本決定は「高裁は、このクリニカルトライアルが遺族らが主張するような『比較臨床試験』とはいえないと明言した(a) うえで、地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し(b)」たとするが、(a)と(b)の間には論理的な関連性がないとするのが両判決であるから、本決定の解釈は誤りである。
    3. ウ 損害賠償額を減じた理由(ア) 本決定の内容本決定は、上記1(3)のように、高裁が、地裁判決の認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小したことから、損害賠償の額を減少するに至ったものと理解していると考えられる。しかし、以下のとおり、説明義務の範囲等が損害賠償額に影響を及ぼしたものとは認められず、この点でも決定は判決を誤って理解している。(イ) 説明義務違反と損害医療の現場において、医師が説明義務を尽くさず、その結果として患者に損害が生じたのであれば、医師はその損害を賠償しなければならない。そして、仮に、説明義務が尽くされていたなら、患者の判断が異なったと認められる場合には、生命・健康被害に関する全損害を賠償しなければならない。また、患者の判断が異ならなかったと認められる場合には、自己決定権侵害に対する慰謝料を賠償しなければならない(藤山雅行編著「医師の説明義務」p13、新日本法規、2006年)。(ウ) 自己決定権侵害と慰謝料の算定両判決は、自己決定権侵害に対する慰謝料の支払いを認めた。このような自己決定権侵害に対する慰謝料額を算定するにあたっては、患者の被害状況(含、後遺症)、改善の見込み、事故の原因・態様、患者の素因・病歴、治療自体の必要性等の諸事情が考慮されてきたが、慰謝料算定の統一的基準はなく、どの事情を考慮すべきかは各裁判所の判断に任されている(手嶋豊「医療における同意の前提としての説明義務に違反したために認められた慰謝料額の算定に関する考察」ジュリスト1199号P18)。(エ) 両判決の違い地裁判決は、[1]「医師が[本件患者]のために最善の治療をしてくれていると信じて苦しい抗がん剤治療に耐えてきたのに、本件クリニカルトライアルに登録されていたことを知り、自分に対する治療が一種の実験だったと理解し、激しい憤りを感じた」こと、[2]投与されたシスプラチンは添付文書記載の範囲内ではあるものの医療慣行に基づく標準的な用量よりも高容量であったこと、[3]平成10年1月16日にはシスプラチンの投与量を25%減量するのが適当であったこと、[4]減量せずにシスプラチンの投与を続けたことが同日以降の腎機能低下の一因となったこと、[5]シスプラチンの投与量が高容量であったが故に副作用の程度が激しくなった可能性は否定できないこと、[6]ただし、その副作用の程度は[本件患者]の予想を超えるものであったとまでは言い難いこと、これらの各事情を総合勘案し、慰謝料として150万円を認めた(なお、ここで、シスプラチンを減量しなかったことは「適当」ではない、と判断されているが、減量しなかったことを「過失」「注意義務違反」と捉えているわけではなく、あくまで慰謝料算定の1つの事情として考慮するにとどまっている)。これに対し、高裁判決は、前記[1]の事情を考慮しつつ、[7]「[本件患者]に対して本件プロトコールに従ってCP療法による化学療法をしたことに関して、[本件患者]に対して不適切な医療行為がされた事実を認めることはできないこと、[8]被控訴人らが主張する他の説明義務違反もこれを認めることはできないことから、慰謝料として60万円を認めた。
      両判決の違いは、地裁判決が[2]~[5]の事情を慰謝料増額事由と捉えたのに対し、高裁判決が[7]のとおり[2]~[5]の事情は存在しないと捉えたことに起因する([8]の「他の説明義務違反」は控訴審において追加された主張であるから、地裁段階で考慮されていないのは当然のことである)。(オ) 結論このように、高裁判決で慰謝料額が減額されたのは、本件患者に対する抗がん剤治療に過失とはいえないまでも不適当な点があったかなかったかの判断が異なったからである。両判決を通じて、過失・注意義務違反の態様やその非難度が慰謝料額算定に考慮されたとは読めないし、ましてや、「説明義務の範囲」「医師の裁量の幅」が慰謝料額に影響を及ぼしたものでもない。
  3. 結論本決定は、[1]の情報が不正確であることの理由につき、地裁の判断と高裁の判断の違いを挙げているが、以上述べたとおり、いずれも失当である。確かに、地裁判決と高裁判決とでは、表現方法やシスプラチン減量の不実施の適否、慰謝料額において異なる点があり、そのような差異を本件放送が紹介していないことは事実である。しかし、両判決は、同意なき臨床試験の存在、これに関する説明義務、その違反等の認定・判断において異なるものではなく、「地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し」たとの指摘は誤りである。なお、両判決が示す説明義務の理解については、医事法学的観点からはその是非につき議論のあるところではあるが、その議論は本申入れの理由と関連がないため、ここではこれ以上論じない。また、本件放送が伝える「裁判では『同意なき臨床試験』であったという遺族側の主張が一貫して認められた」という事実も、正確なものである。 したがって、本決定の「上訴審以降の経過を捨象し、その結果を誤り伝えた」との評価は誤っており、本件放送における説明が不正確として放送倫理上の問題があるとする指摘は不当なものである。

第2 症例登録票についてまで「カルテの改ざん」という適切とはいえない表現を用いた、との指摘について

  1. 本決定の要旨(1) 本決定は本件放送について、「金沢大学事件が『カルテを改ざんした医療過誤』事件であるかのように受け止められかねない点において、適切とはいえない表現がある」と述べている(決定p12)。その根拠は本決定によれば次のとおりである。(2) 「改ざん」という表現は、本来「字句などを改めなおすこと。多く不当に改める場合に用いられる」(広辞苑第六版)という意味であり、日常的にもそのように理解されているから、同一文書に新たに書き込まれる場合にはそのような表現が適切であるが、金沢大学事件のように、本来一つであるべきものが複数存在するという場合には、必ずしも適切とはいえない(しかし、この点は不問、決定p16)(3) 金沢大学事件は、本来的には私的文書である症例登録票の真否が問題となっていたところ、番組中では、病院側が提出したこの症例登録票の問題についてまで、視聴者が「カルテ」の改ざんと混同ないしは同一視しかねない表現が用いられている。すなわち、番組最後における大谷昭宏氏による「カルテ(診療記録)の改ざん」(*3)(*4)という表現は、同事件について「改ざん」という指摘を繰り返した上でのことなので、カルテを含む診療記録と、手続上の文書と理解される症例登録票との間の質的な差異にかんがみれば、症例登録票についてまで「カルテの改ざん」という表現を用いて批判したことは、言葉足らずで、表現上の問題があったとの批判を免れない(決定p16)。(*3) 「カルテ(診療記録)の改ざん」との表現のうち、「(診療記録)」との表現は本決定において書き加えられたものであり、本件放送中、「カルテ(診療記録)の改ざん」との表現は使用されていない。以下、同じ。
    (*4) なお、本決定は、オープニングにおける大谷氏の表現にも言及している。しかし、その表現については「番組の冒頭であるため、直接には金沢大学事件を指しているのではないと解することができる」(決定p16)として、問題視していない。
  2. 本決定の問題点以上のとおり、本決定は、カルテと症例登録票との質的な差異を強調し(後者は手続上の私文書にすぎないとする)、本件放送が不真正な症例登録票の作出に対して必ずしも適切とは言えない「改ざん」という指摘を繰り返した上で、番組の最後に「カルテの改ざん」という表現を用いたものであり、結果的に金沢大学事件が「カルテを改ざんした医療過誤」事件であるかのように受け止められかねないと認定している。そこで、このようにカルテと症例登録票との質的な差異という着眼点から、番組の表現を批判することが妥当であるかどうかを検討する。かかる検討にあたっては、[1]番組の最後における「カルテの改ざん」という表現によって、金沢大学事件がカルテそのものを改ざんした事件であると受け止められる恐れがあるといえるか、[2]そもそもカルテを含む診療記録と症例登録票との間には質的な差異があるのか(不真正な症例登録票を作出することの実質的意味)、[3]症例登録票は「診療記録」という概念に含まれるのではないか、が問題となる。(1) [1]金沢大学事件がカルテそのものを改ざんした事件であると受け止められる恐れについて大谷昭宏氏は、番組のコメンテーターとして、オープニングでは、「半ば公然とカルテ改ざんを行うなど悪しき体質も残ってるんですね。」と発言し、また、番組最後では、「厚労省が医療事故調査委員会を設けてますけど、これもですね、カルテの改ざんということを止めなかったら、せっかくこの制度を作ってもですね、いくらでも隠されてしまうわけですから、まずそういうところで罰則を作って、それを止めるということが必要じゃないかと思うんですね。」と発言している(前記(*4)のとおり、このオープニングの発言には表現上の問題はないと判断されている)。これらの発言は、医療界における悪しき体質(事実を隠ぺいするためには、医療側に保管されている資料を改ざん・ねつ造することも厭わない体質)をあくまでも一般論として述べ、その代表例として「カルテ改ざん」を挙げたにとどまり、金沢大学事件において「カルテ改ざん」が行われたと指摘するものではない。本件放送の視聴者においてもそのように理解するものと考えられる。したがって、番組の最後における「カルテの改ざん」という表現によって、金沢大学事件がカルテそのものを改ざんした事件であると受け止められる恐れは、そもそも見い出し難い。(2) [2]診療記録と症例登録票との質的差異(不真正な症例登録票を作出することの実質的意味)についてア 症例登録票に関する裁判所の認定(ア) 金沢大学事件の裁判において、地裁は、本件クリニカルトライアルへの症例登録の手続について、概ね次のように述べ、高裁もこれを引用している。すなわち、「参加施設の担当医は、本件クリニカルトライアルの対象となり得ると考える症例があれば、本件プロトコールが対象症例の条件として掲げている前記各項目(診断名、臨床進行期、生年月日、年齢、パフォーマンスステイタス、骨髄機能、肝・腎機能、少なくとも2コース以上の化学療法が可能であるか否か)について、当該症例がこれらを満たしているか否かを記載した症例登録票を作成して(以下この記載部分を「条件部分」という。)、登録事務局に送付する。事務局は症例登録票の条件部分の記載をもとに、対象症例としての条件を満たしているか否かを判断し、[中略]事務局は、選択条件を満たしていると判断した症例について、CAP療法かCP療法かの割り付けを行い、担当医に通知する。」というのである(地裁判決第3「当裁判所の判断」1(1)、高裁判決第3「当裁判所の判断」1)。(イ) また、裁判に証拠として提出された症例登録票には、遺族側提出のものと病院側提出のものの2つが存在したところ、地裁は、本件患者について、「原告提出症例登録票が作成され、登録事務局によって選択条件を満たしていることが確認され、症例番号が付され、コンピュータ管理されていた登録症例の一覧表にデータ入力されたことによって、本件クリニカルトライアルの対象症例として登録され」たものと認定し(同判決第3の1(2))、高裁もこの認定を維持している(高裁判決第3の1)。すなわち、裁判所は2種類の症例登録票のうち遺族側提出のものを真正なものと認め、病院側提出のものに対してはその真正性に疑念を述べているのである。このように病院が不真正な症例登録票を作出することには、実質的にみて次のような問題点がある。イ 不真正な症例登録票が臨床研究に与える悪影響本件クリニカルトライアルは、高裁の認定によれば、「専ら患者の治療のみを目的として定められたものでないこと」が「明らか」であり、「実験的ないしは試験的な側面」のあるものであった。すなわち、本件クリニカルトライアルは、一般的な意味での臨床研究的な側面があったことを否定できない。そして、地裁の認定(高裁同旨)によれば、症例登録票は、本件クリニカルトライアルの対象症例として登録される前提として、選択条件を満たしているかどうかを確認するための文書であるから、当該患者が本件クリニカルトライアルの対象症例として登録されるか否かを左右するものであるといえる。それは、まさに本件クリニカルトライアルという臨床研究の適正性及び信頼性に対し重大な影響を与えるものである。そうだとすれば、症例登録票は、その真正性が強く要求されるべきものであり、これを恣意的に作出することは、当該患者の治療にとどまらず、本件クリニカルトライアルという臨床研究の結果をも歪めてしまうことであるといえる。したがって、不真正な症例登録票を作出することは臨床研究全体を歪めることであり、そのような事態を放置することは、適正性ないし信頼性のない臨床研究により有用性を認められた療法を受ける将来の患者(国民)の利益を損なうことになる。ひいては我が国の将来の医療にも悪影響を及ぼしかねない。ウ 「カルテ改ざん」と変わらない症例登録票の改ざん仮に症例登録票の改ざんをもって「カルテ改ざん」と称したとしても、両者の間にその重大性において差異はなく、これを誤りと指摘することは正しくない。すなわち、診療の経過において、患者は自己に対し行われた検査・診断や治療の内容・意義をすべて把握しているとはいえない。そうであるところ、医療事件では、医療側で保管されている医師カルテ、看護記録、検査所見記録などの診療の過程で医療者が作成する資料が重要な証拠なる。このような資料が医療側の手で改ざん・ねつ造され、裁判に証拠として提出されることになれば、患者側が求める真実の究明は図られず、司法の判断も歪められる。医師カルテ、看護記録、検査所見記録はもちろん、臨床研究の症例登録票であっても、これらの改ざん等は、患者を真実から遠のけ、司法の判断を歪める虚偽の証拠の作出に外ならない。よって、カルテの改ざんと症例登録票の改ざんとで、非難の程度に変わりはない。そして、「患者の同意なき臨床試験」をめぐる裁判のように、医療事件で改ざん等が立証できることは稀であり、本件放送が訴えるのは、他にもカルテ改ざんによって司法判断が歪められている例があるのではないか、そのような隠蔽体質を改めていかなければならないということである。以上のカルテ改ざんと症例登録票の改ざんとの間にその重大性において差異が認められないこと、本件放送が訴えるところに照らせば、仮に、本件の症例登録票の改ざんを「カルテ改ざん」と指摘したとしても、これが「適切とはいえない表現」であるとの評価はあたらない。エ 小括このように、不真正な症例登録票の作出には、その重大性において「カルテ(=診療録)」そのものの改ざんと変わらない、あるいは、それ以上の弊害があるのであるから、症例登録票と診療記録とを質的に区別する本決定の指摘は誤りである。(3) [3]症例登録票が「診療記録」という概念に含まれるか否かについてア 「カルテ」と「診療記録」医師が診療をしたときに診療に関する事項を記載したものを「診療録」といい、その記載事項は「[1]診療を受けた者の住所、氏名、性別及び年齢、[2]病名及び主要症状、[3]治療方法(処方及び処置)、[4]診療の年月日」とされている(医師法24条1項、同法施行規則23条)。一般に「カルテ」という用語はこの「診療録」を指している。また、法律上、病院が備えて置かなければならないものとして、「診療に関する諸記録」があり、その内容は「過去2年間の病院日誌、各科診療日誌、処方せん、手術記録、看護記録、検査所見記録、エックス線写真、入院患者及び外来患者の数を明らかにする帳簿並びに入院診療計画書」と定められている(医療法21条1項9号、同法施行規則20条10号)。これに対して、「診療記録」とは、厚生労働省による「診療情報の提供等に関する指針」によれば、「診療録、処方せん、手術記録、看護記録、検査所見記録、エックス線写真、紹介状、退院した患者に係る入院期間中の診療経過の要約その他の診療の過程で患者の身体状況、病状、治療等について作成、記録または保存された書類、画像等の記録をいう。」とされている。すなわち、「診療録」「診療に関する諸記録」以外の文書等であっても、たとえば診療情報提供書など、当該患者の診療に何らかの関連を有するものであればすべてまとめて編綴し「診療記録」として保管している病院もまれではないし、これにとどまらず、当該患者の診療に関連して担当医が作成した文書や画像等データであれば、必ずしも編綴されていないものであっても、広義の「診療記録」と呼ぶことができる。このように、「診療記録」とは、医師、看護師等の医療従事者が当該患者の診療に関連して作成した文書等の総体であり、「カルテ(=診療録)」を包摂する上位概念である。イ 本決定における「カルテ」の概念本決定16頁(3)イの項には、「カルテを含む診療記録と、手続上の文書と理解される症例登録票との間の質的な差異」という表現があり、その点から見ると、「診療記録」が「カルテ(=診療録)」を包摂する概念であることが前提とされていると思われる。しかし、他方で、同項には、見出しも含めて2度、「カルテ(診療記録)の改ざん」という表現が出てくる。本決定が「カルテ」という概念を「診療記録」と区別していないのであれば、症例登録票と「診療記録」との関係を論じる上で、看過できない概念の混乱が生じているものというべきである。ウ 症例登録票の性質高裁が引用している地裁判決の認定からすると、症例登録票は、それが本件クリニカルトライアルの対象症例となるかどうかを判断するという目的でのみ用いられるという意味で、使用目的が限定されているとはいうものの、担当医が作成した当該患者についての診療情報の記載のある文書であって、結局これをもとにして当該患者に対して加えられる治療方法が決定されるのであるから、たとえばある医療機関が他の医療機関に対して発行する診療情報提供書などと同様の性質を有するものである。したがって、症例登録票は、単なる登録事務手続上の文書ではなく、上記アで述べた「診療記録」という概念に含まれるものというべきである。
  3. 結論上記のとおり、本件放送における「カルテの改ざん」という表現によって、金沢大学事件がカルテそのものを改ざんした事件であると受け止められる恐れはない。また、仮に本件放送における「カルテ改ざん」という表現によって、視聴者が金沢大学事件を「カルテ改ざん」があった事件であると受けとめたとしても、不真正な症例登録票を作出することは、不真正な「診療記録」を作出することにほかならないし、実質的にみれば、「カルテ(=診療録)」の内容を改ざんすることとその重大性において異なることはない。更にいえば、不真正な症例登録票の作出は臨床研究というものを将来にわたって歪め続けるという弊害を有する行為であって、「カルテ改ざん」よりも悪質とすら評価しうるものである。以上より、「金沢大学事件が『カルテを改ざんした医療過誤』事件であるかのように受け止められかねない点において、適切とはいえない表現がある」としたBPOの批判は当たらない。

第3 「医療過誤との闘い」が不適切な表現である、との指摘について

  1. 本決定の要旨本決定16頁以下では、本件放送において、金沢大学事件を医療過誤であると表現することが不適切であるという趣旨の指摘がなされている。すなわち、本決定においては、「同事件は、説明義務違反の有無が争われたものであり、医療ミスを追及する医療『過誤』事件ではない。医療過誤と説明義務違反は本来別種のことがらであり、視聴者に対してそれを混同させ、ひいては金沢大学事件も本来の意味での医療過誤事件であったと誤解させる恐れがあった点で、不適切で不正確な表現である。」との記載をし、本件放送における問題点とされている。
  2. 本決定の問題点しかしながら、医療過誤は、注意義務に違反して患者の権利を侵害したものをいうから、医師及び医療機関に課された説明義務に違反して自己決定権を侵害した場合は、医療過誤と呼ぶに相応しいものである。本決定における判断の前提である「医療過誤と説明義務違反は本来別種のことがら」との指摘は、医療過誤についての誤った理解に基づくものである。以下、(1)ないし(3)において詳述する。(1) 「医療過誤」との用語が指す意味について 一般に「医療過誤」との用語については、次のような理解がされている。すなわち、「医療行為から何らかの有害な結果が生じる場合を一応「医療事故」と総称することができる・・・。・・・医療過誤とは、医療結果の発生をもたらしたり、あるいはその防止・回避のための措置を怠ったりした医師・医療行為従事者側の行為である」(莇立明・中井美雄ら編「医療過誤法」p32、青林書院、1994年)。そして、近年の裁判実務においては、「医療過誤訴訟または裁判といえば、医師の過失責任の有無が問われる民事事件を指す」ものとの一般的な認識がある(同p18)。このように、「医療事故」のうち、「過失によって惹起された悪結果」(菅野耕毅「医療過誤責任の理論」p12、信山社、2001年)が「医療過誤」に該当すると考えられている。 以上のような理解は、医療界においても一般に受け入れられている。すなわち、医療の質用語事典編集委員会「医療の質用語辞典」p244(日本規格協会、2005年)では、「医療事故」とは、医師ないし医療機関の責任の有無に関係なく「医療に関わる場所で、医療の全過程において発生する事故」と広義に捉えられている。これに対し、「医療過誤」とは、「医療事故」の中でも、「医療を提供する過程で何らかのミス(見込みのミス等注意義務の怠りからくるもの)があった場合」(同書同頁)をいうものとされる。 以上のとおり、「医療過誤」とは、「医療事故」のうち、医療機関における注意義務違反による過失が認められる場合に用いられる用語である。(2) 説明義務及び自己決定権の位置づけ 1981年世界医師会総会でのリスボン宣言において、医療従事者が是認し推進すべき患者の主要な権利として、選択の自由や自己決定等が挙げられた。このように1980年代には、医師が患者に病状などを説明すべきこと及び治療を行うにあたっては患者の承諾が必要であることが広く認識されるようになり、インフォームド・コンセントと自己決定権についての考えが医療界の中でも確立された。
    現在では、例えば、「医師が患者に対し、治療に関する情報をプラスの要因もマイナスの要因もあわせて十分に提供し、患者が自己の身体に関するコントロールを自己決定できるように説明する義務」(前田和彦「医事法講義」p225、信山社、2007年)があると説明されている。
    また、医療機関向けの書籍である、森山満「医療過誤と医療事故の予防と対策 病院・医院の法的リスクマネジメント」p20(中央経済社、2002年)では、説明義務の内容について、一般的には下記の内容を含むとしている。[1]患者の知る権利(説明を受ける権利)に対応する説明義務[2]患者の有効な同意を得るための説明義務[3]患者に選択させるための説明義務[4]「悪しき結果」を避けるための療養指導義務としての説明義務このように、医師の患者に対する説明義務は患者の自己決定権を確保することに根拠を有すると考えられており、自己決定権を保障するための説明義務の履行として、医師及び医療機関におけるインフォームド・コンセントの実践が求められているのである。 患者の自己決定権の尊重やそれを保障するためのインフォームド・コンセントの重要性が認識されるようになったことをふまえ、民事裁判実務においても、患者の自己決定権を法的保護の対象とする判例が下級審で積み重ねられ、2000年以降次のような最高裁判例が形成されるに至った。[1] 医療行為を受けるに際して意思決定する権利を人格権として捉えた判例(最判平成12年2月29日民集54-2-582)
    「患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない」[2] 乳がんの治療方針について、未確立療法を含む複数の選択肢が存在する場合において、患者に治療の選択の決定権を認めたと解される判例(最判平成13年11月27日民集55-6-1154)
    「未確立の療法(術式)ではあっても、医師が説明義務を負うと解される場合があることも否定できない。・・・(中略)・・・患者に対して、医師の知っている範囲で、当該療法(術式)の内容、適応可能性やそれを受けた場合の利害得失、当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務がある。」[3] 帝王切開を希望する患者に対して経膣分娩の危険性や帝王切開術との利害得失についての説明が十分になされなかった事案において、説明義務を認めた判例(最判平成17年9月8日最高裁判所裁判集民事217号681頁)
    「分娩誘発を開始するまでの間に、胎児のできるだけ新しい推定体重、胎位その他の骨盤位の場合における分娩方法の選択にあたっての重要な判断要素となる事項を挙げて、経膣分娩によるとの方針が相当である理由について具体的に説明するとともに、帝王切開術は移行までに一定の時間を要するから、移行することが相当でないと判断される緊急の事態も生じうることなどを告げ、その後、陣痛促進剤の点滴投与を始めるまでには、胎児が複殿位であることも告げて、Xらが胎児の最新の状態を認識し、経膣分娩の場合の危険性を具体的に理解した上で、Y1の下で経膣分娩を受け入れるか否かについて判断する機会を与えるべき義務があったというべきである。」そして、現在の裁判実務においては、「人が自己の身体について最終的な決定権を有していることを前提として、医師は、患者を治療するに際しては、患者又はその法定代理人に対して、当該疾患の病名と病状、実施予定の治療の内容、治療に付随する危険性、他の選択可能な治療方法内容と利害損失、予後等について説明し承諾を得る義務があり、患者の承諾のない医療行為は原則として違法であって損害賠償請求権の根拠となる」(光岡弘志「説明義務違反をめぐる裁判例と問題点-説明義務の成否及び内容の問題を中心として」判例タイムズ1317号p31~32、2010年)との考え方が定着しているのである。 以上のように、医療界において、医師が患者の自己決定権を尊重するために説明義務を負うとの考え方が、国際的に確立されている。これを受けて、民事裁判実務において、患者の自己決定権を法的な保護の対象とするという判例が続き、医師の患者に対する説明義務違反が人格権の侵害となると考えられるようになった。(3) 説明義務違反による自己決定権の侵害が医療過誤となること 以上からすると、説明義務は、患者の自己決定権の保障を確たるものとするために医師ないし医療機関に課された法律上の注意義務であり、かかる注意義務違反があれば人格権侵害の法的責任が認められうることとなる。医療過誤という場合、生命・健康被害には限られず、上記のような自己決定権侵害も含まれるとするのが、今日の一般的な用法である。したがって、説明義務という注意義務を負っている医師がその義務の履行を怠り、生命・健康被害をもたらした場合に限らず、患者の自己決定権を侵害したのであれば、それは正に医療過誤と呼ぶに相応しいものである。 このように、説明義務違反を医療過誤の1つと捉えるのが一般的な見解である。例えば、「医事法判例百選」(有斐閣別冊ジュリストNo.183、2006年)においても、「第9章 医療過誤」の項目において、「説明義務と同意」とのテーマで、説明義務違反の裁判例の紹介がなされており、説明義務違反を「医療過誤」として扱っている。また、森山満「医療過誤と医療事故の予防と対策 病・医院の法的リスクマネジメント」(中央経済社、2002年)は、弁護士である著者が医療関係者向けに著した書籍であるが、「§1-Ⅱ医療過誤の民事責任の根拠と類型」において、医療過誤を「単純過失型」と「患者の自己決定権侵害型」に分けて病院のリスクマネジメントを提唱しており、説明義務に違反して自己決定権を侵害することが医療過誤にあたることを前提としている。
  3. 結論以上述べたように、説明義務違反は「医療ミス(医療過誤)」の一類型であり、「医療過誤と説明義務違反は本来別種のことがら」と捉えるべきではなく、説明義務に違反して患者の自己決定権を侵害した場合は、「医療過誤」というに相応しいものである。よって、本件放送が、両判決によって説明義務違反による自己決定権侵害が認められた金沢大学事件を「医療過誤」と表現したとしても、その表現が不適切かつ不正確な表現であるとの指摘は正当な批判とはいえず、誤った理解に基づく不当な評価と言わざるを得ない。

第4 結語

  1. 判断の誤りの訂正(1) 誤りは訂正すべき貴機構のホームページの2011年5月17日第172回委員会議事録(http://www.bpo.gr.jp/brc/giji/2011/172.html#02)には、次の記載がある。「本事案の『委員会決定』に関連して、番組に登場する大学病院医師から弁護士を通じてBPO宛「通知書」が届いた。」
    「『通知書』では、『委員会決定』が、医師の勤める大学病院で起きた医療事件の民事裁判高裁判決を誤って解釈しているとして、この点についても訂正を求めているが、委員会の判断に変わりがないことを改めて確認し、その旨回答することとした。」しかし、上記第1に前述したとおり、本決定は、金沢大学事件高裁判決を誤って解釈している。加えて、上記第2および第3に前述したとおり、「症例登録票についてまで『カルテ改ざん』という表現を用いて批判したことは……表現上の問題があった」、「医療過誤と説明義務違反は本来別種のことがら」という判断も誤っている。決定内容に誤りがある以上、これを訂正すべきことは当然である。(2) 誤判断の放置による人権侵害とりわけ、本決定の誤りは、本件放送の取材対象者である打出医師の人権を侵害するものであるから、訂正の必要性は高い。すなわち、打出医師は、金沢大学において「同意なき臨床試験」「改ざん」が行われたことを憂慮し、同大学医学部・病院を良くしたいと願って「孤独な闘い」を強いられながら、被験者・患者の権利擁護のために患者遺族に協力する活動を行っていた。しかし、本決定は、金沢大学事件は「病院が患者の同意なき臨床試験を行ったということを裁判所も認め、それが最高裁まで行って確定した」事件ではない、そして「地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し」た、と誤って判断した。この誤判断は、放送で紹介された打出医師の見解や活動そのものが間違いであるとの印象を強く与えるものであり、同医師の活動の意義と成果を否定したに等しい。また、「カルテ改ざん」および「医療過誤」ではないと誤って判断したことで、金沢大学事件が「カルテ改ざん」も「医療過誤」もない事件であるとの印象をさらに助長するに至っており、その結果として、打出医師の活動に否定的評価を与えることになっている。したがって、誤った決定を訂正せずに放置し、公表し続けることは、打出医師の人権を侵害するものである。したがって、本申入れの趣旨記載のとおり、本決定は訂正されるべきである。
  2. 不利益を受けた利害関係者に対する説明誤った決定により不利益を受けた利害関係者がいるときには、その者に対して真摯に事情を説明すべきである。前記第4、1(2)に述べたとおり、打出医師は、本決定により人権侵害を受けており、不利益を受けた利害関係者である。したがって、委員会は、同医師に対し、本決定の誤りに関して真摯に事情を説明すべきである。
  3. 専門的知識・知見の獲得委員会の決定は、個別の権利侵害申立事件に対する判断ではあるが、その決定内容は、「申立人と放送局に通知するとともに公表し広く周知され」(BPOホームページ)、個別事件を越えて、放送・報道一般に広く影響を与えるものである。このような性質を持つ委員会において、誤った決定がなされれば、放送・報道一般に不当な萎縮効果をもたらすことになりかねない。したがって、委員会の審理手続においては、できる限り判断を誤らない仕組みを構築すべきである。この点、委員会は、「放送と人権」分野に関する見識はあるとはいえ、あらゆる専門分野に精通している訳ではない。したがって、専門性の高い分野を取り上げた番組について決定を下すとき、特に、決定において専門性の高い事柄について言及するときには、正確な専門的知識・知見に基づいた適切な判断を行えるように、その分野の専門家を委員に加えるか、少なくとも、専門家から意見聴取する機会を設ける方法等により、専門的知識・知見を獲得する仕組みを設ける必要がある。本決定は、臨床試験における患者の同意に関する医療事故・医療判例を取り上げた番組を対象としたものである。臨床試験における被験者の権利、医療事故および医療判例は、いずれも極めて専門性の高い分野である。この分野に精通している専門家は、医事法の専門家(医療事故のみならず、臨床試験における被験者の権利にも学識のある者が望ましい。)である。確かに、委員会の中には、医事法分野の書籍の編者になったことのある委員や、医療事件の取扱経験のある委員はいる。しかし、本決定において、医事法の専門家であれば決して犯さないであろう誤判断をしたことに鑑みると、本決定に関与した委員には、医事法の専門家はいなかったと考えざるを得ない。そうであれば、本件では、医事法の専門家を委員として加えるべきであった。少なくとも、審理過程において、医事法の専門家から正確な専門的知識・知見の教示を受けて、専門的意見を聴取する機会を設けるべきであった。特に、本決定では、臨床試験における患者の同意に関する医療判例の読み方、医療事故で使用されている用語の使い方など、極めて専門性の高い事柄について言及しているのであり、その必要性は、なおさら高かった。委員会において、専門的知識・知見を獲得する仕組みが整備されていないことが、本件において、上記第1ないし第3のような誤った判断につながったと思われる。ことに、本決定は、臨床試験における被験者の権利、医療における患者の権利(インフォームド・コンセント)を軽視する方向で判断を誤っており、人権の分野は違うとはいえ、人権救済機関という委員会の性格を考慮すると、極めて重大な判断の誤りといえる。よって、貴機構は、委員会において、専門性の高い分野を取り上げた番組について審理するとき、特に、決定で専門性の高い事柄について言及するときには、その分野の専門家を委員に加えるか、少なくとも、専門家から意見聴取する機会を設ける等の方法により、専門的知識・知見を獲得する仕組みを構築されたい。
  4. 人権を侵害されたとの利害関係者の申立による再審査制度の創設現在、貴機構では、委員会の決定に対する不服審査・再審査制度を置いていないから、委員会の決定に誤りがあった場合でも、決定を是正できる正式な手続はない。しかし、委員会といえども無謬ではない。委員会の決定は、前述のとおり、放送・報道一般に広く影響を及ぼすことに鑑みると、不服審査・再審査制度を設ける等して、決定に誤り(事実誤認や判断の誤り)があるとの申立てがあったときには、同決定を出した委員会とは構成メンバーの異なる別の合議体において、誤りの有無を審理し、誤りがある場合にはこれを正式に是正できる仕組みを構築すべきである。特に、委員会の人権救済機関という性質に鑑みると、誤った決定を訂正せずに公表し続けることで人権侵害を生じさせることは、許されず、不服審査・再審査制度等を設ける必要性は高い。そして、この不服審査・再審査制度においては、申立人と被申立人だけでなく、放送で取り上げられた取材協力者等の利害関係者(以下、「利害関係者」という。)からの不服審査・再審査申立てをも、受け付けるべきである。なぜなら、委員会決定の審理対象である放送には、申立人・被申立人以外の第三者(取材対象者など)の権利や利害が関わっている場合もあり、決定の内容如何によっては、決定そのものが利害関係者に不利益を及ぼしたり、利害関係者に対する権利侵害となることも、あり得るからである。本決定に関する打出医師の「通知書」に対する委員会の対応は、委員会決定の誤りの有無を審理して誤りを是正する正式な仕組みがないことの問題点を、以下のとおり、まさに顕在化したものである。すなわち、本決定は、第1ないし第3に前述したとおり、判断を誤っているから、打出医師の「通知書」が指摘する「『委員会決定』が、医師の勤める大学病院で起きた医療事件の民事裁判高裁判決を誤って解釈しているとして、この点についても訂正を求めている」との主張には合理的理由がある。にもかかわらず、委員会は、「委員会の判断に変わりがないことを改めて確認し、その旨回答」しただけであった。本決定を下した委員会が訂正申入れを自ら再検討することは、審理手続の公正性の観点から問題がある。また、現実問題として、自ら出した決定の誤りを訂正し難いことは、容易に想像がつく。※ なお、本決定は、決定公表後に、打出医師からの訂正申し入れを受け、「2.放送内容の概要」に「(注記)」を加筆して、訂正の申し入れがあった事実を記載した。しかし、決定公表後に事実誤認が判明した場合には、決定内容を正式に訂正すべきであり、「(注記)」の加筆に留めるのは、姑息的な措置と言わざるを得ない。これも不服申立・再審査制度が存在しないことの弊害である。したがって、貴機構は、申立人・被申立人だけでなく、利害関係者から決定に誤りがあるとの申立てがあったときにも、同決定を出した委員会とは構成メンバーの異なる別の合議体において、同決定に対する再審理を実施する仕組みを構築されたい。

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本決定抜粋 「2.放送内容の概要」

2.放送内容の概要

本件放送は、局側から提出された同録DVDによると、概略以下のような内容と認められる。

当該番組は『サンデープロジェクト』の後半部分の特集コーナーで、まずVTRで申立人のもとで産婦人科学講座の講師を務める打出医師が「教授からは嫌われているというか……」と発言し、そのあと「自ら大学病院の医師でありながら、医療界の隠蔽体質を変えるべく立ち向かう一人の医師の闘いを追った」というナレーションが続く。そして「密着5年 隠蔽体質を変える~大学病院医師の孤独な闘い~」というタイトルのあと、生放送のスタジオ部分に入った。ここでは男女のキャスターと、ジャーナリストで番組コメンテーターの大谷昭宏氏が出演し、大谷氏が医療裁判は普通の民事裁判と比べて原告側が勝つのは極めて難しいのが実情で、この背景には医療界の隠蔽体質が残っているためと指摘し、こうした体質と闘う大学病院医師を取材したと述べる。

番組はこのあとVTRに入り、打出医師を紹介したあと、茨城県つくば市の病院での2件の医療過誤裁判を取り上げた。最初は直腸がんの手術をめぐって民事裁判となったケースで、打出医師が患者側に立って争い、病院側の手術ミスとの認定を引き出して勝訴。(注記)本項は本件放送の同録を視聴して委員会として内容を要約したものであるが、本決定の公表後、上記の「直腸がんの手術をめぐって民事裁判となったケース」について、「産婦人科医であり直腸がんの手術については専門外である自分が、患者側に立って意見を述べるようなことはおよそ不可能であって、実際にそのような事実もなかった」旨、打出医師から委員会に対して訂正の申し入れがあったので、その事実を注記する。

2件目は卵巣腫瘍の摘出手術で25歳の女性が死亡したケースで、打出医師が患者側の鑑定医となって証言し、手術ミスが認められて遺族側が勝訴。どちらも打出医師が患者・遺族側に立って行った活動が大きな役割を果たしたことを示すもので、最後の部分では病院側に取材を拒否されたため、自宅と見られる場所で出勤途中の病院長にカメラで撮影しつつ、インタビューを試みたが、病院長は取材を病院で行うよう言い残して車で走り去る。

再びスタジオに戻り、大谷氏が「反論権を担保しようとして病院取材したんですが、結局取材拒否され、そこで直接訪ねたんですが、取材の申し込みがあったことさえ、どうも耳に届いていなかったということじゃないかと思うんですね」と述べる。「裁判が係属中である関係から(中略)取材をご遠慮させていただきたい」という病院側の回答がフリップで映し出される。

このあと、大谷氏が「この筑波の二つの裁判っていうのはまだ係属中ですけど、これ、もし打出さんがいなかったらですね、患者側が勝つってことはですね、まず難しかったんじゃないかなと。そのぐらい隠蔽体質が進行してしまっているっていうことだと思うんですね」とコメントした後、キャスターが「さぁ、なぜ大学病院の現役医師が、患者側に立って闘うようになったのか、続いてこちらです」と金沢大学のストーリーにつなげる。

ここではまず打出医師が医学部を卒業後32年間、出身大学の病院に勤務しているが、仕事はあまりなく、打出医師が「まあ言ってみれば内部告発者ということなんで教授からは嫌われているというか」と述べ、12年前にさかのぼって打出医師が告発に関わるようになったいきさつがナレーションで説明される。それによれば友人の母ががんで金沢大学病院に入院中であったが、本来患者か家族の同意を得て行うべき抗がん剤の臨床試験が患者に無断で行われ、患者は副作用に苦しむ中、無断での投薬実施に大きなショックを受け、弁護士にこれを強く非難する手紙を寄せた後、死亡した。このため遺族が大学病院を相手取って民事訴訟を起こしたが、この時打出医師は患者が実験材料のように扱われたとして、裁判で遺族に協力することを決意したという。

裁判で病院側はこの患者が臨床試験の対象だったかどうかを示す症例登録票を提出したが、そこには患者が試験の条件を満たさず、試験の対象とはならないことが示されていた。ところが裁判では同じ患者の症例登録票がもう一枚出され、これには患者が条件を満たし、試験の対象者であると記されていた。これは打出医師が手に入れ弁護士の勧めで予めコピーしていたものだった。この2枚の登録票について、病院側は病院側提出のものは教授が間違いに気づいて担当医に書き直させたものでどちらも本物と主張した、とのナレーションが入る。

裁判の進行とともに打出医師への風当たりはますます強まり、打出医師は教授に呼ばれて繰り返し同じことを言われたといい、そのうちのやりとりのひとつが打出医師によって録音され、カセットテープの映像とともに教授が打出医師に辞職を求める音声が流される。

話はまた裁判に戻り、2枚の症例登録票を巡り打出医師が用紙の様式の違いを指摘したことなどによって、裁判所は病院側の主張は不合理で採用できないとし、患者に説明と同意を得ずに臨床試験を行ったと認定して病院側に165万円の支払いを命じた。ここで医療過誤裁判のベテラン弁護士が、病院側が出してきたものは改ざんされたものと断定しているに等しい内容だと述べるインタビューが流される。

裁判は高裁に持ち込まれたが、「高裁でも遺族の主張が認められ病院側が上告を断念。患者の同意を得ずに臨床試験を行った上、改ざんまで行ったことが、判決で確定したのだ」とのナレーションが流される。

この後打出医師が3歳の時に母親が死亡し、自分のような母を知らずに育つ子をなくしたいという思いが、産婦人科医を志すようになった原点と紹介する。打出医師は裁判の後大学のハラスメント調査委員会に対して、教授から退職勧告などの嫌がらせを受けていると申し立てた。半年後に調査委員会が回答書を寄せ、退職勧告についてはハラスメントと認定し、学長から教授に厳重注意が申し渡されたことを伝えた。しかし回答書の最後には守秘義務を守るよう求めるくだりがあり、「これは打出医師に対する事実上の口封じに等しかった」とのナレーションが流れる。

打出「これを読むと、どちらが被害者なのか加害者なのかよく分からない」
大谷「これだったらハラスメント委員会そのものを設けている必要があるのかっていう気がしますよね」
打出「井上教授から僕に対して謝罪とかは一切ありませんね」

この回答の3ヶ月後、打出医師は担当医と教授を相手取って検察庁に刑事告発をした。これは打出医師にとって苦悩の末の決断であったが、検察の判断はともに不起訴であり、特に「症例登録票」は医師が私的に作成したもので公文書ではないというのがその理由だったとした。またナレーションは打出医師が病院内で孤立したままで、「改ざん」に関わった医師や教授に対する処分はいまだ、なされていないと伝える。

番組では病院長と教授に取材を申し込んだが、病院長は「裁判の内容等のことであり、答えられない」と拒否し、教授も拒否したため直撃することにした、と直撃インタビューの場面に移る。以下は教授が朝出勤する途上でカメラとマイクが向けられ、記者とのやり取りが行われた映像で、金沢大学病院産婦人科井上正樹教授というスーパーがつけられる。

記者「症例登録票の改ざんという話がありましたですよね」
教授「あれは改ざんでも何でもないです。研究者のノートに書いていたものをね、後で検査間違いがあったから直したものだと思いますけどね」
記者「ただ先生、判決では病院側の診療登録票は信用出来ないという話」
教授「いや、そんなことない、そんなことはないです」
記者「されていますよ」
教授「いやいやあれは、診療登録とかなんとか一切触れてませんわ」

そして、「判決が確定してなお、改ざんを否定する教授、さらに打出医師への退職強要は」とのナレーションが入り、退職勧告の経緯についてもやり取りが交わされた。

このインタビューの場面は1分ほど続いた後、「打出医師が闘い続ける医療界の隠蔽体質、医療過誤裁判の多くで、患者と遺族は真実を知りたいという一念のみで闘う。しかし改ざんや隠蔽が認められるのは極めてまれだ」というナレーションが入り、最後に打出医師がインタビューで、大学病院内で嘘がまかりとおるようなら、ずっと告発をし続けると述べてVTR部分が終わる。

この後スタジオの場面に戻り、キャスターが打出医師の孤独な闘いを強調した後、大谷氏が大学病院はいい意味で打出医師を利用して信頼回復に努めてほしいと思うとコメント。またこの取材を通しての提言として「大谷提言1、医療記録の隠蔽・改ざんへの罰則 2、医療裁判所の創設」と書かれたフリップを示しながら、患者が鑑定医を探すのは大変だから医師免許を持った裁判官が必要であり、またカルテの改ざんに厳しい罰則をもうけたり、医療記録を公文書にすることを提案したところで、特集が終わる。

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