団員リレーエッセイ弁護士の声

忘れられない「一言」 (安原 幸彦)


 私にとって医療事件を弁護士活動の柱とする大きな契機となった医療事件被害者の忘れられない「一言」を、いくつか紹介させていただきます。医療問題弁護団員の方々には、「その話は何度も聞かされて耳にたこができている」と言われそうです・・・。

1 「先生こそ立派なお医者さんになってください」

 出産事故の医療裁判で、責任を認める和解が成立した期日で、出頭した被告医師が「申し訳ありませんでした。どうぞお子さんを立派に育ててください。」と頭を下げました。
 これを聞いた母親は、障害を持った我が子を抱きしめながら、「先生に言われなくてもこの子は立派に育てます。先生こそ立派なお医者さんになってください。」と言い放ったのです。
 この裁判は、障害をもった我が子とともにどう生きていくか、を追求していく裁判でもありました。この一言はそれを見いだした母親が放った一言だと思います。それが何よりの裁判の成果でした。

2 「自慢の息子を亡くしました」

 この一言も、同様に出産事故で我が子が脳性麻痺になった事件の母親の言葉です。この事件は一審敗訴しましたが高裁で巻き返し、勝利的和解をしました。それを待っていたかのように、その子は亡くなってしまいました。その葬儀に駆けつけたときに、私の顔を見るなり母親は「残念です。自慢の息子を亡くしました」と述べたのです。
 とかく障害を持った子供を抱えた親は「この子さえいなければ」という気持ちになりがちです。この母親は、医療裁判に取り組む中で、同じような医療被害者と出会い、多くのことを学び、第二子も産みました。
 葬儀では、亡くなったお子さんの顔を見せてもらいました。顔中にテープを貼った跡がありました。たくさんのチューブを入れていたことがわかりました。寝たきりで毎日病気と闘っている我が子を見てきたので、母親は「自慢の息子」と言えたのだと思います。

3 「皆さんの支援で得たこの勝利を糧にこれから頑張っていこうと思います」 

 胃全摘手術で投与された高カロリー輸液にビタミンB1が添加されていなかったためにウェルニッケ脳症となり、重度の記憶障害を遺した男性の一言です。判決で全面的に勝利した後の報告会でこのように挨拶しました。
 ごくありきたりの言葉に聞こえますが、私には感動的でした。彼は数時間経つと記憶が消えてしまいます。判決も「かけがえのない妻や子供らとの思い出を記憶として残しておくことができない無念さは察するに余りある」と述べています。これまでの彼の挨拶も「今自分がどうしてこのような場所にいるのか正直言って驚いています」というのが定番でした。「頑張っていく」などという言葉は聞いたこともありませんでした。それが多くの人たちの支えで裁判に勝ったことで、彼をして「この勝利を糧にこれから頑張っていこうと思います」と言わしめたのだと思います。これからの生きる道筋をしっかりつかんだ一言と感じました。

4 「先生個人への悪感情は不思議なほどありません」

 双子を出産した母親が弛緩出血で亡くなったケースです。原因は輸血量が不足していたためでした。都内の基幹病院での医療事故です。
 この件は、病院での説明会などを経て示談で解決しました。説明会で夫が主治医に問い質し、主治医に「輸血への対応が足りなかったと認めざるを得ません」と白状させたのが決め手となりました。示談書の調印の際に、最後に夫からあったのがこの発言です。夫は「先生個人への悪感情は不思議なほどありません。うまくいって当然、失敗すれば非難を受ける立場は大変だと思います。この件が慎重さを増す結果となっても、心に重荷として残らないことを望んでいます」と締めくくりました。説明会も含め本人とともにじっくり取り組んだことが、この言葉に結実したのだと思います。


 医療事故における医師・医療機関の責任追及の目的は、被害者が被害を克服し、前向きに生きる道筋を見いだすことにあると思います。これらの「一言」には、それが凝縮されていると思います。

以 上

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