団員リレーエッセイ弁護士の声
捨てる神あれば拾う神あり―ありがたかった後医の熱意(末吉 宜子)
医療相談を受ける時、ご相談者はほぼ例外なく、身体だけでなく心がとても傷ついています。それは、専門家である医療機関(医師)を信頼して医療行為を受けたにもかかわらず、その信頼が裏切られたからです。その医療行為の質が悪ければ悪いほど、そして起こってしまったあとの医療機関の対応が悪ければ悪いほど、心は深く傷つきます。
私が受任した下記の案件は、医療行為の質も悪く、起こってしまったことへの謝罪の気持ちも全くなかったために、大変つらい思いをされた患者さんのケースです。
患者さんは30代の未婚の女性で、診断名は卵巣に嚢腫(のうしゅ)ができる卵巣嚢腫でした。被告医師の専門は消化器外科でしたが、患者さんの知人が被告医師から外科手術を受け、お見舞いに何度か通っていた時に、被告医師とよく話をしていたことから、被告医師を信頼し、受診したのでした。
患者さんは、結婚の予定があり、妊娠・出産を希望していたので、卵巣は残す手術方法を希望し、被告医師もそれを約束しました。手術後、被告医師は、患者さんに、卵巣は残した、と説明しました。
ところが、退院後、無排卵の月経が続き、いろいろな医療機関を受診した結果、左右の卵巣はそのほとんどが切除されている、との診断を受けたのです。
患者さんのショックは計り知れないものでした。被告医師が、卵巣は残っていると言い続け、卵巣切除の事実を認めなかったことも患者さんを苦しめました。
証拠保全手続きをしたところ、手術時のビデオがありました。私ともう一人の弁護士がそれを視聴しましたが、どんな手術内容であったかわかりません。代理人がわからなければ、訴訟になった時に裁判所に理解してもらうこともできません。弁護士としては、ビデオの内容を解明し、果たして卵巣は切除されたのか、切除されなかったかをどうしても明らかにしなければなりません。
そこで、患者さんが医療事故後に受診したいくつもの医療機関の医師に、手術ビデオを見てもらいたい、所見を意見書として書いてもらいたい、ということをお願いしました。でも、それに応じてくれる医師はいませんでした。
行き詰っていたときに、最後に受診した医療機関の医師が、ビデオを見てくれるとおっしゃってくれました。患者さんも私たち弁護士も本当にありがたいと思いました。
そのドクターはビデオを見て、産婦人科の医師であれば当然知っているべき卵巣嚢腫の病態を知らない医師が、嚢腫と卵巣を間違えて切除したものと思われる、と所見を述べてくれました。本来行うべき術式を図示し、被告医師が行った術式の誤りを指摘してくれました。そして手術ビデオの重要な個所を写真に落とし、そこにコメントを入れた資料を添付した意見書を、顕名(名前を出して作成すること)で作成して下さったのです。
医師としての通常の業務をこなしながら、このような込み入った資料の作成と意見書を作成することがどれほど大変な作業であったか、そばでみていればわかります。そのドクターのひとかたならぬ熱意を見て、私たち弁護士も非常に勇気づけられましたし、患者さんもどんなにか慰められたと思います。
ドクターは意見書の最後に、「 (被告医師が)今回の症例に対する手術方法の間違いを認めていないことは、今後も多くの犠牲者を出すことを意味する。」と書いておられました。今回の案件に力を尽くして下さったその熱意の裏には、被告医師の医療行為の質の低さとそれを反省する姿勢のなさに対する怒りがあったのだと思いました。
捨てる神あれば拾う神あり、という格言がありますが、捨てる神の酷さが半端でなかったために、拾う神の熱意が掻き立てられたように思いました。
裁判の方は、裁判官からの和解の勧めに対しても被告は応じず、判決となりました。損害賠償請求が認められ、原告勝訴の判決でした。判決には慰謝料算定にあたって考慮した事情として、「原告の受けた精神的苦痛は大きく、その悲しみは深い」「本件手術後の原告による説明会の開催の求めに応じなかった」などが記載されました。提訴から判決まで2年半かかり、その時間の長さも、患者さんにはつらいものだったと思われました。
以 上

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