団員リレーエッセイ弁護士の声

「合理的な患者」とは?(松田 耕平)

「陽性の結果が出ちゃいましたね。これから色々と大変でしょうけど、医療的にはどうすることもできないので、受け入れていただくしかないですね。」

 これは先日、私がコロナ陽性の判定を受けた時の先生(医師)の言葉です。

「なんやて!? わてがコロナ陽性?? んなアホな!!!」

 動揺のあまり、心の中では東京生まれ・東京育ちの私が普段使うことのない言葉が出る始末。そんな私を尻目に、「では。」と言って颯爽と診察室から出て行く先生。

「待って…待って先生!コロナのことや今後の治療のことなど色々聞きたいのですが…」

…と、再び心の中の声。けれど結局、先生には何も聞けませんでした。(※ 聞けば答えてくれそうな雰囲気の先生だったので、先生が悪いわけではありません)


 冷静になってあとから考えると色々と聞きたいことが出てくるけれど、その時は咄嗟のことでなかなか思いつかない、そんなことってありませんか?
 このことを慮って、こちらから聞かずとも説明してくれたり、質問しやすい雰囲気を作ってくれたりすれば良いのですが、そこまでは求めにくいというのもまた現実...。


 ところで、医療事件では、“医師の患者に対する説明義務”が争点になることも多いです。この場合、「医師が何を説明すべきであったか」とともに、その説明すべきことを「実際に患者に説明したのか」という事実関係そのものが争いになることもあります。
 説明した時の様子が録音されていたり詳細がカルテに書いてあったりすれば一目瞭然ですが、そのようなケースはなかなかありません。その時は、断片的なカルテ記載の空白(行間)を「経験則」で埋める(推測する)ことによって、説明があったかどうかが判断されたりもします。
 この「経験則」を一言で説明するのは難しく、色々なアプローチがあり得るのですが、そのなかの一つに「合理的(または一般的)な患者であれば説明を求めた(または求めなかった)であろう」という観点から検討されることもあります。
 しかしこの「合理的な患者」というのがくせ者で、どうも裁判官は、“いつでも冷静で、疑問に思ったことがあれば、適切なタイミングで、しかも医師に対しても臆することなく聞くことができる人”という人物像をイメージしているように見受けられます。(※ 個人の感想です)
 でも、そんな人ってごく僅かだと思うのです。ほとんどの人は聞きたいこともすぐには思い浮かばないだろうし、病気を告げられた時の衝撃もあるだろうし、お医者さんはいつも忙しそうだから遠慮してしまったりもするだろうし。こういう思考や反応があり得るのが「普通」で「合理的」な人なのではないでしょうか。
 だけどそんな「迷い」や「隙」があることを裁判官が理解して、「説明はなかった」と判断してくれることはほとんどないように思います。(※ あくまで個人の感想です)
 裁判で、「ふだん医療事件をやっている私ですら、いざ自分が患者になると、医師に質問できなかったんですよ~!」と声高に叫んでも、きっと届かない。

「ときには不合理なこともするのが合理的な患者では?」

 このことを裁判官に分かってもらうにはどうしたらよいのか。自宅療養中に考えてはみたものの答えはでませんでした。果たして見つかるのかどうか...。
 けれど、これからの弁護士活動を通じて、いつか見つけ出したいと思います。

※ 私の場合は、医師が退室した後、看護師がきて今後の手続について説明してくれました(役割分担もあるのだろうけど、看護師が入ってくるまでの数分間、診察室で一人待機していた時は不安な気持ち全開でしたが...)。

以 上

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