コロナ雑感(五十嵐 裕美)

 東京では、新型コロナウイルス(COVID-19)の新規感染者が日に5000人を越える事態となってきました。本エッセイでは、昨年来のコロナの問題に関して、現時点(2021年8月)で、患者の権利の視点から感じるところを書き記してみたいと思います。雑ぱくな文章になるかもしれませんが、お許しください。
 なお、このエッセイは個人の意見・感想であり、もちろん弁護団としてのものではないことをお断りしておきます。

 医療崩壊という言葉が、連日報道され、2021年8月3日には政府が入院は重症患者以上という方針をいったん示しました。反対意見が強く、この方針は撤回されましたが、中等症等の患者さんが、なかなか入院できない状況は続いており、都内では2021年8月14日現在、自宅療養が21,729人、入院・療養等調整中が13,627人となっています。一般医療への影響も深刻で、つい先日、我が家の向かいのお宅に救急車が来たのですが、何と5時間以上も、そこに停車したままで、最終的には患者さん(コロナではありません)を搬送できたようですが、急を要する疾患だったらどうするのだろうと不安になりました。

 感染症についての基本的な法律は、マスコミなどで「感染症法」と言われていますが、正式な名称は「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」といい、平成10年に成立して平成11年(1999年)から施行されています。それまで日本には、明治以来の伝染病予防法・HIV予防法・性病予防法といった患者から社会を守るという発想の法律しかなく、感染症患者が医療を受ける権利は軽視されていました。この感染症法が成立したことによって、「感染症患者に対する良質かつ適切な医療の提供」が国の責務であることが法律上も明確にされたのです。

 しかし、この国の責務は、現状、必ずしも果たされているとは言えません。日本は、世界でもトップの病床数を有していますが(人口1000人当たり13床)、精神科の病床が多いこと1)2)や病床はあっても感染症の治療に当たる医師などの医療従事者が不足・偏在していることが問題点として指摘されています。また、日本の病院の多くは民間病院で国公立の病院が少なくコロナ患者受け入れを強制できないこと、保健所を縮小する政策をずっととってきたことによる保健所の対応力不足なども言われています。

 今回のような災害級の感染症に対する医療提供体制は、急にできるものではありません。これまでも新感染症が登場したときに体制整備の必要は指摘されていたのに、「喉元過ぎれば」で体制が整えられなかったことが、今日の事態を招いているのではないでしょうか。
 今、医療現場は、目の前の事態への対応で精一杯だと思いますが、行政としては、今回の事態を詳細に記録に残し、今後の政策に生かすべきだと思います。

 また、コロナについての症例データベース研究には、国立国際医療研究センター病院のCOVID-19 REGISTRY JAPANなどがありますが、個人情報に配慮しつつ全国レベルで情報を収集し、ウイルスの正体や治療法についての研究を進めること、若い人にも多くあると言われている後遺障害の実態を明らかにすること、ワクチンの有効性と安全性を検証することなど、国として人的物的資源を投入して中長期的な展望を持って実行してもらいたいと思います。

 21世紀は感染症の時代。COVID-19のような感染症は、今回が最後ということは決してないでしょう。未だ混乱の渦中ではありますが、今回の教訓が今後に生かされることを願っています。
(2021年8月16日)

【付】
「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(前文)
人類は、これまで、疾病、とりわけ感染症により、多大の苦難を経験してきた。ペスト、痘そう、コレラ等の感染症の流行は、時には文明を存亡の危機に追いやり、感染症を根絶することは、正に人類の悲願と言えるものである。
医学医療の進歩や衛生水準の著しい向上により、多くの感染症が克服されてきたが、新たな感染症の出現や既知の感染症の再興により、また、国際交流の進展等に伴い、感染症は、新たな形で、今なお人類に脅威を与えている。
一方、我が国においては、過去にハンセン病、後天性免疫不全症候群等の感染症の患者等に対するいわれのない差別や偏見が存在したという事実を重く受け止め、これを教訓として今後に生かすことが必要である。
このような感染症をめぐる状況の変化や感染症の患者等が置かれてきた状況を踏まえ、感染症の患者等の人権を尊重しつつ、これらの者に対する良質かつ適切な医療の提供を確保し、感染症に迅速かつ適確に対応することが求められている。
ここに、このような視点に立って、これまでの感染症の予防に関する施策を抜本的に見直し、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する総合的な施策の推進を図るため、この法律を制定する。

1) 平成24年(2012年)11月16日 労働省 第1回病床機能情報の報告・提供の具体的なあり方に関する検討会 参考資料1
2) 令和3年(2021年)1月20日 日本医師会定例記者会見「新型コロナウイルス感染症に関する最近の動向について」 資料

解剖と私(大森 夏織)

 最近は法医や病理医を主人公にした漫画やドラマも増えてきました。
 私がはじめて「解剖」を意識したのは、小学生時に放映された不朽の超絶面白名作ドラマ「天下御免」1)です。主人公は平賀源内ですが、若かりし杉田玄白(演者坂本九)も登場人物のひとりで、いつも「腑分け」の見学機会を求めて走り回っていました。
 その後、司法修習生のカリキュラムに司法解剖見学があり、もっとも印象的な修習となりました。

 さて、弁護士になって医療紛争・医療事故・医療過誤案件を扱うようになると、あらためて「解剖」の大切さを実感することが少なくありません。患者さんの解剖がされていれば、死因で争われることもなく、紛争化や紛争長期化を避けられたと思われるケースがあります。ご遺族からすると、ご遺体をこれ以上傷つけたくない、患者さんにこれ以上苦しい思いをさせたくない、という思いから、解剖をお断りする方が少なくありません。まったく無理からぬことではあるとはいえ、医療機関側・医療従事者側がもっと解剖の必要性を真摯に説明していれば変わっていたのではと歯がゆい思いをすることもあります。
 患者が死因不明であったり診断する死因に疑問を持たれたりする場合、医療機関側が解剖について積極的に説明や提案をする義務があるか、つまり死因解明義務があるかどうかについて、法律構成は定まっていないものの、いくつかの裁判例や、医療機関側の弁護士の著作でも肯定されています2)、3)
 2015年10月から、医療法による公的な医療事故調査制度が実施され、患者さんが医療に起因して予期せず死亡した場合、医療事故調査・支援センターへの報告と院内事故調査が必要になっています。この制度では、報告・調査対象全例に解剖実施が要求されていませんが、解剖を実施しなければ死因が明確ではない場合は、ご遺族の同意を得て、当該医療機関自ら、あるいは地域の医療事故調査等支援団体と連携して解剖することが求められます4)。ご遺族の心情に配慮しつつ、ご遺族が解剖の重要性を共有して解剖を受け入れられるような説明モデルなどもあります5)
 このような、医療に関連する死亡ばかりではなく、全ての死因究明の必要性は、「国民が安全で安心して暮らせる社会及び生命が尊重され個人の尊厳が保持される社会の実現に寄与するものであり、高い公益性を有する」のです
(厚生労働省2021年6月公表「死因究明等推進計画」6))。日本の死因究明制度全体も、ようやく法的整備が整いつつありますが、医療に関連する死亡もそうでない死亡も、その原因究明に必要な人的物的体制の整備はまだまだ不足しています7)、8)。私たちの納める税金は、人々のいのちや暮らしを守ることにもっと使って欲しいと日々思っており、死因究明制度の人的物的体制整備も税金の大切な使い道のひとつだと考えます。

 昨年、母が入所施設で誤嚥から心肺停止となり、数日後に搬送先大学病院で死亡しました。念のため当該大学病院での病理解剖を依頼してみたところ、外因死のため警察への届出と検死が必要であると言われ、検死の結果、監察医務院での解剖となりました。これまで遺族代理人として解剖結果の求説明のために監察医務院を訪れる機会はありましたが、よもや自身の実人生で利用者になるとは想像しておらず、感慨深い経験でした。人員体制も満足ではないであろうに丁寧な対応をしてもらい、感謝しています。

以 上 

1) 1971-1972NHKにて放映。脚本早坂暁ほか
2) 児玉安司「死因の説明過誤事件」
   信国幸彦編「医事法判例百選第2版」(有斐閣、2014年)76頁
3) 西内岳・許功・棚瀬慎治編「改定版 Q&A 病院・医院・歯科医院の法律事務」
   (新日本法規出版株式会社、平成28年)347頁
4) 厚生労働省「医療事故調査制度に関するQ&A
5) 日本医療安全調査機構「医療事故調査制度関係資料~病理解剖説明資料
6) 厚生労働省「死因究明推進計画
7) 松山健「死因究明等推進計画、閣議決定される」
   (医療事故情報センターニュース400号
8) 福島至「死因究明制度の概要とその問題点」
   (2021年東京弁護士会夏期合同研究会分科会資料)

医療事故相談者の想い(奥山 渡志也)

 私は、いままでたくさんの医療事故相談をお受けして、相談者は様々な想いをお持ちであると感じてきました。もちろん、医療機関に責任を取らせたい、損害賠償請求をしたいという想いが主な希望である方もいます。一方で、そもそも何が起きてしまったのか、なぜ不幸な結果が生じてしまったのか知りたい、真実究明をしたいという想いや、過ちがあったのであればそれを認めて謝罪してほしいという想い、また、同じような被害に遭う方が今後出ないよう被害を教訓として再発防止に努めてほしいという想いが主な希望である方もいます。

 このように相談者の想いが様々であることを踏まえて、お話を伺う際には、どのような想いが最も強いのかを意識するようにしています。なぜなら、事案によって、ある想いにはこたえられても、他の想いにはこたえられないということがあるからです。
 また、お話を伺っても、損害賠償の可否はそれだけで判断がつくことはまずありません。医療記録、医療文献を十分に調査して、ようやく真実に近づくことができるのですが、調査を始めるとなると、弁護士費用が発生することになります。
 そこで、調査の依頼を受ける前に、何のために調査を行うのか、この調査を行うことによって、相談者の方のどのような想いにこたえることができるのか、逆に、どのような想いにはこたえることが難しいのかをできる限り説明するようにしています。
 例えば、責任追及が困難に思われる事案であっても、第三者である弁護士が調査をすることで、いったいどのような医療行為が行われ被害が発生するに至ったのか、その内容はある程度明らかになります。それは、損害賠償には結びつかなくとも、真実に近づき、医療被害を理解し咀嚼していくために、とても有用なことだと思います。また、調査結果を踏まえて疑問点について、改めて医療従事者に説明を求めることで、より納得が得られることもあります。

 このように、相談者の想いに耳を傾け、今まで学んできた知識経験から、相談者の想いにどのように寄り添っていけるかについて、よく説明をして、ご納得・ご了解をいただいたうえで手続きを進めていくことがとても大切だと考えています。
 医療事故の相談は、調査から解決まで数年に及ぶこともある事件類型です。その意味で、相談者から依頼を受けた場合、付き合いも長期に及ぶことになります。そして、弁護士は相談者と一緒に手続きを進めていく伴走者のような存在ですから、長距離を走り始める前に、その行先や走り方については十分に意見交換をしていることがとても重要だと思います。
 もし、医療被害に遭われて、ご相談をされる際には、ご自身の想いをすべてお話しください。私は、弁護士として、その想いにおこたえできるよう全力で努めていきたいと思っております。

以 上