団員リレーエッセイ弁護士の声

草の根の国際協力・カンボジアの小児病院(紙子 陽子)

 2018年に、私はアンコール・ワット遺跡のある町シェムリアップにある「アンコール小児病院」を訪れました。現在ではカンボジア人が運営していますが、元は日本人の写真家が開設し、民間の支援によって運営してきた非営利の小児専門病院で、貧しい家庭の子どもには無料で医療を提供しています。カンボジア保健省から指定された教育病院でもあり、カンボジア全土から医師看護師が集まり、小児医療の訓練を受けています。

 カンボジアは、クメール語を話す仏教国で、1953年にフランスから王国として独立しました。1970年のクーデターから内戦が始まり、1974年、クメール・ルージュがポル・ポト政権を樹立し、知識人(医師、法曹教師、法曹、技術者・・・)の大量処刑、市民や子どもの大虐殺が行われました。農村での強制労働、集団化、教育・宗教・道徳の否定等で社会制度は破壊され、虐殺、飢餓等で、国の人口は3年8カ月で約178万人減少し、人々の心は深く傷つきました。このダメージが、カンボジアの貧困の原因とされています。
 1979年にベトナム軍が侵攻し、ポル・ポトに代わる新政権下で、内戦が続いた後、1991年にパリ和平協定が結ばれ、1992年から93年、国連カンボジア暫定機構(UNTAC)が統治。新憲法を作り、総選挙で王政が復活し、5年ごとの選挙でフン・セン首相政権が続きますが、その後も政情不安が続きました。

 1993年、アンコール・ワットを撮影に来ていた日本人の写真家・井津建郎さんは、2ドルの治療費がないために医療を受けられず、死を待つばかりの女の子とその父親に出会いました。見渡せば、周りには、地雷によって手足をなくした子どもや、下痢で命を落とす子どもが多くいました。当時、シェムリアップには州立病院が一つあるだけで、治療費を払えない患者は適切な医療を受けられず、多くの子どもが命・健康を失っていました。(1990年のカンボジアの5歳未満死亡率は1000人あたり116人でした。日本は6人。*ユニセス世界子ども白書2019
  同年代のお嬢さんもいた井津さんは、アンコールに子どものための病院を設立することを決意し、日本やアメリカの友人や知人に支援を呼びかけ、アンコール遺跡の写真展によって集めた資金等を元に、1995年NYに小児医療の国際支援を行うボランティア団体、FRIENDS WITHOUT A BORDER(国境なき友人、以下FRIENDS)を立ち上げます(翌年に日本にもオフィスを置いて、後に日本でNPO法人化)。FRIENDSは、日本とアメリカを中心に3000名以上からの寄付や支援を集め、1999年2月、シェムリアップの地に「アンコール小児病院」を開きました。

 それから同病院には、日本から医師、看護師が派遣されて、小児医療を実施し、現地スタッフに継承してきました。病院のない農村地域にも、保健医療や予防教育(青空教室)を届け、学校健診もおこないました。カンボジア全土から研修を受け入れ、医療スタッフのみならず、病院事務スタッフの研修もしています。
  アンコール小児病院は、日本の医療機関からの海外研修、見学も受け入れています。医師や医療スタッフの方が、院内の医療にとどまらず、学校健診やカンボジアの子どもたちに携わり、広い視野や学びを与えられているとのことです。インターネットで日本語名「アンコール小児病院」を検索すると、日本の病院やお寺、写真学校などがたくさん同病院と交流し、多くの方が海外研修に訪れているコメントが載っています。

 FRIENDSのモットーは「その地域に根付く医療」とされていて、病院支援プロジェクトは、現地スタッフだけで病院を運営できるようにして、現地へ運営を移すことを目標としています。2013年には、アンコール小児病院は、同団体からカンボジア保健省に譲られ、FRIENDSはプロジェクトをラオスに移しました(2015年にラオスに小児病院を開設)。

 私が訪れたアンコール小児病院は、美しい外観で、資料展示スペースでは、医療機器が展示され、病院の成り立ちがクメール語、英語、日本語で紹介されていました。お土産用に、色とりどりの綿のスカーフ「クロマ-」が売られていました。病院の建物は、外とつながった開放的な作りで、上がり口には大人や子どもの脱いだサンダルや靴がひしめいていました。建物内では、大勢の子どもたちや家族が診療を待っており、建物の外には、子どもの遊ぶカラフルな遊具や、付添い家族のための炊事場もありました。

 病院の後に、私たちはシェムリアップから車で45分ほどの農村を訪ね、女性の就労教育支援NGOの工房で働く若い女性に、椰子の葉で編まれた高床式のお家へ案内してもらいました。その家族は、お父さんが病気をして入院したため重い借金を背負っており、一家で農業(小作)をし、学齢期の妹も、放課後は農業や農産物の販売で働いていますが、1年に返せるのは利息がやっと、ということでした。このお家には、電気は来ていません。床はザラザラと土っぽく感じられました。家の奥には、数日前に近所の保健センターで産まれたという赤ちゃんが、かごに入って寝かせられているとのことでした。電気がないので、冷暖房はありません。女性たちは家の中で寝て、男性は外の、高床式の家の下にベッドを置いて寝ているということでした。

 カンボジアでは、2000年代からの経済成長が著しく、国民一人あたりのGDPも2018年では1485米ドル(IMF推定値、外務省ホームページ)となり、最近も年7%などの経済成長率を維持しています。しかし、都市と農村部の経済格差は大きく、農村部では感染症や栄養不良による死亡、訓練を受けていない一般人の介助による自宅出産もある一方、都市部では、先進国同様の生活習慣病もあり、富裕層と貧困層に大きな教育格差も横たわっています。カンボジアの5歳未満死亡率は、1990年に1000人あたり116人だったところ、2000年で106人、2018年には28人、と改善しています。(*前掲ユニセフ世界子ども白書2019

 COVID-19(新型コロナ感染症)パンデミックで、国境を越える人間の行き来にのって、ウイルスがやすやすと世界中に拡がっていることが実感されました。世界には、難民キャンプや貧困地域など、手を洗うきれいな水や医療、衛生を欠き、社会的距離を取りようのない住環境に住む人々もいます。どこの国・地域に生まれた子どもも、国境で線を引かれず、生命・健康に対する人権を守られて、大人に成長できる。そのような国際社会が望まれます。
 私たち一人ひとりも、暮らしのあちこちで(買い物や食べるものの選択、外交姿勢や政治の選択、井津さんのような誰かへのサポートなど)、遠い海外の人々や子どもたちのおかれた環境と、つながっているのではないか、と思います。

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