文化放送「くにまるジャパン」に木下正一郎団員が出演しました

文化放送「くにまるジャパン」の「アクティビスト・ジャパン」に医療事故問題に取り組む弁護士として,木下正一郎団員が出演しました。

不妊治療学習会を実施しました

「患者の権利」の遺志を継ぐ

弁護士 川見 未華

池永満先生とは、2012年7月、患者の権利オンブズマン全国連絡委員会が開催したボランティア研修合宿に参加した際、初めてお会いしました。
この合宿では、「インフォームド・コンセントの確立に向けての課題~苦情調査報告書の分析から」をテーマに勉強会が開かれ、池永先生より、患者の権利オンブズマンが目指すインフォームド・コンセントの概念についてのご説明がありました。
また、懇親会では、池永先生ご自身の現在進行形の闘病体験として、医師にどのような説明・情報を求め、どのような治療方法を選択し、どうやって病気と向き合っているのかといったことを、熱い語り口調で明かしてくださいました。
患者の権利というものを身をもって体現し、それを私たちに惜しげもなく伝えようとする池永先生のご姿勢に、強い衝撃を受けました。

その約4か月後である12月1日、池永先生はご逝去されました。

池永先生は、多方面でご活躍をなさった方ですが、中でも医療福祉分野・患者の権利促進に関するご活動はめざましく、言うまでもなく、患者の権利運動の第一人者です。
1980年に医療問題研究会(現在の九州・山口医療問題研究会)の結成を呼びかけ初代事務局長に就任、1984年に「患者の権利宣言案」の起草に参加、1991年に患者の権利法をつくる会を結成して初代事務局長に就任、2年間のイギリス、オランダ視察留学を経て、1999年にはNPO法人患者の権利オンブズマンを創立し初代理事長に就任するなど、患者の権利確立への道を常に切り開いてきました。

そんな池永先生のご遺志を引き継いでいこうと、2013年6月2日に地元福岡で、6月29日に東京で開かれた「池永満先生を偲ぶ会~患者の権利の遺志を継ぐ~」には、池永先生のご活動をとおしてゆかりのある方々だけでなく、池永先生とは活動を共にする機会のなかった若い世代の方々も含め、多数の方々が全国から結集しました。

「偲ぶ会」では、池永先生を慕ってやまない方々より、様々なエピソードが語られました。

当弁護団代表の鈴木利廣弁護士も、池永先生と共に、1980年代の患者の権利確立のための運動を推進してきた一人です。
鈴木代表によれば、当弁護団は、発足後まもなく「医療に巣くう病根」という報告で、医療事故の背景にある医療制度の4つの欠陥を指摘し、医療者とともに制度の欠陥を正す運動を展開していました。
他方、池永先生率いる福岡の医療問題研究会は、「医療に心と人権を」というテーマを掲げていたとのこと。
当時から、医療機関との「信頼」を基礎にして現状を変えていこうという池永先生流の闘いの姿勢が現れていたと語りました。

ところで、池永先生が、医療問題「弁護団」ではなく、医療問題「研究会」と名付けたのは、弁護士だけではなく、医療関係者の方々も一緒になって良い医療を実現するために力を合わせていくのだという理念を示したものなのだそうです。
団体の名前一つ、取り上げるテーマ一つをとってみても、池永先生の信念があったようです。
池永先生と鈴木代表、共に患者の権利確立を目指しながらも、よき同志、ライバルであったという絶妙な関係を感じずにはいられませんでした。

参加者の中でも、ひときわ池永先生への愛情たっぷりのコメントを披露してくださったのは、福岡において、池永先生の近くで患者の権利運動に携わってきた方々でした。

患者の権利法をつくる会事務局長の小林洋二先生によれば、池永先生は、人に仕事をお願いするときに、「Aがいい?それともBがいい?」と二者択一を迫ってきたそうです。
選択を求められた側としては、もはや仕事をしないという選択肢はなく、Aの仕事かBの仕事を選ばなければならない窮地に立たされるのですが、本人が積極的にその仕事を選んだような体になる、という巧妙な仕組みです。
中には、このからくりにやられ、新しい事務所を立ち上げることになった先生もいらっしゃるというから、驚きです。

池永先生のご逝去後、NPO法人患者の権利オンブズマン理事長に就任した久保井摂先生は、はじめは理事長代理、その後副理事長という役職を順調に任命されていき、最後には、池永先生の妻である池永早苗さんから、「池永は、生前より、摂ちゃんに理事長を継いでもらいたいと言っていました」という天の声を告げられ、理事長就任が確定したのだそうです。
やはり池永先生流の巧みな「戦略」仕掛けについて、久保井先生は、満面の笑顔で語っていました。

両先生とも、いつも池永先生のペースに巻き込まれてきたのだと話しながらも、池永先生から多くのことを学んできたこと、何より池永先生の近くで仕事ができたことを最高に誇りに思っていることがよく伝わってきました。
小林先生、久保井先生はじめ福岡の先生方と、池永先生、妻の早苗さんとの絆の深さや度量の深さを、羨ましくすら感じました。

現在、医療基本法の制定に向けて、患者側団体、日本医師会、病院団体協議会などの各団体で議論が進められています。
患者の権利法をつくる会でも、2011年10月22日、「医療基本法要綱案世話人会案」を発表しており、要綱案の第2章には、「患者の権利」がしっかりと明記されています。

「患者も医療者も幸せになれる医療をめざして」。
患者の権利法をつくる会ほか医療基本法制定をめざす団体が終結して、2012年11月に福岡で開催したシンポジウムのタイトルです。
患者、医療機関が手を取り合って良い医療を作り上げることができるような医療基本法の制定が、切に待たれるところです。

池永先生が作り上げてきた患者の権利確立のための活動、ご遺志が、確かに存在しています。
今回の「偲ぶ会」を通して、改めて池永先生の功績の大きさを再確認するとともに、池永先生のご遺志を、私たち次の世代が引き継いでいかねばならないと強く感じました。以上

「産科医療補償制度運営委員会」が開催されました

鈴木利廣代表が運営委員を務める公益社団法人日本医療機能評価機構「産科医療補償制度運営委員会」が開催されました

肝硬変患者に対する肝細胞癌の検査

継続して通院しているB型肝炎・肝硬変の患者に対し、医師が患者の便宜のため保険病名を「慢性肝炎」として治療している間に、正しい病名(肝硬変)を失念し、肝細胞癌の早期発見のための検査を行わず、患者は、肝細胞癌により死亡した。
肝細胞癌の早期発見のための検査義務違反の有無、死亡との因果関係について争われた。(地裁判決により確定)

入院中のワーファリン服用患者に対する対応

入院中のワーファリン服用患者に、病院食で納豆を提供し、ワーファリン投与量の調節もしていなかったところ、脳梗塞を再発した事案。(示談)

分娩後の母体大量出血による死亡

産婦が、経腟分娩後の弛緩出血によりショック状態になった。子宮圧迫、輸血、子宮全摘術などの治療が行われたが、死亡した。分娩後の経過観察、出血性ショックに対する初期対応の適否について争われた。(示談)

分娩時脳性麻痺(分娩監視装置による分娩監視)

不妊治療で妊娠した高齢初産の産婦に、メトロイリンテルによる分娩誘発を行っていた。途中、破水の訴えや陣痛発来はあったが、分娩監視装置の装着はなされず、再装着したときには、児は高度徐脈で、仮死で出生し、重度の脳性麻痺が残存した。分娩監視装置の装着による連続的分娩監視義務違反があるか否かなどが争われた。(和解)

炎症後色素沈着

肝斑治療のため受診,複数のレーザー治療,光線治療を受け,三度目の治療後に炎症後色素沈着が起きる。肝斑は治らず。

左下知覚鈍麻(神経麻痺)

左下顎の埋伏智歯の抜歯を受けたところ,舌神経損傷,左下知覚鈍麻が遺った。抜歯又はこれに伴う麻酔実施の際の手技ミスの有無が争われた事案。