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「学術論文」と「広告」 ~いわゆるディオバン事件について~

弁護士 工藤 杏平

普段の弁護士業務では、医療事件のみならず、刑事事件も数多く扱います。

そこで、今回は、製薬会社が学術論文等を広告に利用したか否かについて薬事法上の刑事責任が問題となった、いわゆる「ディオバン事件」を、簡単ではありますがご紹介したいと思います。

1 事件の概要
~データの改ざんによる学術論文の公表(掲載)は「広告」に当たるか~

「ディオバン事件」は、製薬会社であるノバルティスファーマの高血圧症治療薬である降圧剤「ディオバン(一般名バルサルタン)」の臨床研究のデータを、広告資材に活用するため、急性心筋梗塞や脳梗塞での有用性を示すようデータを改ざんし、虚偽データに基づいて執筆させた論文を医学誌に掲載、Webなどを通じて医学界に伝播させたなどとして、会社と社員(統計の専門家として臨床研究に関与)が、薬事法(現在は「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」)違反に問われた事件です。

この事件の刑事事件上の争点は多岐に渡りますが、概要は以下のとおりです。

(事実認定上の争点)

(法律解釈等に関する争点)

2 第一審(東京地判平成29年3月16日)の判断
~「データの意図的な改ざん」はあるが、学術雑誌への掲載は「広告」に当たらない~

第一審判決は、結論として被告人に「無罪」を言い渡しました。

その理由について裁判所は、まず、臨床研究に関与した医師らの「患者情報の加筆」などの行為は「不正ではあるものの水増しに関与したとは言えない」と指摘し、被告人以外の第三者の関与を否定しました。そして、被告人が「意図的にデータの水増しや改ざんをした」と認定しました。

他方、「発表させたのは学術論文であり、薬の購入意欲や処方意欲を喚起させる手段とは言えない」旨指摘し、被告人の行為は虚偽記述や虚偽広告には該当せず、薬事法が規制している「記事の流布」という罪にはならないとしました。

3 控訴審(東京高判平成30年11月19日)の判断 
~控訴審も「無罪」~

控訴審判決は、無罪とした一審判決を支持し、検察側の控訴を棄却する判決を言い渡しました。

控訴審においても、主として「学術論文を広告と認定するか」が争点となっていましたが、その点につき控訴審は、学術論文は「専門家向けの研究報告」であり、顧客誘引性がないことから、広告に該当しないと判断しました。

控訴審においては、薬事法の立法趣旨や経緯に触れ、これまでも厚労省が学術論文を薬事法による規制対象としてこなかったとしました。そのうえで、「研究内容に誤りがあると刑事罰を視野に入れて故意か過失かを詮索されかねず、自由闊達な研究の発展が阻害される懸念もある」という指摘をしました。また、虚偽データを用いた論文掲載について、「何らかの対応が必要だが、第66条1項での対応には無理がある。新たな立法措置で対応することが必要」である旨の指摘もしました。

4 雑感

上記のとおり、この事件では、被告人によるデータの意図的な改ざんは認められましたが、そのデータに基づく学術論文への掲載行為は「記事の流布」という、法律で禁止されている広告には該当しないと判断され無罪となりました。

データの意図的な改ざんも、それに基づく学術論文の掲載も、許されない行為であることは間違いないと思います。ただ、それが、刑事罰を科される、虚偽の「広告」に該当するか否かはまた別の問題です。その意味で、「事実認定上の争点」と「法律解釈上の争点」とに分けて、両者を証拠によって認定して判断をしたこと自体は、弁護士(法律家)としては首肯出来るところです。

もっとも、控訴審判決も指摘するとおり、この一般的な感覚として許されない行為を、刑事罰を科されない行為だからといって、自由に許して良いわけではないと思います。

この判決の報道の際、医学界の有識者の方のコメントの中には、「不正論文を広告に用いたことが明らかになっても、法律で裁けないことは課題」と述べる一方で、「あまりに医学論文を縛ってしまうと研究が阻害されてしまう懸念がある」、「最終的には医師、製薬企業のモラルが重要」と述べていました。

この事件を契機に、法の穴となっていた点の議論を十分に尽くしたうえで、医療界がより良くなるよう、一人の国民として注視していきたいと思います。

以上

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