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団員リレーエッセイ弁護士の声

新型コロナウイルス感染拡大の緊急事態下で

弁護士 松井菜採

 新型コロナウイルス感染拡大の緊急事態宣言を受けて、多くの弁護士たちも通勤を避けて在宅勤務をしています。当弁護団の医療法律相談も休止させていただいております。

 このエッセイを執筆するにあたり、まず、新型コロナウイルス感染症の治療・研究・予防に日常的に携わっておられる医療従事者の方々に心から敬意を表します。

 毎日、大量の新型コロナ関連の様々なニュースが流れ、自分自身が感染することも、誰かに感染させることも怖いと思っており、まさに現在進行中の医療問題に意見を述べることは容易ではありません。それでも、医療事件を担当してきた弁護士として、ニュースを見ながら、モヤモヤと思うところもあり、現在進行形であるが故に適確に言語化するのは難しいのですが、いくつか述べてみたいと思います。

 1つ目のモヤモヤは、新型コロナウイルス感染拡大が原因で「医療崩壊」するかのように言われていることです。原因は本当にそれだけでしょうか。日本の医療では、かねてから、医師の地域偏在や診療科偏在、病院と診療所の医師数の不均衡、救急医療や産科医療の脆弱さ、労働基準法の趣旨を無視するような医師の長時間労働等の問題点が指摘されています。公衆衛生の専門家が少ないことも、以前から言われています。これらは、新型コロナに始まった問題ではなく昔からある問題で、急速な感染拡大とともに顕在化している部分も少なくないと思われます。後日、今回の事態が落ち着いた時点で、未曽有の感染症拡大の経験とそれに関連するデータや議論過程を踏まえ、日本の医療体制は従前のままでよいのかどうか、検証の必要があるでしょう。

 2つ目のモヤモヤは、新薬に対する著しく過剰な期待です。アビガンやレムデシビル等の新薬が期待どおりの特効薬であれば、どんなに良いことか。でも、例えば、アビガンの添付文書を冷静に読んでみましょう(Pmda 独立行政法人医薬品医療機器総合機構のホームページで見られます)。催奇性(胎児に奇形を起こすこと)のある薬で、母乳にも精液にも移行する上に、有効性や安全性(危険性)について判明していることがあまりにも少ないことに驚きます。現在進行している治験(製薬企業が実施)や臨床研究(全国の新型コロナ治療に携わっている病院で実施)の結果を待たなければ、アビガンが新型コロナに効くのかどうか、どの程度の重症度の患者にどのようにどのくらい効くのか、どの程度のどのような副作用があるのか、実はよく分かっていないのです(薬害オンブズパースンのアビガンに関する意見書参照)。芸能人はご自身の闘病経験を語っておられると思いますが、その感想だけでは薬の有用性は分かりません。レムデシビルも、普段行われている手続を簡略化して特例承認された新薬ですので、承認されてヨカッタヨカッタではなく、承認後こそ、通常の医薬品に対してよりもさらに厳しい眼を向けて、その有効性・危険性を監視し、評価していく必要があります。

 3つ目のモヤモヤは、医療従事者に対する「差別と賞賛」という両極端の反応が急激にわき上がったことについてです。医療従事者に対する「差別」がおかしいというのは、説明せずとも、お分かりかと思います。では、なぜ、医療従事者に対する「賞賛」がわき上がったことにモヤモヤ感を感じるのか。それは、「差別と賞賛」は裏表の関係にあり、いずれの対応も、医療や感染症患者を、自分や身近な人が罹患しない限り自分とは縁遠いもので、(あえて誤解をおそれず誇張していえば)《あちら側》にあるべきものと見ているからではないかと感じられるからです。医療は、自分や家族が病気にならない限りあまり深く関心を持つことはなく、いわば空気のような存在です。でも、今の熱に浮かされたような一時の賞賛よりも大事なことがあるのではないでしょうか。人的物的に有限の医療を、ずっと継続して関心を持って見つめ、今後ともより安全で良質な医療体制を築くためにはどうすればよいか、感染症対策をどうしていくか、患者目線で一市民として一緒に考えていく。このことのほうが、長い目で見れば大事になると思います。平常時の医療に対する意識や医療の基本理念は緊急事態にも反映されるのではないかと思うところです。

 最後に、今回再認識したことは、医療情報の重要性です。日々の新型コロナウイルス感染症患者の診療情報の蓄積がなければ、今後の治療・研究・予防や政策決定は実現できないことでしょう。患者の診療情報の利活用には、患者の同意(または、オプトアウトの研究の場合には、患者が個人情報の利活用について拒否しないこと)が必要ですので、患者の協力が欠かせません。医療は経験科学ですので、患者の医療情報は、センシティブな個人情報であるとともに、公共財の側面があります。患者側弁護士は、常日頃「医療安全のために、医療事故情報の共有を」と言っておりますが、これを機会に、患者・市民の納得も得られる公共目的の医療情報の利活用のあり方について熟考したいと思いました。  新型コロナウイルス感染症拡大の経験を経た後の医療のあり方について、悩みながら考えていきましょう。
(2020年5月11日脱稿)

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