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高齢者死亡の慰謝料は低額で良い???

弁護士 安原 幸彦

1 ある裁判官の論文

今年6月、ある法律雑誌に、医療訴訟を裁判長として6年間手がけたこともある現職の裁判官が、要旨、高齢者が医療過誤で亡くなった場合の慰謝料を大幅に引き下げるべきだという論文を掲載しました。現在の実務では、医療過誤の損害算定にあたり、原則として交通事故の損害賠償基準と同一の基準、慰謝料でいえば2000万円以上を認めています。それを大幅に引き下げる方向で変えていこうというのです。医療事故被害者の救済に取り組む私たちにとって看過できない主張です。

2 病院長の発言

この裁判官は、このように考えるきっかけになったのは、ある病院長の次のような発言だったと述べています。 「私たち医師は、神様ではないから手術の際の不注意により患者さんを死亡させてしまう可能性がある。しかし、死亡慰謝料が一律最低2000万円であるならば、高齢者に対する手術はお断りした方が安全ですね。」

この裁判官は、この発言に衝撃を受け、的確に答えることができなかったそうです。皆さんはどう思われますか。私はこう思います。この院長の発言は、医療側が医療過誤訴訟を攻撃する時によく耳にする議論です。曰く「医療過誤訴訟が医療を萎縮させ、医療の発展を阻害し、結局は多くの患者に不利益をもたらす」。この医療萎縮論には大きく3つの間違いがあります。日本の医療過誤訴訟は医療を萎縮させる程被害患者を救済していないこと、損害賠償について医療だけが聖域に置かれる根拠がないこと、そして被害を受けた患者の視点が全く欠けていることです。院長の発言に即して言えば、お断りなんかしないでしょう、不注意で人を死なせても仕方ないということですか、死なされた患者のことは考えないのですか、と問い返したいと思います。

3 交通事故と医療事故は違う???

またこの論文では、交通事故の基準を医療事故に当てはめることに対する疑問として、交通事故では健康な者が突然被害に遭うのに対し、医療事故はもともと何らかの疾患を有し健康を害している者であることを挙げています。わかりやすく言えば、どうせ病人ではないか、どうせ死に近い高齢者ではないか、というわけです。

しかし、誰もが思うように、死ななくても良い者が死んでしまった無念は病人であろうが、高齢者であろうが何も変わるところはありません。このような患者や高齢者をないがしろにする見方は、医療事故に限らず、医事紛争の根本原因になるものです。

4 医療訴訟の目的は???

私は、ある医療過誤訴訟に関する書籍で、次のように書きました。

「被害克服のポイントは、事実の究明、被害に対する補償などを通じて憎しみ(あるいは仇討ち・後悔)の感情から少しでも脱却することである。」

「医療機関に誠実な説明や謝罪をさせることも医療被害克服に資するところが大きい。」

この論文では、この記述を引用して、医療過誤訴訟は「真実の発見と憎しみの解放を目的とすることから、とりわけ、慰謝料について異なる基準で算定すべきではないかという提言をするのが本稿の目的である。」と述べています。お金を目的としていないのだから、慰謝料は安くても良いだろうというわけです。

医療被害克服のポイントとして私が指摘したことは、私が考えたことではなく、医療被害を受けた方々から学んだことです。誠実な説明や謝罪の持つ意味も同様です。40数年の経験を通して、その確信は揺るぎないものになっています。しかし、まさかそれを慰謝料低額化に利用されてしまうとは思いもよりませんでした。医療被害者の皆さんに申し訳ない気持ちで一杯です。

今後こうした考え方が裁判所の主流にならないよう医療問題弁護団としても論陣を張っていこうと思います。

以上

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