喉の痛みと嗄声で大学病院を受信。初診から長い年月を経てからの生検でがんと診断され、治療が開始されたが、再発を生じて喉頭全摘出に至った。
裁判において担当医は「生検を受けるように説明したのに患者が拒否した」と供述したが、カルテに説明に関する記載がないことから、担当医の供述は採用できない、仮に説明したとしてもその内容は不十分であったと認定され、生検を実施し診断のうえ、治療を開始すべき注意義務の違反が認められた。
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インプラントホットラインに参加して
弁護士 井上 拓
私は、平成24年4月28日に医療問題弁護団が主催した「インプラントホットライン」に参加した際に感じたことと、本年から医療問題弁護団に入団した私が、医療事件に携わる弁護士になろうと考えた動機について、簡単に述べたいと思います。
「インプラント」とは、体内に埋め込まれる器具の総称であり、このうち、失われた歯根に代えて顎骨に埋め込む人工歯根のことを「歯科インプラント」といいます。歯科インプラントに係る医療行為のことも単に「歯科インプラント」というので、以下でもそのような表現をします。
近年、歯科インプラントは、歯科治療の有効な手段として注目されていますが、一方で、歯科インプラントに関するトラブルが、増えています。
その原因としては、歯科インプラントは自由診療であるから、保険診療と違って監督官庁の監視が届きにくいこと、標準的な方法が確立されていないこと、治療費の高額さゆえ十分な技術を持たない医師が安易に歯科インプラントを行いがちであることなどが言われています。
この問題を解決するべく、医療界及び法曹界の双方が、動きました。
医療界では、日本歯科医学会が近く、歯科インプラントに関するガイドラインを作成する予定です。法曹界では、医療問題弁護団の歯科部会が「インプラントホットライン」という電話による無料法律相談会を企画しました。
私は、平成24年4月28日に行われた、医療問題弁護団主催の「インプラントホットライン」に電話相談の担当者として参加しました。
インプラントホットラインの相談担当者は、事前に行われた研修会で、歯科インプラントに関する医学的及び法的な基礎事項を学んでいたため、当日の法律相談は大きな混乱もなく、スムーズにいったと思います。
驚いたのは、その件数です。4名ずつ交代で法律相談を担当しましたが、電話で相談を受けている最中に、次の相談の電話がかかってきます。全員が電話に出ている場合は、赤いランプが光り、次の電話がかかっていることを知らせてくれるのですが、私の記憶では、ほぼずっと赤いランプが光っていたように思います。したがって、電話を切ると、すぐに次の電話が鳴る、という状態でした。
インプラントホットラインは、テレビ番組でも取り上げられたため、周知に成功した面はあったと思いますが、これだけひっきりなしに法律相談の電話が鳴るということは、それだけ歯科インプラントについて悩んでいる人やトラブルで困っている人が多いからではないでしょうか。
また、当日の記憶を振り返ってみると、「噛める喜び」についての記憶が鮮やかですので、そのことについて述べます。詳細の紹介は控えますが、歯科インプラントの治療後しばらくは問題がなかったが、その後に不具合が生じたという事案でした。問題なのは「不具合」ですので、それについても聴取しましたが、相談者の方は、(一時的とはいえ)不具合が生じるまでに享有した「噛める喜び」について、熱く語っておられたことを、よく覚えています。
入れ歯ではなく、自分の歯であるかのような、フィット感と噛み心地。自らの歯で噛むことができなくなった人にとって、「噛める喜び」を享有できることは、極めて大きな価値です。そして、それゆえ、歯科インプラントには必要性があり、多くの需要があるのです。
しかし、他方で、歯科インプラントの需要がこれからも増えていくことを考えるとき、ますます安全なものであって欲しいと願わざるを得ません。そして、私は、このインプラントホットラインへの参加を、この願いを叶えるための、具体的な行為の1つであると整理しています。つまり、紛争解決の現場から、歯科インプラントの安全な運用構築に貢献していきたいと考えています。
最後に、歯科インプラントに限らず、私が医療問題に携わる弁護士になろうと考えた動機を述べます。
医療の目的は、患者の生命・健康を守ることにあります。そして、この目的を阻む敵は、内外にいる、ということを認識することが第一歩であると考えます。
外の敵は、ウィルスであったり細菌であったり、直接的に患者の生命・健康を蝕むものです。これに対しては、研究者を含む医療界の方々が日々格闘されており、感謝と尊敬の限りです。不断の努力の結果、地球上から駆逐したものさえあります。
しかし、他方で、敵は内にもいます。それは、個人(医師)あるいは組織(病院)自体がもつ「甘さ」や「油断」です。この「敵」と戦うため、個人レベルでは倫理研修がなされ、組織レベルではガバナンス体制が構築されるのだと思いますが、この内なる「敵」に対する対抗手段が必ずしも十分ではない医療機関が少なくないから、医療過誤が尽きないのではないでしょうか。
私は、医療問題に携わる弁護士としての使命は、この内なる「敵」を駆逐することだと考えています。確かに、患者側を代理して、医師や病院側と争うこともあるかもしれませんが、本当の「敵」は医師や病院そのものではなく、個人の「油断」やそれを防げないガバナンス体制の「甘さ」であると認識しています。我が国の医療機関から、この内なる「敵」を駆逐できたとき、医療過誤は激減し、医療水準はさらに高まるものと確信しています。
そして、そのために、尽力する所存です。以上
「権利侵害申立てに関する委員会決定 『大学病院教授からの訴え』」に対する申入書
1.平成22年2月28日放送のテレビ朝日・朝日放送共同制作の報道番組「サンデープロジェクト」中、「密着5年 隠蔽体質を変える~大学病院医師の孤独な闘い~」と題する特集コーナーにおいて、金沢大学附属病院で起きた「患者の同意なき臨床試験」をめぐる裁判と大学病院側の対応等が取り上げられました。
本件放送に対して、金沢大学附属病院産婦人科学講座の教授より、放送倫理・番組向上機構(BPO)の「放送と人権等権利に関する委員会」(委員会)に対し、人格権侵害等の違法と放送倫理違反の申立てがなされ、委員会は、平成23年2月8日の「権利侵害申立てに関する委員会決定『大学病院教授からの訴え』」(http://www.bpo.gr.jp/?p=2611&meta_key=2010#b_01)において、本件放送に放送倫理上の問題および表現上の問題がある等と判断しました。
しかし、本決定には、重大な事実誤認及び判断の誤りがあります。誤りのある決定を訂正することがないまま放置し続けることは、BPOのあり様として由々しき事態であり、今後の医療過誤・医療事故に関する適切な報道を萎縮させるものです。
そこで、当弁護団は、BPOに対し、本決定の誤りを詳細に説明して、誤りの訂正などを求める申入書を提出しました。
2.これに対し、BPOからは、「本件申入書に対して具体的な回答や見解を示すことは差し控えさせていただきます。」との回答がありました。
何の説明もないまま、当弁護団が提示・説明した誤りを正さないという態度は、「正確な放送と放送倫理の効用に寄与すること」を目的としているBPOの今後の有り様に禍根を残すのではないかと危惧します。
「権利侵害申立てに関する委員会決定
『大学病院教授からの訴え』」に対する申入書
放送倫理・番組向上機構
理事長 飽戸 弘 殿平成24年6月5日医療問題弁護団
代表 弁護士 鈴 木 利 廣
(事務局)東京都葛飾区西新小岩1-7-9
西新小岩ハイツ506 福地・野田法律事務所内
電話 03(5698)8544 FAX 03(5698)7512
HP http://www.iryo-bengo.com/
当弁護団は、東京を中心とする250名余の弁護士を団員に擁し、医療事故被害者の救済、医療事故の再発防止のための諸活動を行うことを通じて、患者の権利を確立し、かつ安全で良質な医療を実現することを目的とする団体です。
平成22年2月28日放送の報道番組「サンデープロジェクト」中、「密着5年 隠蔽体質を変える~大学病院医師の孤独な闘い~」と題する特集コーナー(以下、「本件放送」といいます。)において、金沢大学附属病院で起きた「患者の同意なき臨床試験」をめぐる裁判と大学病院側の対応等が取り上げられました。同裁判では、同大学病院入院中の患者(以下、「本件患者」といいます。)が同病院で実施されたクリニカルトライアル(*1)に症例登録され、そのプロトコールに基づく化学療法を受けたか、本件患者を同クリニカルトライアルに症例登録することにつき、医師は、これを説明して同意を得る義務があったか、その義務違反があったときの慰謝料額はいくらか等が争われ、金沢地方裁判所平成15年2月17日判決及び名古屋高等裁判所金沢支部平成17年4月13日判決を経て、最高裁判所で本件患者の遺族の請求を一部認容する判決が確定しました(以下、地裁判決と高裁判決とを「両判決」といいます。)。
本件放送につき、金沢大学附属病院産婦人科学講座の教授より、貴機構の放送と人権等権利に関する委員会(以下、「委員会」といいます。)に対し、人格権侵害等の違法と放送倫理違反の申立てがなされました。委員会は、「権利侵害申立てに関する委員会決定『大学病院教授からの訴え』」(以下、「本決定」といいます。)において、本件放送に放送倫理上の問題および表現上の問題がある等と判断しました(*2)。
しかし、申入れの理由記載のとおり、本決定には、重大な事実誤認及び判断の誤りがあります。
貴機構は、「正確な放送と放送倫理の高揚に寄与することを目的」として、「言論・表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理上の問題に対し、独立した第三者の立場から対応」することとしています。そして、日本民間放送連盟と日本放送協会が1996(平成8)年9月19日に制定した放送倫理基本綱領では、「万一、誤った表現があった場合、過ちをあらためることを恐れてはならない。」「報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない。」と定めています。貴機構の委員会決定が広く公表されるとともに、決定内容が報道一般に対して1つの指標を示すことになる以上、貴機構の委員会が、誤りのある決定を下した場合において、それを訂正することがないまま放置し続けることは、貴機構のあり様として由々しき事態です。特に、本決定を誤ったまま放置すれば、今後の医療過誤・医療事故に関する適切な報道を萎縮させることとなります。
したがって、当弁護団は、患者側で医療事故問題に取り組む立場から、かような事態を改め、今後同様の過ちが発生することがないよう、貴機構に対し、以下のとおり、申し入れます。(*1) 平成7年9月、北陸GOG研究会(Hokuriku Gynecologic Oncology Group)では、卵巣癌に対する最適な治療法を確立するために、CAP療法とCP療法とを無作為で比較する試験ないし調査を始めた(以下「本件クリニカルトライアル」という。)。地裁及び高裁では、後述するとおり、本件患者が本件クリニカルトライアルに症例登録されたか否か、当事者間で「比較臨床試験」の概念につき争われ、本件クリニカルトライアルが各当事者の主張する「比較臨床試験」に該当するか否か等が争われた。
(*2) 本決定の「放送内容の概要」を、本申入書添付の【別紙】に引用する。
申入れの趣旨
- 委員会ないし貴機構は、本決定のうち下記(1)ないし(3)の点に関する誤りを訂正されたい。(1) 「高裁は、このクリニカルトライアルが遺族らが主張するような『比較臨床試験』とはいえないと明言したうえで、地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し」たと判断した上で、「裁判では『同意なき臨床試験』であったという遺族側の主張が一貫して認められたかのように伝えている。こうした説明は、裁判全体を通じての判決内容の要約として著しく雑であり、裁判所の判断について視聴者の認識を誤導する恐れがあった。」とし、「本件放送は内容が正確性を欠いている点において放送倫理上の問題がある」とした点
(2) 「症例登録票についてまで『カルテの改ざん』という表現を用いて批判したことは、言葉足らずで、表現上の問題があったとの批判を免れない」とした点
(3) 「医療過誤と説明義務違反は本来別種のことがらであり、視聴者に対してそれを混同させ、ひいては金沢大学事件も本来の意味での医療過誤事件であったと誤解させる恐れがあった点で、不適切で不正確な表現である」とした点 - 委員会ないし貴機構は、本決定により不利益を受けた利害関係者である打出喜義医師に対し、本決定の誤りに関する事情を説明されたい。
- 貴機構は、専門性の高い分野を取り上げた番組について審理するときには、その分野の専門家を委員として加える等、専門的知識・知見を獲得する仕組みを構築されたい。
- 貴機構は、利害関係者等から決定に誤りがあるとの申立てがあったときには、決定を出した委員会とは構成メンバーの異なる別の合議体において、同決定に対する再審理を実施する仕組みを構築されたい。
申入れの理由
第1 「同意なき臨床試験」が行われたことを認める判決が確定した等の情報が不正確である、との指摘について
- 本決定の要旨(1) 本決定は、本件放送内における「高裁でも遺族の主張が認められ、病院側が上告を断念。患者の同意を得ずに臨床試験を行ったうえ、改ざんまで行ったことが判決で確定したのだ。」とのナレーションが、視聴者に対し、[1]「病院が患者の同意なき臨床試験を行ったということを裁判所も認め、それが最高裁まで行って確定した」という情報(以下「[1]情報」という。)、[2]「その裁判において病院が事実を隠すために証拠を改ざんしたことも同様に認定され、確定した」という情報(以下「[2]の情報」という。) を提供しているとする(p13)。
そして、[2]の情報については「放送倫理上の問題はないと判断する」が(p15)、[1]の情報については、「本件放送における説明は不正確であり、放送倫理上の問題がある」とした(p13)。(2) 本決定は、「治療に実験的、試験的要素があったことと、地裁判決が病院側に重い説明義務違反を指摘したことを考えれば、本件放送において、裁判所が『同意なき臨床試験を行ったことを認めた』と表現したことはあながち間違いとはいえない。」(p14)と判断する。(3) そのように判断しながら、本決定は、「高裁は、このクリニカルトライアルが遺族らが主張するような『比較臨床試験』とはいえないと明言したうえで、地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し、損害賠償の額も72万円と大幅に減額した」(p14)と指摘して、[1]の情報が不正確であるとする。(4) そして、本決定は、ナレーションが、遺族側のした上告が棄却されたという事実に触れず、「裁判では、『同意なき臨床試験』であったという遺族側の主張が一貫して認められたかのように伝えている。」ことにつき、「裁判全体を通じての判決内容の要約としては著しく雑であり、裁判所の判断について視聴者の認識を誤導する恐れがあった。」と指摘する(p14)。(5) さらに、上記[1]の情報が不正確であるとの前提に立ち、「金沢大学事件裁判の経緯についての紹介の仕方は、上訴審以降の経過を捨象し、その結果を誤り伝えたため、裁判所が、病院で行われたクリニカルトライアルがもっぱら実験目的を主とした比較臨床試験として行われたものであったと認定したかの如くに説明した点において不正確なものとなっている。」と指摘している(p17)。 - 本決定の問題点(1) 同意なき臨床試験であった事実は裁判で一貫して認められている
- ア 本決定は、上記1(4)のとおり、「裁判では、『同意なき臨床試験』であったという遺族側の主張が一貫して認められたかのように伝えている。」ことが、「裁判全体を通じての判決内容の要約としては著しく雑であり、裁判所の判断について視聴者の認識を誤導する恐れがあった。」と指摘する。しかし、以下に説明するとおり、同意なき臨床試験であった事実は裁判全体で一貫して認められており、本件放送に「著しく雑であり」「視聴者の認識を誤導する恐れがあった」と指摘される理由はない。
- イ 裁判では、本件患者が本件クリニカルトライアル(前掲(*1)参照)に症例登録され、そのプロトコールに基づく化学療法を受けたか否かが、争点となっていた。病院側は、本件患者が症例登録された事実はないと主張していた。この点について、地裁判決は、病院側の主張を排斥し、本件患者がクリニカルトライアルに症例登録され、そのプロトコールに基づく化学療法を受けた事実を認定した(同判決第3「当裁判所の判断」1)。高裁判決も、「当裁判所も、[本件患者]は、本件クリニカルトライアルの対象症例として登録され、本件プロトコールに従ったCP療法を受け、第1サイクル目の抗がん剤の投与を受けたと認定する」([]内は判決の文言を置き換えたもの。以下、判決文言の置き換え、ないし、判決文の注釈を挿入する場合、[]で表記する。)とし、その理由についても、一部補正したほかは、地裁判決の理由のとおりであるとして地裁判決をそのまま引用している(同判決第3「当裁判所の判断」1)。すなわち、本件患者が本件クリニカルトライアルに症例登録されていたことは、地裁・高裁ともに認めている。
- ウ また、本件クリニカルトライアルへの症例登録につき本件患者の同意を得なかった事実については、地裁では、「[本件患者]に対する説明と[本件患者]の同意を得ることなく、[本件患者]を本件クリニカルトライアルの対象症例として登録し、本件プロトコールにしたがった治療をした」と判示して、上記事実を認定している(同判決第3の2(5))。高裁でも、「[本件患者]に対し、本件クリニカルトライアルの目的、本件プロトコールの概要、本件クリニカルトライアルに登録されることが[本件患者]に対する治療に与える影響等について説明し、その同意を得る義務があったところ、[主治医の]医師を含む控訴人病院の医師が[本件患者]に対して同説明をせず、その同意を得なかったことは弁論の全趣旨に徴して明らかである」と判示し、やはり本件患者の同意を得なかった事実を認定している(同判決第3の4(2)キ)。すなわち、本件クリニカルトライアルの対象症例としそのプロトコールにしたがった治療を行うことにつき、本件患者の同意を得なかったことも、地裁・高裁ともに認めている。
- エ 以上のとおり、同意がないまま、本件患者が本件クリニカルトライアルに症例登録され、そのプロトコールに基づく化学療法を受けた事実は、地裁判決・高裁判決とも一貫して認定するところである。病院側は上告をしていないから、この事実は、地裁、高裁、最高裁と一貫して認められた事実である。
- オ そして、「クリニカルトライアル(clinical trial)」の和訳は、「臨床試験」であり、「臨床試験」は「予防・診断・治療のための物質や器具、方法の有効性や安全性を調べる目的で、人間を対象にして行われる試験の総称」(近藤均ら編『生命倫理事典』p638、太陽出版、2002年)である。本件放送で、「クリニカルトライアル」という言葉ではなく、「臨床試験」という言葉を用いて、裁判所が本件患者の同意を得ずに臨床試験を行ったと認定したと説明したことは、極めて正確な表現である。
- カ したがって、「病院が患者の同意なき臨床試験を行ったということを裁判所も認め、それが最高裁まで行って確定した」という情報は、極めて正確なものであり、本件放送の説明に「著しく雑であり」「視聴者の認識を誤導する恐れがあった。」等と指摘することは明らかな誤りである
- ア 本決定は、上記1(5)のとおり、本件放送につき、「裁判所が、病院で行われたクリニカルトライアルがもっぱら実験目的を主とした比較臨床試験として行われたものであったと認定したかの如くに説明した」と評価している。
- イ しかし、この評価は誤りである。
- ウ 本件放送は、裁判所が、病院でもっぱら実験目的を主とした比較臨床試験が行われた事実を認定した等ということはおろか、そもそも、もっぱら実験目的を主とした比較臨床試験が行われた等とも、一切説明していない。本件放送が、裁判に関して視聴者に対し提供している情報の要旨は、本決定が指摘するように、[1]の情報と[2]の情報にすぎない。また、本件放送の中で以下の2つのコメントで、「実験」という言葉が登場する。しかし、これらは、本件患者の気持ちを紹介したもの、あるいは、「大学病院医師の孤独な闘い」として本件放送で取り上げられた「大学病院医師」打出喜義医師(以下、「打出医師」という。)の見解を紹介したものに留まっている。これらをもって裁判所が上記認定をしたかの如く説明したと言えないことは言うまでもない。さらに、上記のとおり、本件放送は、もっぱら実験目的を主とした比較臨床試験が行われたこと等、一切説明していないのであるから、かかる気持ち及び見解の紹介をもって、裁判所が上記認定をしたかの如く説明したと言うこともできない。よって、本件放送から、病院がもっぱら実験目的を主とした比較臨床試験を行った、あるいは、そのような事実を裁判所が認定したとの情報をくみ取ることはできない。【「実験」という言葉が登場する場面】
・本件患者が弁護士に宛てた手紙の内容の紹介
「私が是非お伝えしたいことは、治療が実験だったことです。いろんな薬を患者に何の説明もなしに使い分けていたのでした。」
・打出医師のコメント
「患者さんに黙って、まるで、なんか、実験材料みたいに人間をしていって、そんな話、ずっと前から無い訳でして」 - エ したがって、「裁判所が、病院で行われたクリニカルトライアルがもっぱら実験目的を主とした比較臨床試験として行われたものであったと認定したかの如くに説明した」との本決定の評価は、誤りというほかない。※ なお、本件クリニカルトライアルに治療目的以外の実験目的が存在したか、実験目的を優先させたかについて、両判決の認定は次のとおりである。(ア) 実験目的の有無につき、地裁判決は、「患者のために最善を尽くすという本来の目的以外に、卵巣癌の治療法の確立に寄与するという他事目的が考慮されている」(同判決第3の2(3))とする。高裁判決も、「実験的ないしは試験的な側面があり、そのことが副次的な目的となっていた」(同判決第3の4(2)ア)、「高容量のCAP療法とCP療法との無作為比較試験を通じての検討という他事目的があるが故に、[本件患者]の個別具体的な症状を捨象した画一的治療が行われる危険性を内包する危険がある」(第3の4(2)ウ)、「患者のために最善を尽くすという治療目的以外に、本件クリニカルトライアルを成功させ、その目的に寄与するという他事目的が考慮されていることになる」(第3の4(2)エ(ア))としている。したがって、両判決とも、本件クリニカルトライアルに治療目的以外の実験目的が存在したことを認めている。(イ) さらに、両判決は、医師が本件患者に対する最善の治療よりも実験目的を優先させたか否かについて、次のように判断した。まず、地裁判決は、[1]本件患者に対するCP療法が無作為割付によるものと考えられることや、[2]本件プロトコールどおりにCP療法1サイクルを行っていることなどを挙げ、「本件プロトコールにこだわらず、[本件患者]にとって最善の治療方法を選択したと認められる特段の事情」を認めることはできないとした。高裁判決も、[1]本件患者に対するCP療法が無作為割付によるものと考えられることや、[2]患者の腎機能を示す値が下がっていた際、相当と考えられる慎重な措置をとることなく、本件プロトコールに従ってCP療法1サイクルを実施したことなどを挙げ、「担当医師の、本件クリニカルトライアルの本件プロトコールを[本件患者]に対する最善医療義務の履行に優先させる心理状態による影響を疑わせるものがある」と判示した。したがって、地裁判決・高裁判決は、いずれも、担当医の医療措置が、患者に対する最善の治療よりも実験目的を優先させたものであると積極的に認定するには至っていないものの、少なくともその疑いを容れている点で共通するものである。
- ア 医師の説明義務の範囲(ア) 説明義務の範囲に関する本決定の内容本決定は、両判決を以下のとおりに要約し、それを前提に、「高裁判決は、このクリニカルトライアルが遺族らが主張するような『比較臨床試験』とはいえないと明言したうえで、地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し」たと評価している(決定p13以下)。※ 「遺族らの主張するような比較臨床試験に該当するか否か」の判断と「医師の説明義務の範囲」の判断とは関連性がない(両判決共通)。この点は後述する。【地裁判決】
「当該患者に対しては基本的な治療方法の選択(重い副作用を伴う化学療法の採用等)については説明されているものの、その具体的内容について、投薬の予後に関するデータを集積するため、使用薬剤の組成が異なる二つの療法のいずれを選択するかについて、無作為の割付によって適応患者をグループ化し、その具体的内容を当該患者に説明することなく、一方の療法を実施したことは、医師に許されている合理的裁量の範囲を超えるものであり、この実験的性格をもつ『他事目的』について担当医師は患者に説明し、その同意を得る義務があった・・・同意を得なかった担当医師の行為は、医師に許される合理的な裁量の範囲を逸脱して」いる。【高裁判決】
「二つの療法(※CAP療法とCP療法)は、治療上の効果、副作用の出現に有意の差は認められておらず、いずれを選択するかということ自体については医師の合理的な裁量の範囲内にあるものだと認定し、この点に関する地裁の判断を否定した」
「このような副次的目的を伴う『他事目的随伴行為』については、医師に許された合理的裁量の範囲内であって、そのことの説明がないからといって直ちに患者の自己決定権の侵害としての説明義務違反をきたすものではない」
「ただし本件の場合においては、担当医師に対して、クリニカルトライアルの手順書に書かれている指示を患者に対する最善治療義務の履行に優先させる心理的影響を及ぼしかねず、事実そのような状況にあったと思わせることがあった等の理由から、その限りにおいて『他事目的』を説明する義務があった」(イ) 地裁判決における判断医師の説明義務違反の有無に関する地裁判決の判断は、【別表1】「地裁判決の判示」のとおりである(同判決第3「当裁判所の判断」2)。要約すれば、医師は患者に対して、治療の具体的内容として CP療法・CAP療法のどちらを選択するかについては説明する必要はないが、最善を尽くすという本来の目的以外に、本件クリニカルトライアルを成功させ卵巣癌の治療法の確立に寄与すると言う他事目的が考慮されており(他事目的が治療方法の具体的内容の決定に影響を与え得る場合であり)、最善の治療を選択したと認められる特段の事情がない限り、クリニカルトライアルの対象症例とすることにつき同意を得る義務があった、と地裁は判断している。これを整理すれば、[1] 治療方法について、患者には概要を説明すれば足りる。治療方法の具体的内容まで説明する義務はない。
なぜならば、患者は「医師が、患者の現在の具体的症状を前提に」「許された条件下で最善と考える方法を採用する」と信頼するからである。
つまり、治療方法の具体的内容については、個々の患者の同意までは不要であり、医師がその内容を決定できる。[2] ところで、治療行為が患者の治療目的とは別の目的を持つことがある(他事目的)。[3] この他事目的が治療方法の具体的内容の決定に影響を及ぼすことがある。[4] [3]の場合は、他事目的に関し説明する義務が生じる。
なぜなら、具体的治療方法を決定するにあたって「患者の現在の具体的症状を前提に」した最善の医療が採用されない危険があるからである。[5] 本件は[3]の場合に該当する。
したがって、特段の事情がない限り、他事目的に関する説明義務が生じる。
というものである。※ 地裁判決は、抗癌剤治療としてCP療法・CAP療法のいずれを選択するのかは、上記の「具体的内容」にあたり、医師の裁量の範囲であって、患者にどちらを選択するのかを説明する必要はない、とは明示していない。しかし、一般的に二つの療法の選択についての説明義務を認めているのであれば、本件ではその説明義務違反の有無のみ判断すれば足りるはずである。しかし、地裁判決は、他事目的の有無をわざわざ判断し、その判断に基づき説明義務違反を導き出していることから見て、他事目的がなければ、二つの療法の選択については説明する義務は生じないと判断しているものと考えられる。地裁判決が、本件で説明すべき・同意を得るべき内容を、CP療法・CAP療法のどちらを実施するか、ではなく、「本件クリニカルトライアルの対象症例にすること」としていることとも符合する。(ウ) 高裁判決における判断以上の地裁判決における判断に対応する高裁判決における判断は、【別表2】「高裁判決の判示」のとおりである(同判決第3「当裁判所の判断」4)。これを地裁判決の論理の流れに沿って整理すれば、[1] 医師の説明義務一般について、地裁判決とほぼ同様の見解を示す。[2] 治療行為に他事目的が随伴することがある。[3] この他事目的が加わることによって、もともとの治療行為にはない「権利利益に対する侵害の危険性」が生じることがある。[4] [3]の場合は、他事目的に関し説明する義務が生じる。
なぜなら、他事目的があるがゆえに、例えば、当該患者の個別具体的な症状を捨象した画一的治療が行われる等して、医師の最善医療義務の履行が阻害される危険があるからである。[5] 本件は[3]の場合に該当する。
したがって、最善医療義務の履行が阻害されていないといえるような事情がない限り、他事目的に関する説明義務が生じる。というものである。(エ) 両判決の示す説明義務の範囲は一致している以上のとおり、地裁判決も高裁判決も[1] 医師は、治療の概要を説明すれば足り、その具体的内容を説明する必要はない。[2] 医師は、患者の症状などに応じて最善の医療を提供しなければならない。
※ これを地裁判決は「期待」といい、高裁判決は「医師の最善医療義務」と表現した。[3] 治療に他事目的が随伴し、その他事目的の存在ゆえに、最善の医療が提供されないおそれがあれば、医師は患者に対し、その他事目的に関して説明しなければならない。※ 説明すべきとされる場面は、地裁判決では「他事目的を有していて、この他事目的が治療方法の具体的内容の決定に影響を与え得る場合」とし、高裁判決では「他事目的が随伴することにより、他事目的が随伴しない治療行為にはない権利利益に対する侵害の危険性があるとき」としている。
すなわち、両判決どちらも、単に他事目的があるだけで説明義務を生じさせるとはせず、前項[2]に反する事態を招く場合に説明義務が生じるとしている。[4] 本件は、前項[3]にあたり、他事目的に関して説明義務を負っており、説明義務違反があった。としており、他事目的に関する説明義務が生じる根拠も説明義務が発生する要件も同じである([3]のとおり、表現には違いがあるが、説明義務発生の根拠は同じであり、具体的あてはめにおいて違いが生じるとは考えにくい)。したがって、高裁判決が、「地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小した」と評価することは到底できない。(オ) 以上のとおり、本決定は、[1] 両判決とも、抗癌剤治療として二つの療法のどちらを選択するかにつき、医師は患者に説明する必要はない、と判断しているにもかかわらず、あたかも両判決が異なるかのように要約した。[2] 両判決とも、他事目的の存在のみで説明義務が生じるとはせず、最善の医療を受けられるであろうという患者の期待・医師の最善医療義務に反する事態を招く場合に説明義務が生じるとしたにもかかわらず、あたかも両判決が異なるかのように要約した。との2点において、両判決の読み誤りがあり、この読み誤りを前提にしたために「地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小した」との誤った判断を導いたものである。※ 両判決の評価
研究者は、両判決を以下のとおり評価している。○ 安藤高行「近年の人権判例(1)」九州国際大学法学論集14(3), p338(1)-266(73), 2008年
「2審判決は相当詳細であるが、それは1審判決が比較的簡潔にのべていることを敷衍したものであり・・両判決の基本的な構造はほぼ同じである。」(p279(60)-278(61))
「両判決とも、医師は患者に対し、自らの意思で当該治療法を受けるか否かを決定することができるよう、『患者の現在の症状、治癒の概括的内容、予想される効果と副作用、他の治療方法の有無とその内容、治療をしない場合及び他の治療を選択した場合の予後の予想等』(2審判決では、『当該治療の診断(病名と症状)、実施予定の治療法の内容、その治療に伴う危険性、他に選択可能な治療法があれば、その内容と利害得失、予後など』)について説明し、同意を得る義務があるとし、さらにこうした一般的説明義務に加えて、治療行為に治療以外の他の目的が随伴し、『この他事目的が治療方法の具体的内容の決定に影響を与え得る場合』(2審判決では、『他事目的が随伴することにより、他事目的が随伴しない治療行為にはない権利利益に対する侵害の危険性があるとき』)には、そのことについても説明し、同意を得る義務があるとするのである。この一般的な説明・同意取得義務に加えて第2の説明・同意取得義務が存在することの指摘と、それが本件では履行されていないとの判断が、両判決の最も注目される点といえよう。」(p278(61)) - イ 「比較臨床試験」該当性囲(ア) 本決定は、上記1(3)のとおり、高裁が「クリニカルトライアルが遺族らが主張するような『比較臨床試験』とはいえない明言したうえで、地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し、損害賠償の額も72万円と大幅に減額したのである」と述べ、クリニカルトライアルが遺族らが主張するような「比較臨床試験」に該当するか否かによって、両判決における病院側の説明義務の範囲や損害賠償額の認定に差異が現れたように指摘する。しかし、このような指摘も、以下のとおり誤りである。(イ) 裁判では、本件患者遺族側と病院側とが主張する「比較臨床試験」の概念に対立が見られ、「本件クリニカルトライアル」が「比較臨床試験」に該当するかが争点とされた。すなわち、本件患者遺族側は、「『当該患者の治療を第1目的とせず、新薬や治療法の有効性や安全性の評価を第1目的として、人を用いて、意図的に開始される科学的実験であり、複数の治療方法・薬物の有効性・安全性を比較研究することを目的とするもの』を比較臨床試験と定義し、本件クリニカルトライアルは『比較臨床試験』である」と主張した。これに対し、病院側は、「『比較臨床試験』とは、(1)医薬品の製造承認を受けるための臨床試験(治験)、(2)医薬品の市販後調査のうちの市販後臨床試験、(3)病院内で、市販医薬品の保険適用外使用や院内特殊製剤の製造と使用を目的とした院内臨床試験等に限られ」、これらは「治療よりは試験または実験に重点がおかれる」が、「本件クリニカルトライアルのような医薬品の保険適用使用内での最適治療法の開発研究は、『比較臨床試験』には該当しない」と主張した(地裁判決第3の2(1)、高裁判決第3の4(1))。(ウ) この点について、地裁判決は、「医師が患者を試験ないし調査の対象症例とすることについて患者に対するインフォームドコンセントが必要か否かは、その試験ないし調査が『比較臨床試験』に該当するか否かによってアプリオリに決まるものではな[い]」と判示して、本件クリニカルトライアルが、本件患者遺族側の主張する「比較臨床試験」に該当するか否かの判断をしなかった。そのような判断を経ずに、本件クリニカルトライアルに症例登録するにあたって、本件患者に説明しその同意を得る義務があったことを認めた(同判決第3の2(1)イ以下)。(エ) これに対し、高裁判決は、「本件クリニカルトライアルは、そこに症例登録された進行期Ⅱ以上の卵巣がんの患者に対するCAP療法又はCP療法による化学療法を行うこと、すなわち、治療を主たる目的としたものであって、被控訴人[本件患者遺族側]らが主張するような・・『比較臨床試験』とはいえない」と判示した。しかし、このことから、説明義務が必要か否かをアプリオリに決めることはせず、やはり本件患者に説明しその同意を得る義務があったことを認めた(同判決第3の4(2))。(オ) 以上のとおり、両判決とも、本件クリニカルトライアルが、本件患者遺族側の主張する「比較臨床試験」に該当するか否かによって、病院側の説明義務の範囲や損害賠償額を決したわけではない。この点、本決定は「高裁は、このクリニカルトライアルが遺族らが主張するような『比較臨床試験』とはいえないと明言した(a) うえで、地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し(b)」たとするが、(a)と(b)の間には論理的な関連性がないとするのが両判決であるから、本決定の解釈は誤りである。
- ウ 損害賠償額を減じた理由(ア) 本決定の内容本決定は、上記1(3)のように、高裁が、地裁判決の認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小したことから、損害賠償の額を減少するに至ったものと理解していると考えられる。しかし、以下のとおり、説明義務の範囲等が損害賠償額に影響を及ぼしたものとは認められず、この点でも決定は判決を誤って理解している。(イ) 説明義務違反と損害医療の現場において、医師が説明義務を尽くさず、その結果として患者に損害が生じたのであれば、医師はその損害を賠償しなければならない。そして、仮に、説明義務が尽くされていたなら、患者の判断が異なったと認められる場合には、生命・健康被害に関する全損害を賠償しなければならない。また、患者の判断が異ならなかったと認められる場合には、自己決定権侵害に対する慰謝料を賠償しなければならない(藤山雅行編著「医師の説明義務」p13、新日本法規、2006年)。(ウ) 自己決定権侵害と慰謝料の算定両判決は、自己決定権侵害に対する慰謝料の支払いを認めた。このような自己決定権侵害に対する慰謝料額を算定するにあたっては、患者の被害状況(含、後遺症)、改善の見込み、事故の原因・態様、患者の素因・病歴、治療自体の必要性等の諸事情が考慮されてきたが、慰謝料算定の統一的基準はなく、どの事情を考慮すべきかは各裁判所の判断に任されている(手嶋豊「医療における同意の前提としての説明義務に違反したために認められた慰謝料額の算定に関する考察」ジュリスト1199号P18)。(エ) 両判決の違い地裁判決は、[1]「医師が[本件患者]のために最善の治療をしてくれていると信じて苦しい抗がん剤治療に耐えてきたのに、本件クリニカルトライアルに登録されていたことを知り、自分に対する治療が一種の実験だったと理解し、激しい憤りを感じた」こと、[2]投与されたシスプラチンは添付文書記載の範囲内ではあるものの医療慣行に基づく標準的な用量よりも高容量であったこと、[3]平成10年1月16日にはシスプラチンの投与量を25%減量するのが適当であったこと、[4]減量せずにシスプラチンの投与を続けたことが同日以降の腎機能低下の一因となったこと、[5]シスプラチンの投与量が高容量であったが故に副作用の程度が激しくなった可能性は否定できないこと、[6]ただし、その副作用の程度は[本件患者]の予想を超えるものであったとまでは言い難いこと、これらの各事情を総合勘案し、慰謝料として150万円を認めた(なお、ここで、シスプラチンを減量しなかったことは「適当」ではない、と判断されているが、減量しなかったことを「過失」「注意義務違反」と捉えているわけではなく、あくまで慰謝料算定の1つの事情として考慮するにとどまっている)。これに対し、高裁判決は、前記[1]の事情を考慮しつつ、[7]「[本件患者]に対して本件プロトコールに従ってCP療法による化学療法をしたことに関して、[本件患者]に対して不適切な医療行為がされた事実を認めることはできないこと、[8]被控訴人らが主張する他の説明義務違反もこれを認めることはできないことから、慰謝料として60万円を認めた。
両判決の違いは、地裁判決が[2]~[5]の事情を慰謝料増額事由と捉えたのに対し、高裁判決が[7]のとおり[2]~[5]の事情は存在しないと捉えたことに起因する([8]の「他の説明義務違反」は控訴審において追加された主張であるから、地裁段階で考慮されていないのは当然のことである)。(オ) 結論このように、高裁判決で慰謝料額が減額されたのは、本件患者に対する抗がん剤治療に過失とはいえないまでも不適当な点があったかなかったかの判断が異なったからである。両判決を通じて、過失・注意義務違反の態様やその非難度が慰謝料額算定に考慮されたとは読めないし、ましてや、「説明義務の範囲」「医師の裁量の幅」が慰謝料額に影響を及ぼしたものでもない。
- 結論本決定は、[1]の情報が不正確であることの理由につき、地裁の判断と高裁の判断の違いを挙げているが、以上述べたとおり、いずれも失当である。確かに、地裁判決と高裁判決とでは、表現方法やシスプラチン減量の不実施の適否、慰謝料額において異なる点があり、そのような差異を本件放送が紹介していないことは事実である。しかし、両判決は、同意なき臨床試験の存在、これに関する説明義務、その違反等の認定・判断において異なるものではなく、「地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し」たとの指摘は誤りである。なお、両判決が示す説明義務の理解については、医事法学的観点からはその是非につき議論のあるところではあるが、その議論は本申入れの理由と関連がないため、ここではこれ以上論じない。また、本件放送が伝える「裁判では『同意なき臨床試験』であったという遺族側の主張が一貫して認められた」という事実も、正確なものである。 したがって、本決定の「上訴審以降の経過を捨象し、その結果を誤り伝えた」との評価は誤っており、本件放送における説明が不正確として放送倫理上の問題があるとする指摘は不当なものである。
第2 症例登録票についてまで「カルテの改ざん」という適切とはいえない表現を用いた、との指摘について
- 本決定の要旨(1) 本決定は本件放送について、「金沢大学事件が『カルテを改ざんした医療過誤』事件であるかのように受け止められかねない点において、適切とはいえない表現がある」と述べている(決定p12)。その根拠は本決定によれば次のとおりである。(2) 「改ざん」という表現は、本来「字句などを改めなおすこと。多く不当に改める場合に用いられる」(広辞苑第六版)という意味であり、日常的にもそのように理解されているから、同一文書に新たに書き込まれる場合にはそのような表現が適切であるが、金沢大学事件のように、本来一つであるべきものが複数存在するという場合には、必ずしも適切とはいえない(しかし、この点は不問、決定p16)(3) 金沢大学事件は、本来的には私的文書である症例登録票の真否が問題となっていたところ、番組中では、病院側が提出したこの症例登録票の問題についてまで、視聴者が「カルテ」の改ざんと混同ないしは同一視しかねない表現が用いられている。すなわち、番組最後における大谷昭宏氏による「カルテ(診療記録)の改ざん」(*3)(*4)という表現は、同事件について「改ざん」という指摘を繰り返した上でのことなので、カルテを含む診療記録と、手続上の文書と理解される症例登録票との間の質的な差異にかんがみれば、症例登録票についてまで「カルテの改ざん」という表現を用いて批判したことは、言葉足らずで、表現上の問題があったとの批判を免れない(決定p16)。(*3) 「カルテ(診療記録)の改ざん」との表現のうち、「(診療記録)」との表現は本決定において書き加えられたものであり、本件放送中、「カルテ(診療記録)の改ざん」との表現は使用されていない。以下、同じ。
(*4) なお、本決定は、オープニングにおける大谷氏の表現にも言及している。しかし、その表現については「番組の冒頭であるため、直接には金沢大学事件を指しているのではないと解することができる」(決定p16)として、問題視していない。 - 本決定の問題点以上のとおり、本決定は、カルテと症例登録票との質的な差異を強調し(後者は手続上の私文書にすぎないとする)、本件放送が不真正な症例登録票の作出に対して必ずしも適切とは言えない「改ざん」という指摘を繰り返した上で、番組の最後に「カルテの改ざん」という表現を用いたものであり、結果的に金沢大学事件が「カルテを改ざんした医療過誤」事件であるかのように受け止められかねないと認定している。そこで、このようにカルテと症例登録票との質的な差異という着眼点から、番組の表現を批判することが妥当であるかどうかを検討する。かかる検討にあたっては、[1]番組の最後における「カルテの改ざん」という表現によって、金沢大学事件がカルテそのものを改ざんした事件であると受け止められる恐れがあるといえるか、[2]そもそもカルテを含む診療記録と症例登録票との間には質的な差異があるのか(不真正な症例登録票を作出することの実質的意味)、[3]症例登録票は「診療記録」という概念に含まれるのではないか、が問題となる。(1) [1]金沢大学事件がカルテそのものを改ざんした事件であると受け止められる恐れについて大谷昭宏氏は、番組のコメンテーターとして、オープニングでは、「半ば公然とカルテ改ざんを行うなど悪しき体質も残ってるんですね。」と発言し、また、番組最後では、「厚労省が医療事故調査委員会を設けてますけど、これもですね、カルテの改ざんということを止めなかったら、せっかくこの制度を作ってもですね、いくらでも隠されてしまうわけですから、まずそういうところで罰則を作って、それを止めるということが必要じゃないかと思うんですね。」と発言している(前記(*4)のとおり、このオープニングの発言には表現上の問題はないと判断されている)。これらの発言は、医療界における悪しき体質(事実を隠ぺいするためには、医療側に保管されている資料を改ざん・ねつ造することも厭わない体質)をあくまでも一般論として述べ、その代表例として「カルテ改ざん」を挙げたにとどまり、金沢大学事件において「カルテ改ざん」が行われたと指摘するものではない。本件放送の視聴者においてもそのように理解するものと考えられる。したがって、番組の最後における「カルテの改ざん」という表現によって、金沢大学事件がカルテそのものを改ざんした事件であると受け止められる恐れは、そもそも見い出し難い。(2) [2]診療記録と症例登録票との質的差異(不真正な症例登録票を作出することの実質的意味)についてア 症例登録票に関する裁判所の認定(ア) 金沢大学事件の裁判において、地裁は、本件クリニカルトライアルへの症例登録の手続について、概ね次のように述べ、高裁もこれを引用している。すなわち、「参加施設の担当医は、本件クリニカルトライアルの対象となり得ると考える症例があれば、本件プロトコールが対象症例の条件として掲げている前記各項目(診断名、臨床進行期、生年月日、年齢、パフォーマンスステイタス、骨髄機能、肝・腎機能、少なくとも2コース以上の化学療法が可能であるか否か)について、当該症例がこれらを満たしているか否かを記載した症例登録票を作成して(以下この記載部分を「条件部分」という。)、登録事務局に送付する。事務局は症例登録票の条件部分の記載をもとに、対象症例としての条件を満たしているか否かを判断し、[中略]事務局は、選択条件を満たしていると判断した症例について、CAP療法かCP療法かの割り付けを行い、担当医に通知する。」というのである(地裁判決第3「当裁判所の判断」1(1)、高裁判決第3「当裁判所の判断」1)。(イ) また、裁判に証拠として提出された症例登録票には、遺族側提出のものと病院側提出のものの2つが存在したところ、地裁は、本件患者について、「原告提出症例登録票が作成され、登録事務局によって選択条件を満たしていることが確認され、症例番号が付され、コンピュータ管理されていた登録症例の一覧表にデータ入力されたことによって、本件クリニカルトライアルの対象症例として登録され」たものと認定し(同判決第3の1(2))、高裁もこの認定を維持している(高裁判決第3の1)。すなわち、裁判所は2種類の症例登録票のうち遺族側提出のものを真正なものと認め、病院側提出のものに対してはその真正性に疑念を述べているのである。このように病院が不真正な症例登録票を作出することには、実質的にみて次のような問題点がある。イ 不真正な症例登録票が臨床研究に与える悪影響本件クリニカルトライアルは、高裁の認定によれば、「専ら患者の治療のみを目的として定められたものでないこと」が「明らか」であり、「実験的ないしは試験的な側面」のあるものであった。すなわち、本件クリニカルトライアルは、一般的な意味での臨床研究的な側面があったことを否定できない。そして、地裁の認定(高裁同旨)によれば、症例登録票は、本件クリニカルトライアルの対象症例として登録される前提として、選択条件を満たしているかどうかを確認するための文書であるから、当該患者が本件クリニカルトライアルの対象症例として登録されるか否かを左右するものであるといえる。それは、まさに本件クリニカルトライアルという臨床研究の適正性及び信頼性に対し重大な影響を与えるものである。そうだとすれば、症例登録票は、その真正性が強く要求されるべきものであり、これを恣意的に作出することは、当該患者の治療にとどまらず、本件クリニカルトライアルという臨床研究の結果をも歪めてしまうことであるといえる。したがって、不真正な症例登録票を作出することは臨床研究全体を歪めることであり、そのような事態を放置することは、適正性ないし信頼性のない臨床研究により有用性を認められた療法を受ける将来の患者(国民)の利益を損なうことになる。ひいては我が国の将来の医療にも悪影響を及ぼしかねない。ウ 「カルテ改ざん」と変わらない症例登録票の改ざん仮に症例登録票の改ざんをもって「カルテ改ざん」と称したとしても、両者の間にその重大性において差異はなく、これを誤りと指摘することは正しくない。すなわち、診療の経過において、患者は自己に対し行われた検査・診断や治療の内容・意義をすべて把握しているとはいえない。そうであるところ、医療事件では、医療側で保管されている医師カルテ、看護記録、検査所見記録などの診療の過程で医療者が作成する資料が重要な証拠なる。このような資料が医療側の手で改ざん・ねつ造され、裁判に証拠として提出されることになれば、患者側が求める真実の究明は図られず、司法の判断も歪められる。医師カルテ、看護記録、検査所見記録はもちろん、臨床研究の症例登録票であっても、これらの改ざん等は、患者を真実から遠のけ、司法の判断を歪める虚偽の証拠の作出に外ならない。よって、カルテの改ざんと症例登録票の改ざんとで、非難の程度に変わりはない。そして、「患者の同意なき臨床試験」をめぐる裁判のように、医療事件で改ざん等が立証できることは稀であり、本件放送が訴えるのは、他にもカルテ改ざんによって司法判断が歪められている例があるのではないか、そのような隠蔽体質を改めていかなければならないということである。以上のカルテ改ざんと症例登録票の改ざんとの間にその重大性において差異が認められないこと、本件放送が訴えるところに照らせば、仮に、本件の症例登録票の改ざんを「カルテ改ざん」と指摘したとしても、これが「適切とはいえない表現」であるとの評価はあたらない。エ 小括このように、不真正な症例登録票の作出には、その重大性において「カルテ(=診療録)」そのものの改ざんと変わらない、あるいは、それ以上の弊害があるのであるから、症例登録票と診療記録とを質的に区別する本決定の指摘は誤りである。(3) [3]症例登録票が「診療記録」という概念に含まれるか否かについてア 「カルテ」と「診療記録」医師が診療をしたときに診療に関する事項を記載したものを「診療録」といい、その記載事項は「[1]診療を受けた者の住所、氏名、性別及び年齢、[2]病名及び主要症状、[3]治療方法(処方及び処置)、[4]診療の年月日」とされている(医師法24条1項、同法施行規則23条)。一般に「カルテ」という用語はこの「診療録」を指している。また、法律上、病院が備えて置かなければならないものとして、「診療に関する諸記録」があり、その内容は「過去2年間の病院日誌、各科診療日誌、処方せん、手術記録、看護記録、検査所見記録、エックス線写真、入院患者及び外来患者の数を明らかにする帳簿並びに入院診療計画書」と定められている(医療法21条1項9号、同法施行規則20条10号)。これに対して、「診療記録」とは、厚生労働省による「診療情報の提供等に関する指針」によれば、「診療録、処方せん、手術記録、看護記録、検査所見記録、エックス線写真、紹介状、退院した患者に係る入院期間中の診療経過の要約その他の診療の過程で患者の身体状況、病状、治療等について作成、記録または保存された書類、画像等の記録をいう。」とされている。すなわち、「診療録」「診療に関する諸記録」以外の文書等であっても、たとえば診療情報提供書など、当該患者の診療に何らかの関連を有するものであればすべてまとめて編綴し「診療記録」として保管している病院もまれではないし、これにとどまらず、当該患者の診療に関連して担当医が作成した文書や画像等データであれば、必ずしも編綴されていないものであっても、広義の「診療記録」と呼ぶことができる。このように、「診療記録」とは、医師、看護師等の医療従事者が当該患者の診療に関連して作成した文書等の総体であり、「カルテ(=診療録)」を包摂する上位概念である。イ 本決定における「カルテ」の概念本決定16頁(3)イの項には、「カルテを含む診療記録と、手続上の文書と理解される症例登録票との間の質的な差異」という表現があり、その点から見ると、「診療記録」が「カルテ(=診療録)」を包摂する概念であることが前提とされていると思われる。しかし、他方で、同項には、見出しも含めて2度、「カルテ(診療記録)の改ざん」という表現が出てくる。本決定が「カルテ」という概念を「診療記録」と区別していないのであれば、症例登録票と「診療記録」との関係を論じる上で、看過できない概念の混乱が生じているものというべきである。ウ 症例登録票の性質高裁が引用している地裁判決の認定からすると、症例登録票は、それが本件クリニカルトライアルの対象症例となるかどうかを判断するという目的でのみ用いられるという意味で、使用目的が限定されているとはいうものの、担当医が作成した当該患者についての診療情報の記載のある文書であって、結局これをもとにして当該患者に対して加えられる治療方法が決定されるのであるから、たとえばある医療機関が他の医療機関に対して発行する診療情報提供書などと同様の性質を有するものである。したがって、症例登録票は、単なる登録事務手続上の文書ではなく、上記アで述べた「診療記録」という概念に含まれるものというべきである。
- 結論上記のとおり、本件放送における「カルテの改ざん」という表現によって、金沢大学事件がカルテそのものを改ざんした事件であると受け止められる恐れはない。また、仮に本件放送における「カルテ改ざん」という表現によって、視聴者が金沢大学事件を「カルテ改ざん」があった事件であると受けとめたとしても、不真正な症例登録票を作出することは、不真正な「診療記録」を作出することにほかならないし、実質的にみれば、「カルテ(=診療録)」の内容を改ざんすることとその重大性において異なることはない。更にいえば、不真正な症例登録票の作出は臨床研究というものを将来にわたって歪め続けるという弊害を有する行為であって、「カルテ改ざん」よりも悪質とすら評価しうるものである。以上より、「金沢大学事件が『カルテを改ざんした医療過誤』事件であるかのように受け止められかねない点において、適切とはいえない表現がある」としたBPOの批判は当たらない。
第3 「医療過誤との闘い」が不適切な表現である、との指摘について
- 本決定の要旨本決定16頁以下では、本件放送において、金沢大学事件を医療過誤であると表現することが不適切であるという趣旨の指摘がなされている。すなわち、本決定においては、「同事件は、説明義務違反の有無が争われたものであり、医療ミスを追及する医療『過誤』事件ではない。医療過誤と説明義務違反は本来別種のことがらであり、視聴者に対してそれを混同させ、ひいては金沢大学事件も本来の意味での医療過誤事件であったと誤解させる恐れがあった点で、不適切で不正確な表現である。」との記載をし、本件放送における問題点とされている。
- 本決定の問題点しかしながら、医療過誤は、注意義務に違反して患者の権利を侵害したものをいうから、医師及び医療機関に課された説明義務に違反して自己決定権を侵害した場合は、医療過誤と呼ぶに相応しいものである。本決定における判断の前提である「医療過誤と説明義務違反は本来別種のことがら」との指摘は、医療過誤についての誤った理解に基づくものである。以下、(1)ないし(3)において詳述する。(1) 「医療過誤」との用語が指す意味についてア 一般に「医療過誤」との用語については、次のような理解がされている。すなわち、「医療行為から何らかの有害な結果が生じる場合を一応「医療事故」と総称することができる・・・。・・・医療過誤とは、医療結果の発生をもたらしたり、あるいはその防止・回避のための措置を怠ったりした医師・医療行為従事者側の行為である」(莇立明・中井美雄ら編「医療過誤法」p32、青林書院、1994年)。そして、近年の裁判実務においては、「医療過誤訴訟または裁判といえば、医師の過失責任の有無が問われる民事事件を指す」ものとの一般的な認識がある(同p18)。このように、「医療事故」のうち、「過失によって惹起された悪結果」(菅野耕毅「医療過誤責任の理論」p12、信山社、2001年)が「医療過誤」に該当すると考えられている。イ 以上のような理解は、医療界においても一般に受け入れられている。すなわち、医療の質用語事典編集委員会「医療の質用語辞典」p244(日本規格協会、2005年)では、「医療事故」とは、医師ないし医療機関の責任の有無に関係なく「医療に関わる場所で、医療の全過程において発生する事故」と広義に捉えられている。これに対し、「医療過誤」とは、「医療事故」の中でも、「医療を提供する過程で何らかのミス(見込みのミス等注意義務の怠りからくるもの)があった場合」(同書同頁)をいうものとされる。ウ 以上のとおり、「医療過誤」とは、「医療事故」のうち、医療機関における注意義務違反による過失が認められる場合に用いられる用語である。(2) 説明義務及び自己決定権の位置づけア 1981年世界医師会総会でのリスボン宣言において、医療従事者が是認し推進すべき患者の主要な権利として、選択の自由や自己決定等が挙げられた。このように1980年代には、医師が患者に病状などを説明すべきこと及び治療を行うにあたっては患者の承諾が必要であることが広く認識されるようになり、インフォームド・コンセントと自己決定権についての考えが医療界の中でも確立された。
現在では、例えば、「医師が患者に対し、治療に関する情報をプラスの要因もマイナスの要因もあわせて十分に提供し、患者が自己の身体に関するコントロールを自己決定できるように説明する義務」(前田和彦「医事法講義」p225、信山社、2007年)があると説明されている。
また、医療機関向けの書籍である、森山満「医療過誤と医療事故の予防と対策 病院・医院の法的リスクマネジメント」p20(中央経済社、2002年)では、説明義務の内容について、一般的には下記の内容を含むとしている。[1]患者の知る権利(説明を受ける権利)に対応する説明義務[2]患者の有効な同意を得るための説明義務[3]患者に選択させるための説明義務[4]「悪しき結果」を避けるための療養指導義務としての説明義務このように、医師の患者に対する説明義務は患者の自己決定権を確保することに根拠を有すると考えられており、自己決定権を保障するための説明義務の履行として、医師及び医療機関におけるインフォームド・コンセントの実践が求められているのである。イ 患者の自己決定権の尊重やそれを保障するためのインフォームド・コンセントの重要性が認識されるようになったことをふまえ、民事裁判実務においても、患者の自己決定権を法的保護の対象とする判例が下級審で積み重ねられ、2000年以降次のような最高裁判例が形成されるに至った。[1] 医療行為を受けるに際して意思決定する権利を人格権として捉えた判例(最判平成12年2月29日民集54-2-582)
「患者が、輸血を受けることは自己の宗教上の信念に反するとして、輸血を伴う医療行為を拒否するとの明確な意思を有している場合、このような意思決定をする権利は、人格権の一内容として尊重されなければならない」[2] 乳がんの治療方針について、未確立療法を含む複数の選択肢が存在する場合において、患者に治療の選択の決定権を認めたと解される判例(最判平成13年11月27日民集55-6-1154)
「未確立の療法(術式)ではあっても、医師が説明義務を負うと解される場合があることも否定できない。・・・(中略)・・・患者に対して、医師の知っている範囲で、当該療法(術式)の内容、適応可能性やそれを受けた場合の利害得失、当該療法(術式)を実施している医療機関の名称や所在などを説明すべき義務がある。」[3] 帝王切開を希望する患者に対して経膣分娩の危険性や帝王切開術との利害得失についての説明が十分になされなかった事案において、説明義務を認めた判例(最判平成17年9月8日最高裁判所裁判集民事217号681頁)
「分娩誘発を開始するまでの間に、胎児のできるだけ新しい推定体重、胎位その他の骨盤位の場合における分娩方法の選択にあたっての重要な判断要素となる事項を挙げて、経膣分娩によるとの方針が相当である理由について具体的に説明するとともに、帝王切開術は移行までに一定の時間を要するから、移行することが相当でないと判断される緊急の事態も生じうることなどを告げ、その後、陣痛促進剤の点滴投与を始めるまでには、胎児が複殿位であることも告げて、Xらが胎児の最新の状態を認識し、経膣分娩の場合の危険性を具体的に理解した上で、Y1の下で経膣分娩を受け入れるか否かについて判断する機会を与えるべき義務があったというべきである。」そして、現在の裁判実務においては、「人が自己の身体について最終的な決定権を有していることを前提として、医師は、患者を治療するに際しては、患者又はその法定代理人に対して、当該疾患の病名と病状、実施予定の治療の内容、治療に付随する危険性、他の選択可能な治療方法内容と利害損失、予後等について説明し承諾を得る義務があり、患者の承諾のない医療行為は原則として違法であって損害賠償請求権の根拠となる」(光岡弘志「説明義務違反をめぐる裁判例と問題点-説明義務の成否及び内容の問題を中心として」判例タイムズ1317号p31~32、2010年)との考え方が定着しているのである。ウ 以上のように、医療界において、医師が患者の自己決定権を尊重するために説明義務を負うとの考え方が、国際的に確立されている。これを受けて、民事裁判実務において、患者の自己決定権を法的な保護の対象とするという判例が続き、医師の患者に対する説明義務違反が人格権の侵害となると考えられるようになった。(3) 説明義務違反による自己決定権の侵害が医療過誤となることア 以上からすると、説明義務は、患者の自己決定権の保障を確たるものとするために医師ないし医療機関に課された法律上の注意義務であり、かかる注意義務違反があれば人格権侵害の法的責任が認められうることとなる。医療過誤という場合、生命・健康被害には限られず、上記のような自己決定権侵害も含まれるとするのが、今日の一般的な用法である。したがって、説明義務という注意義務を負っている医師がその義務の履行を怠り、生命・健康被害をもたらした場合に限らず、患者の自己決定権を侵害したのであれば、それは正に医療過誤と呼ぶに相応しいものである。イ このように、説明義務違反を医療過誤の1つと捉えるのが一般的な見解である。例えば、「医事法判例百選」(有斐閣別冊ジュリストNo.183、2006年)においても、「第9章 医療過誤」の項目において、「説明義務と同意」とのテーマで、説明義務違反の裁判例の紹介がなされており、説明義務違反を「医療過誤」として扱っている。また、森山満「医療過誤と医療事故の予防と対策 病・医院の法的リスクマネジメント」(中央経済社、2002年)は、弁護士である著者が医療関係者向けに著した書籍であるが、「§1-Ⅱ医療過誤の民事責任の根拠と類型」において、医療過誤を「単純過失型」と「患者の自己決定権侵害型」に分けて病院のリスクマネジメントを提唱しており、説明義務に違反して自己決定権を侵害することが医療過誤にあたることを前提としている。 - 結論以上述べたように、説明義務違反は「医療ミス(医療過誤)」の一類型であり、「医療過誤と説明義務違反は本来別種のことがら」と捉えるべきではなく、説明義務に違反して患者の自己決定権を侵害した場合は、「医療過誤」というに相応しいものである。よって、本件放送が、両判決によって説明義務違反による自己決定権侵害が認められた金沢大学事件を「医療過誤」と表現したとしても、その表現が不適切かつ不正確な表現であるとの指摘は正当な批判とはいえず、誤った理解に基づく不当な評価と言わざるを得ない。
第4 結語
- 判断の誤りの訂正(1) 誤りは訂正すべき貴機構のホームページの2011年5月17日第172回委員会議事録(http://www.bpo.gr.jp/brc/giji/2011/172.html#02)には、次の記載がある。「本事案の『委員会決定』に関連して、番組に登場する大学病院医師から弁護士を通じてBPO宛「通知書」が届いた。」
「『通知書』では、『委員会決定』が、医師の勤める大学病院で起きた医療事件の民事裁判高裁判決を誤って解釈しているとして、この点についても訂正を求めているが、委員会の判断に変わりがないことを改めて確認し、その旨回答することとした。」しかし、上記第1に前述したとおり、本決定は、金沢大学事件高裁判決を誤って解釈している。加えて、上記第2および第3に前述したとおり、「症例登録票についてまで『カルテ改ざん』という表現を用いて批判したことは……表現上の問題があった」、「医療過誤と説明義務違反は本来別種のことがら」という判断も誤っている。決定内容に誤りがある以上、これを訂正すべきことは当然である。(2) 誤判断の放置による人権侵害とりわけ、本決定の誤りは、本件放送の取材対象者である打出医師の人権を侵害するものであるから、訂正の必要性は高い。すなわち、打出医師は、金沢大学において「同意なき臨床試験」「改ざん」が行われたことを憂慮し、同大学医学部・病院を良くしたいと願って「孤独な闘い」を強いられながら、被験者・患者の権利擁護のために患者遺族に協力する活動を行っていた。しかし、本決定は、金沢大学事件は「病院が患者の同意なき臨床試験を行ったということを裁判所も認め、それが最高裁まで行って確定した」事件ではない、そして「地裁判決が認めた医師の説明義務の範囲を大幅に縮小し」た、と誤って判断した。この誤判断は、放送で紹介された打出医師の見解や活動そのものが間違いであるとの印象を強く与えるものであり、同医師の活動の意義と成果を否定したに等しい。また、「カルテ改ざん」および「医療過誤」ではないと誤って判断したことで、金沢大学事件が「カルテ改ざん」も「医療過誤」もない事件であるとの印象をさらに助長するに至っており、その結果として、打出医師の活動に否定的評価を与えることになっている。したがって、誤った決定を訂正せずに放置し、公表し続けることは、打出医師の人権を侵害するものである。したがって、本申入れの趣旨記載のとおり、本決定は訂正されるべきである。 - 不利益を受けた利害関係者に対する説明誤った決定により不利益を受けた利害関係者がいるときには、その者に対して真摯に事情を説明すべきである。前記第4、1(2)に述べたとおり、打出医師は、本決定により人権侵害を受けており、不利益を受けた利害関係者である。したがって、委員会は、同医師に対し、本決定の誤りに関して真摯に事情を説明すべきである。
- 専門的知識・知見の獲得委員会の決定は、個別の権利侵害申立事件に対する判断ではあるが、その決定内容は、「申立人と放送局に通知するとともに公表し広く周知され」(BPOホームページ)、個別事件を越えて、放送・報道一般に広く影響を与えるものである。このような性質を持つ委員会において、誤った決定がなされれば、放送・報道一般に不当な萎縮効果をもたらすことになりかねない。したがって、委員会の審理手続においては、できる限り判断を誤らない仕組みを構築すべきである。この点、委員会は、「放送と人権」分野に関する見識はあるとはいえ、あらゆる専門分野に精通している訳ではない。したがって、専門性の高い分野を取り上げた番組について決定を下すとき、特に、決定において専門性の高い事柄について言及するときには、正確な専門的知識・知見に基づいた適切な判断を行えるように、その分野の専門家を委員に加えるか、少なくとも、専門家から意見聴取する機会を設ける方法等により、専門的知識・知見を獲得する仕組みを設ける必要がある。本決定は、臨床試験における患者の同意に関する医療事故・医療判例を取り上げた番組を対象としたものである。臨床試験における被験者の権利、医療事故および医療判例は、いずれも極めて専門性の高い分野である。この分野に精通している専門家は、医事法の専門家(医療事故のみならず、臨床試験における被験者の権利にも学識のある者が望ましい。)である。確かに、委員会の中には、医事法分野の書籍の編者になったことのある委員や、医療事件の取扱経験のある委員はいる。しかし、本決定において、医事法の専門家であれば決して犯さないであろう誤判断をしたことに鑑みると、本決定に関与した委員には、医事法の専門家はいなかったと考えざるを得ない。そうであれば、本件では、医事法の専門家を委員として加えるべきであった。少なくとも、審理過程において、医事法の専門家から正確な専門的知識・知見の教示を受けて、専門的意見を聴取する機会を設けるべきであった。特に、本決定では、臨床試験における患者の同意に関する医療判例の読み方、医療事故で使用されている用語の使い方など、極めて専門性の高い事柄について言及しているのであり、その必要性は、なおさら高かった。委員会において、専門的知識・知見を獲得する仕組みが整備されていないことが、本件において、上記第1ないし第3のような誤った判断につながったと思われる。ことに、本決定は、臨床試験における被験者の権利、医療における患者の権利(インフォームド・コンセント)を軽視する方向で判断を誤っており、人権の分野は違うとはいえ、人権救済機関という委員会の性格を考慮すると、極めて重大な判断の誤りといえる。よって、貴機構は、委員会において、専門性の高い分野を取り上げた番組について審理するとき、特に、決定で専門性の高い事柄について言及するときには、その分野の専門家を委員に加えるか、少なくとも、専門家から意見聴取する機会を設ける等の方法により、専門的知識・知見を獲得する仕組みを構築されたい。
- 人権を侵害されたとの利害関係者の申立による再審査制度の創設現在、貴機構では、委員会の決定に対する不服審査・再審査制度を置いていないから、委員会の決定に誤りがあった場合でも、決定を是正できる正式な手続はない。しかし、委員会といえども無謬ではない。委員会の決定は、前述のとおり、放送・報道一般に広く影響を及ぼすことに鑑みると、不服審査・再審査制度を設ける等して、決定に誤り(事実誤認や判断の誤り)があるとの申立てがあったときには、同決定を出した委員会とは構成メンバーの異なる別の合議体において、誤りの有無を審理し、誤りがある場合にはこれを正式に是正できる仕組みを構築すべきである。特に、委員会の人権救済機関という性質に鑑みると、誤った決定を訂正せずに公表し続けることで人権侵害を生じさせることは、許されず、不服審査・再審査制度等を設ける必要性は高い。そして、この不服審査・再審査制度においては、申立人と被申立人だけでなく、放送で取り上げられた取材協力者等の利害関係者(以下、「利害関係者」という。)からの不服審査・再審査申立てをも、受け付けるべきである。なぜなら、委員会決定の審理対象である放送には、申立人・被申立人以外の第三者(取材対象者など)の権利や利害が関わっている場合もあり、決定の内容如何によっては、決定そのものが利害関係者に不利益を及ぼしたり、利害関係者に対する権利侵害となることも、あり得るからである。本決定に関する打出医師の「通知書」に対する委員会の対応は、委員会決定の誤りの有無を審理して誤りを是正する正式な仕組みがないことの問題点を、以下のとおり、まさに顕在化したものである。すなわち、本決定は、第1ないし第3に前述したとおり、判断を誤っているから、打出医師の「通知書」が指摘する「『委員会決定』が、医師の勤める大学病院で起きた医療事件の民事裁判高裁判決を誤って解釈しているとして、この点についても訂正を求めている」との主張には合理的理由がある。にもかかわらず、委員会は、「委員会の判断に変わりがないことを改めて確認し、その旨回答」しただけであった。本決定を下した委員会が訂正申入れを自ら再検討することは、審理手続の公正性の観点から問題がある。また、現実問題として、自ら出した決定の誤りを訂正し難いことは、容易に想像がつく。※ なお、本決定は、決定公表後に、打出医師からの訂正申し入れを受け、「2.放送内容の概要」に「(注記)」を加筆して、訂正の申し入れがあった事実を記載した。しかし、決定公表後に事実誤認が判明した場合には、決定内容を正式に訂正すべきであり、「(注記)」の加筆に留めるのは、姑息的な措置と言わざるを得ない。これも不服申立・再審査制度が存在しないことの弊害である。したがって、貴機構は、申立人・被申立人だけでなく、利害関係者から決定に誤りがあるとの申立てがあったときにも、同決定を出した委員会とは構成メンバーの異なる別の合議体において、同決定に対する再審理を実施する仕組みを構築されたい。
以上ページトップへ↑【別紙】
本決定抜粋 「2.放送内容の概要」
2.放送内容の概要
本件放送は、局側から提出された同録DVDによると、概略以下のような内容と認められる。
当該番組は『サンデープロジェクト』の後半部分の特集コーナーで、まずVTRで申立人のもとで産婦人科学講座の講師を務める打出医師が「教授からは嫌われているというか……」と発言し、そのあと「自ら大学病院の医師でありながら、医療界の隠蔽体質を変えるべく立ち向かう一人の医師の闘いを追った」というナレーションが続く。そして「密着5年 隠蔽体質を変える~大学病院医師の孤独な闘い~」というタイトルのあと、生放送のスタジオ部分に入った。ここでは男女のキャスターと、ジャーナリストで番組コメンテーターの大谷昭宏氏が出演し、大谷氏が医療裁判は普通の民事裁判と比べて原告側が勝つのは極めて難しいのが実情で、この背景には医療界の隠蔽体質が残っているためと指摘し、こうした体質と闘う大学病院医師を取材したと述べる。
番組はこのあとVTRに入り、打出医師を紹介したあと、茨城県つくば市の病院での2件の医療過誤裁判を取り上げた。最初は直腸がんの手術をめぐって民事裁判となったケースで、打出医師が患者側に立って争い、病院側の手術ミスとの認定を引き出して勝訴。(注記)本項は本件放送の同録を視聴して委員会として内容を要約したものであるが、本決定の公表後、上記の「直腸がんの手術をめぐって民事裁判となったケース」について、「産婦人科医であり直腸がんの手術については専門外である自分が、患者側に立って意見を述べるようなことはおよそ不可能であって、実際にそのような事実もなかった」旨、打出医師から委員会に対して訂正の申し入れがあったので、その事実を注記する。
2件目は卵巣腫瘍の摘出手術で25歳の女性が死亡したケースで、打出医師が患者側の鑑定医となって証言し、手術ミスが認められて遺族側が勝訴。どちらも打出医師が患者・遺族側に立って行った活動が大きな役割を果たしたことを示すもので、最後の部分では病院側に取材を拒否されたため、自宅と見られる場所で出勤途中の病院長にカメラで撮影しつつ、インタビューを試みたが、病院長は取材を病院で行うよう言い残して車で走り去る。
再びスタジオに戻り、大谷氏が「反論権を担保しようとして病院取材したんですが、結局取材拒否され、そこで直接訪ねたんですが、取材の申し込みがあったことさえ、どうも耳に届いていなかったということじゃないかと思うんですね」と述べる。「裁判が係属中である関係から(中略)取材をご遠慮させていただきたい」という病院側の回答がフリップで映し出される。
このあと、大谷氏が「この筑波の二つの裁判っていうのはまだ係属中ですけど、これ、もし打出さんがいなかったらですね、患者側が勝つってことはですね、まず難しかったんじゃないかなと。そのぐらい隠蔽体質が進行してしまっているっていうことだと思うんですね」とコメントした後、キャスターが「さぁ、なぜ大学病院の現役医師が、患者側に立って闘うようになったのか、続いてこちらです」と金沢大学のストーリーにつなげる。
ここではまず打出医師が医学部を卒業後32年間、出身大学の病院に勤務しているが、仕事はあまりなく、打出医師が「まあ言ってみれば内部告発者ということなんで教授からは嫌われているというか」と述べ、12年前にさかのぼって打出医師が告発に関わるようになったいきさつがナレーションで説明される。それによれば友人の母ががんで金沢大学病院に入院中であったが、本来患者か家族の同意を得て行うべき抗がん剤の臨床試験が患者に無断で行われ、患者は副作用に苦しむ中、無断での投薬実施に大きなショックを受け、弁護士にこれを強く非難する手紙を寄せた後、死亡した。このため遺族が大学病院を相手取って民事訴訟を起こしたが、この時打出医師は患者が実験材料のように扱われたとして、裁判で遺族に協力することを決意したという。
裁判で病院側はこの患者が臨床試験の対象だったかどうかを示す症例登録票を提出したが、そこには患者が試験の条件を満たさず、試験の対象とはならないことが示されていた。ところが裁判では同じ患者の症例登録票がもう一枚出され、これには患者が条件を満たし、試験の対象者であると記されていた。これは打出医師が手に入れ弁護士の勧めで予めコピーしていたものだった。この2枚の登録票について、病院側は病院側提出のものは教授が間違いに気づいて担当医に書き直させたものでどちらも本物と主張した、とのナレーションが入る。
裁判の進行とともに打出医師への風当たりはますます強まり、打出医師は教授に呼ばれて繰り返し同じことを言われたといい、そのうちのやりとりのひとつが打出医師によって録音され、カセットテープの映像とともに教授が打出医師に辞職を求める音声が流される。
話はまた裁判に戻り、2枚の症例登録票を巡り打出医師が用紙の様式の違いを指摘したことなどによって、裁判所は病院側の主張は不合理で採用できないとし、患者に説明と同意を得ずに臨床試験を行ったと認定して病院側に165万円の支払いを命じた。ここで医療過誤裁判のベテラン弁護士が、病院側が出してきたものは改ざんされたものと断定しているに等しい内容だと述べるインタビューが流される。
裁判は高裁に持ち込まれたが、「高裁でも遺族の主張が認められ病院側が上告を断念。患者の同意を得ずに臨床試験を行った上、改ざんまで行ったことが、判決で確定したのだ」とのナレーションが流される。
この後打出医師が3歳の時に母親が死亡し、自分のような母を知らずに育つ子をなくしたいという思いが、産婦人科医を志すようになった原点と紹介する。打出医師は裁判の後大学のハラスメント調査委員会に対して、教授から退職勧告などの嫌がらせを受けていると申し立てた。半年後に調査委員会が回答書を寄せ、退職勧告についてはハラスメントと認定し、学長から教授に厳重注意が申し渡されたことを伝えた。しかし回答書の最後には守秘義務を守るよう求めるくだりがあり、「これは打出医師に対する事実上の口封じに等しかった」とのナレーションが流れる。
打出 | 「これを読むと、どちらが被害者なのか加害者なのかよく分からない」 |
大谷 | 「これだったらハラスメント委員会そのものを設けている必要があるのかっていう気がしますよね」 |
打出 | 「井上教授から僕に対して謝罪とかは一切ありませんね」 |
この回答の3ヶ月後、打出医師は担当医と教授を相手取って検察庁に刑事告発をした。これは打出医師にとって苦悩の末の決断であったが、検察の判断はともに不起訴であり、特に「症例登録票」は医師が私的に作成したもので公文書ではないというのがその理由だったとした。またナレーションは打出医師が病院内で孤立したままで、「改ざん」に関わった医師や教授に対する処分はいまだ、なされていないと伝える。
番組では病院長と教授に取材を申し込んだが、病院長は「裁判の内容等のことであり、答えられない」と拒否し、教授も拒否したため直撃することにした、と直撃インタビューの場面に移る。以下は教授が朝出勤する途上でカメラとマイクが向けられ、記者とのやり取りが行われた映像で、金沢大学病院産婦人科井上正樹教授というスーパーがつけられる。
記者 | 「症例登録票の改ざんという話がありましたですよね」 |
教授 | 「あれは改ざんでも何でもないです。研究者のノートに書いていたものをね、後で検査間違いがあったから直したものだと思いますけどね」 |
記者 | 「ただ先生、判決では病院側の診療登録票は信用出来ないという話」 |
教授 | 「いや、そんなことない、そんなことはないです」 |
記者 | 「されていますよ」 |
教授 | 「いやいやあれは、診療登録とかなんとか一切触れてませんわ」 |
そして、「判決が確定してなお、改ざんを否定する教授、さらに打出医師への退職強要は」とのナレーションが入り、退職勧告の経緯についてもやり取りが交わされた。
このインタビューの場面は1分ほど続いた後、「打出医師が闘い続ける医療界の隠蔽体質、医療過誤裁判の多くで、患者と遺族は真実を知りたいという一念のみで闘う。しかし改ざんや隠蔽が認められるのは極めてまれだ」というナレーションが入り、最後に打出医師がインタビューで、大学病院内で嘘がまかりとおるようなら、ずっと告発をし続けると述べてVTR部分が終わる。
この後スタジオの場面に戻り、キャスターが打出医師の孤独な闘いを強調した後、大谷氏が大学病院はいい意味で打出医師を利用して信頼回復に努めてほしいと思うとコメント。またこの取材を通しての提言として「大谷提言1、医療記録の隠蔽・改ざんへの罰則 2、医療裁判所の創設」と書かれたフリップを示しながら、患者が鑑定医を探すのは大変だから医師免許を持った裁判官が必要であり、またカルテの改ざんに厳しい罰則をもうけたり、医療記録を公文書にすることを提案したところで、特集が終わる。
医療職被害者アンケート結果の報告
- アンケートの方法・目的等(1) 私たちは、「医療職の被害者」および「医療職の被害者家族・遺族」(以下「医療職被害者」といいます。)に対し、医療事故や事故に対する法的行動(弁護士に依頼して、事故調査・示談交渉・訴訟等をすること)に関するアンケート調査を行いました。医療職被害者は、医療者と医療被害者・家族の双方の立場を経験ないし理解していると思われたからです。アンケートは、弁護士を介してアンケート用紙を送付するという方法により行いました。すなわち、医療問題弁護団から、医療職被害者から医療事件の相談・委任を受けたことのある弁護士に発送し、各弁護士からそれぞれの医療被害者(相談者・依頼者)にアンケート用紙を発送してもらいました。医療問題弁護団が弁護士に発送したアンケート用紙の総数は56通であり、2010年5月20日までに、16通の回答を得ました。回収率も低く(28.6%)、回答数も少ないため、本アンケート結果から、医療事故に関する何らかの結論を導き出すことはできません。しかし、医療者と医療被害者・家族の双方の立場を経験ないし理解をしている方々の生の声が反映された貴重な結果ですので、報告させていただくことにしました。(2) なお、本アンケートの質問項目を作成するにあたり、医療事故市民オンブズマン・メディオの了解の下、同団体の「『医療と人権基金』助成研究『医療事故と診療上の諸問題に関する調査』報告書」(2003年12月、http://homepage3.nifty.com/medio/info/reserch2002medio.htm、以下「メディオ調査」という)の質問項目を参考にさせていただきました。メディオ調査は、医療事故被害者(その家族や遺族を含む)一般を対象としたアンケート調査です。本件アンケートの分析では、メディオ調査と同一の質問を設定した項目については、メディオ報告書と比較検討しました。
- 回答者の属性16名の医療資格の内訳は、医師9名、歯科医師2名、看護師・薬剤師が5名でした。うち14名は、現在もその医療資格の職業に従事しており、1名医療事故により休職中、1名は専業主婦・主夫でした。
- 被害について医療被害を受けた時期は、全員1999年以降です。1999~2002年6件、2003~2006年4件、2007~2010年6件でした。医療被害の程度については、死亡7件、身体障害者等級1級または2級相当の重度後遺障害5件、それ以外の後遺障害4件でした。被害に遭った医療機関の種類は、特定機能病院6件、中規模以上の病院7件、診療所・クリニック2件でした。医師で自身の専門領域とする診療科で被害に遭ったとの回答は1名、医師以外で自身と同じ職種の医療者による被害であるとの回答は2名であり、多くの回答者は、自身の専門以外の領域での被害であると回答しました。
- 事故に対する考え・感情事故に対する考えに関する質問(Q6)では、「この事故を避けることができたはずだ」に〈とてもそう思う〉と回答したのは、14名(87.5%)でした。「この事故は特定の個人に責任があると思う」という設問では、〈とてもそう思う〉13名、〈ややそう思う〉2名であり、15名(93.8%)が、個人の行った行為により事故が起こったと考えていました。「自分たちにも問題があると思う」という設問では、〈ややそう思う〉2名(12.5%)であるのに対し、〈そう思わない〉12名(75%)でした。事故に対する感情に関する質問(Q7)では、「怒りを感じる」で〈とてもそう思う)が13名(81.3%)、「うらぎられた」で〈とてもそう思う)が10名(62.5%)、「悲しい」で〈とてもそう思う)が11名(68.8%)、「後悔を感じる」で〈とてもそう思う)が11名(68.8%)でした。〈ややそう思う〉を合計すると、14名〈87.5%〉、13名〈81.3%〉、13名〈81.3%〉、14名〈87.5%〉となります。「つらいので考えたくない」で〈そう思う〉と回答したのは7名(43.8%)、「いつまでもくよくよしていても仕方がない」で〈そう思う〉と回答したのは9名(56.2%)でした。メディオ調査と比較すると、医療被害者一般において〈そう思う〉との回答が多かった項目については、本アンケートでも回答が多く、事故に対する考えや感情については、医療被害者一般と医療職被害者の回答の傾向は、おおむね同様でした。
- 事故に関する説明事故についての医療機関の説明内容に関する質問(Q8)では、「説明はわかりやすかったと思う」「説明は一貫していたと思う」「医療機関側から十分な謝罪があった」「病院側から経済的補償の申し出があった」との設問に〈まったくあてはまらない〉と回答したのは12名(75%)でした。また、「説明はくわしかったと思う」で〈まったくあてはまらない〉が11名(68.8%)、「質問する機会は十分にあったと思う」「病院側は事故について何らかの責任を認めた」の各設問で〈まったくあてはまらない〉が10名(62.5%)でした。本アンケート結果では、メディオ調査よりも〈まったくあてはまらない〉と回答した割合が高い傾向にありました。医療職被害者のほうが、医療被害者一般よりも、医療機関の説明内容に満足していないと見られます。
- 医療事故調査委員会事故調査委員会の開催に関する質問(Q9)では、「開催しなかった」が9件(56.3%)、「医療機関が自主的に立ち上げた」が2件、「患者側から要望したら立ち上げた」が3件でした。事故調査委員会が開催された5件(31.3%)では、いずれも外部委員が委員として選任されていましたが(Q10)、外部委員の人数は、各事件によって異なり、「1名」という回答から「5~6名」という回答までありました。調査結果の報告に関する質問(Q11)では、「報告書の交付と口頭による報告があった」との回答が2件、「報告書の交付だけを受けた」が2件、「口頭の報告だけを受けた」が1件でした。報告の内容に関する質問(Q12)では、「わかりやすかったと思う」「くわしかったと思う」に〈あてはまらない〉とした回答が3件、「自分の疑問に答えてくれたと思う」「事故の原因について適切に分析されていたと思う」「事故の再発防止策や医療安全に向けての課題について適切に検討されていたと思う」に〈あてはまらない〉とした回答が4件でした。自由記載のコメントには、「詳しく書いてあったとは思うが、すべてが道義的な病院側に有利な言葉だった」「医療サイドをかばう」「事象の細部1つ1つの評価が不充分である。明らかな過失はあるのに、医療よりの発言」といった指摘が見られました。また、「新聞報道で調査委員会を設置するかのような会見があったが、家族側には全く知らされていないし、結果の報告もない」とするコメントも見られました。
- 謝罪医療機関側から謝罪の言葉があったかの質問(Q13)には、「はい」が3件(18.8%)、「いいえ」が8件(50%)でした。また、「その他」に回答した3件のうち2件には、「やむを得ずの謝罪で真摯なものではなかった」「形式的な(表面的な)謝罪は受けたのかもしれないが、謝罪には程遠い」とのコメントが付されていました。メディオ調査と比較すると、「はい」よりも「いいえ」の回答のほうが多いことは、共通しています。しかし、メディオ調査では「はい」とする回答が8.1%であり、本アンケートのほうが「はい」とする回答割合が多くみられました。
- 再発防止医療機関が再発防止のための改善をしたかの質問(Q14)には、「知らない」の回答が8件(50%)、「改善していない」が4件(25%)、「おおむね改善した」が3件(18.8%)でした。「知らない」という回答割合が多いことは、メディオ調査と共通していました。自由記載のコメントには、「病院は何事もなかったように、何も変わっていないままである」「今回の教訓が生かされているとは思えない。評価に値しない。再度同じ事例は起こりうる。」「医療機関側は、本件を医療事故として認識することを拒否している」「未熟な医師だけで手術をやったので、必ず経験豊富な医師をつけるべき」「実力が伴っていない」等、医療機関が再発防止のための改善をしていないことを指摘するものが多くみられました。なお、「日本の医療機関全体での影響が得られた」とするコメントも1件ありました。
- 事故後の対応(1) 事故後の医療機関の対応に関する質問(Q15)では、「こちらの気持ちに配慮してもらえた」との設問に〈まったくそう思わない〉と回答したものが11件(68.8%)、「事故自体よりもその後の対応が許せなかった」に〈とてもそう思う〉が9件(56.3%)、「十分な補償の申し出があったら納得できた」に〈まったくそう思わない〉が8件(50%)、「医療機関の対応全体に満足している」に〈まったくそう思わない〉が12件(75%)でした。メディオ調査と比較すると、メディア調査で高い回答割合を示した項目については、本アンケートでも回答割合が高く、事故後の対応に対する評価については、医療被害者一般と医療職被害者とでは、おおむね同様の傾向がみられました。(2) 本件アンケートでは、医療機関は被害者・家族に対する事故後の対応について改善すべき点があると思うかについても質問しましたが(Q16)、無回答の1名を除いた15名全員が「はい」という回答でした。自由記載のコメントには、「すべてにおいて改善すべきである」「事故後も全く否を認めない」「被害者に対する真の陳謝の態度を全く示していない」「説明と謝罪、医学的根拠を示すこと」「自分のミスは素直に認めるべき」「医療事故であることを素直に伝えるべきであった」「責任をまず認めること。言い訳をしないこと。」「こちらから指摘する前に説明があってしかるべき」「もっとしっかり勉強して、患者に慎重に対応しないと再び医療過誤の問題を起こすと思う」「事実を認識し、謝罪することが重要だと思う。」等の回答がありました。
- 法的行動をとった理由法的行動をとった理由に関する質問(Q17)への回答で、〈とてもあてはまる〉の回答割合が最も多かったのは、「事故後の医療機関側の態度が許せなかった」13件(81.3%)でした。次いで、回答割合が高いのは、「納得のできる説明がほしかった」「怒りを感じた」「他の人には同じことが起こってほしくなかった」「過誤を認めさせたかった」(各12件、75%)でした。〈ややあてはまる〉の回答割合まで含めると、「事故後の医療機関側の態度が許せなかった」と「過誤を認めさせたかった」が各14件(87.5%)で、最上位でした。反対に、〈とてもあてはまる〉の割合が最も少なかったのは、「経済的補償がほしかった」の2件(12.5%)と「事故にかかわった医師に仕返しをしたかった」の3件(18.8%)でした。メディオ調査で高い回答割合を示した設問は、本アンケートでも高い回答割合を示し、メディオ調査で低い回答割合の設問は、本アンケートでは低い回答割合でした。法的行動をとった理由については、医療被害者一般と医療職被害者とでは、おおむね共通した傾向がみられました。もっとも、本アンケートでは、〈とてもあてはまる〉の回答数が最上位の設問は「事故後の医療機関側の態度が許せなかった」でしたが、メディオ調査では、同設問の順位は6位でした(メディオ調査における最上位は「納得のできる説明がほしかった」でした)。医療職被害者のほうが、医療機関側の事故後の対応について注目している可能性もあります。自由記載のコメントでは、「亡くなった患者の気持ちの代弁」「法的にどの程度問題となるかが知りたかった……真実が知りたかった」「真実を知りたい」「最初の態度と次の態度が違い。内容説明も変わっていた。……ちゃんと認めて、謝って欲しかった。」「客観的な評価がほしかった」「感情的になってしまう」「同様の事案を繰り返して欲しくなかった」「担当医、診療科、病院の全てが許せない」「罪の意識もなく平然と暮らしている加害者たちを、公の場に引きずり出したい」「刑事責任を追及したい」等の回答がありました。
- 法的行動に対する感想法的行動をとった結果の感想に関する質問(Q18)では、〈とてもそう思う〉〈ややそう思う〉に回答した割合が最も高かったのは「精神的に疲れた」9件(56.3%)の設問でした。〈あまりそう思わない〉〈まったくそう思わない〉に回答した割合が最も高かったのは、「家族関係が悪化した」の11件(68.8%)、「医療機関側を許せるようになった」「生活が経済的に苦しくなった」「親戚関係が悪化した」の各10件(62.5%)、「仕事に悪い影響があった」が9件(56.3%)であった。メディオ調査と比較すると、「精神的に疲れた」に〈そう思う〉と回答した割合が高いこと、法的行動による家族・親戚関係に対する悪影響について〈そう思わない〉と回答した割合が高いことは、共通していました。生活に対する経済的影響、仕事に対する悪影響については、メディア調査よりも本アンケートのほうが〈そう思わない〉と回答した割合が多くみられました。自由記載のコメントでは、「弁護士の先生方にお願いできたこと、こちらの辛い気持ちを代弁していただけることは心強い」「家族以外、全て敵に思えてしまっている様な精神状態だったので、弁護士と話ができた時のあのホッとした気持ちは、一生忘れられない」といった肯定的な評価もありました。他方、「100%加害者が悪いのに、なぜ、罪を認め、罰を与えられないのか」「医療司法に対し、信頼を更に無くした」「本人も、加害者も傷ついた」「訴訟によってさらに多忙となり、エネルギーを消耗している感じ」「法的行動をとるのに、いかにエネルギーが必要か痛感した」「(術者が)加害者として扱われず……被告が病院となったことはとても納得できない」等の否定的な評価もありました。
- 事故に関して求めていること現時点で事故に関して求めていることに関する質問(Q19)で、〈とてもあてはまる〉の回答割合が最も高かったのは、「医師の罪を隠蔽させたくない」12名(75%)でした。次いで、回答割合が高いのは、「納得のできる説明が欲しい」「医師に当人のしたことを悟らせたい」「他の人には同じことが起こって欲しくない」「過誤を認めさせたい」「自分の思いを医師に知らせたい」の各10名(62.5%)でした。〈ややあてはまる〉まで含めると、回答割合が最も高かったのは、「医師の罪を隠蔽させたくない」「納得のできる説明が欲しい」「医師に当人のしたことを悟らせたい」「他の人には同じことが起こって欲しくない」のほか、「加害者は罰せられなければならないと思う」「自分の経験を医療システムに反映させたい」であり、各12名(75%)でした。反対に、〈あてはまる〉の回答割合が最も低かったのは、「カウンセラーに相談したい」1名(6.2%)で、次いで「同じ経験を持つ人と話したい」「事故のことは忘れて別の人生を歩みたい」の各3件(18.8%)でした。メディア調査と比較すると、「医師の罪を隠蔽させたくない」「納得のできる説明が欲しい」「医師に当人のしたことを悟らせたい」「加害者は罰せられなければならないと思う」「他の人には同じことが起こって欲しくない」「過誤を認めさせたい」「自分の思いを医師に知らせたい」「自分の経験を医療システムに反映させたい」については、メディオ調査でも〈あてはまる〉とした回答割合が高く、本件アンケートもこれと同様の傾向にありました。「カウンセラーに相談したい」「事故のことは忘れて別の人生を歩みたい」の回答割合が低いことも、メディオ調査と同様でした。他方、「同じ経験を持つ人と話したい」については、メディオ調査では〈あてはまる〉という回答割合が高いのに対し、本アンケートでは回答割合が低く、異なった傾向が見られました。自由記載のコメント欄には、「医師・医療機関からの謝罪の言葉」「事故は防げたはずであること、同じことを繰り返してほしくないこと、遺族に対してきちんと説明と謝罪をする必要があることを、病院に伝えたい」「事故は必ず発生することではあるが、同様のミスは避けるシステム作りに少しは反映されると思う」「医師には人間性を養う教育をしっかりやってもらいたい」「事故により受けた精神的苦痛や後遺障害である疼痛は、被害者本人の訴えしかなく、客観的に立証できる方法がないために、どれだけ被害の重症だったか、なかなか分かってもらえないのが現実である。この現実を加害者はもちろん、第三者の人々に切実に受け止めてほしい。」「免許を剥奪すべきであると思う。」「刑事責任の追及あるのみ。」等の回答がありました。
- 自身の医療等に対する対応の変化事故を経験したことにより、自身の医療や患者に対する対応・考え方等に変化があったかの質問(Q20)には、「かなり変化はあった」が6名(37.5%)、「やや変化はあった」が6名(37.5%)、「あまり変化はなかった」が3名(18.8%)でした。自由記載のコメント欄には、「ミスをおかさないように、ダブルチェックを心がける」「全ての行為において、『患者』と見ることをせず、もし家族だったら今この人に何をするか、何というかを考えるようになった」「どのような病気であっても、1つの病気、1人の病人として真摯に受け止め、誠実に向き合うことを再確認した」「患者に優しくなった……過失が生じないように一層気をつけるようになった。ドクターの実力を信用しないようになった。」「今まで以上に、説明や患者の心配している内容を具体的に知ることを心掛け、それを一緒に解決して行こうとする気持ちをより明確に伝えるようにした」「真実を常に悟る」「少しでも副作用が疑われたら、すぐに休薬して検査をするように、以前より強く勧めるようになった」「世間や学会などで議論されている医師のリスクマネージメントに対する医師の拘束的事項が空文であることを知った」等の回答がありました。
- 現在の示談、訴訟の進行状況現在の示談や訴訟の進行状況に関する質問(Q21)に対しては、示談成立・訴訟終了したものが7名、現在係争中のものが4名、示談交渉も訴訟も始めていないものが4名、無回答が1名でした。
- 事故調査の中立的第三者機関医療事故の調査を行う中立的第三者機関の設立(Q22)については、「設立すべきである」が11名(68.8%)、「どちらかというと、設立したほうがよい」が4名(25%)、「設立する必要はない」が1名(6.3%)でした。自由記載のコメント欄には、「設立すべきである」とした回答者からは、「医師の世界は大変狭く、しかも同業者同士がかばい合うことも多いので、おかしなことをしても、誰にもばれずに済んでしまい、同じような過ちを重ねてしまう。利害関係のない中立的な第三者機関がないと、質の低い医療を行っている病院は無くならない。」「原因の解明と事故の責任追及・補償とは、分離して行うべきと思っている。必要があれば、まず補償や家族・友人の精神的ケアを行うことが必要である。」「訴訟に持ち込む前に、弁護士同士の話し合いのみではなく、第三者を入れて関係者の意見を第三者にも聞いていただき、第三者機関の意見を参考にして、なるべく和解に向けた方向に向けるべきであろうと思われる。」「専門的知識を必要とするので、中立的機関がないと被害者に不利」「司法に求めるものが大きすぎ、裁判官では論点が混乱している。早期に調査可能な中立的第三者機関をつくるべきである」「現実的にはかなり難しい問題がある。学問的中立である人物が望ましいが、人物選考がこれまた難しい。」といった回答がありました。「どちらかというと、設立したほうがよい」とした回答者からは、「最低限の医療知識を持っていなければいけない」「警察、検察に専門的な判断は下せない。ただ、中立的機関が厳しいジャッジを下してくれるとも思わない。」「どこまで客観的評価ができるか分からなくて心配。」といった回答がありました。「設立する必要はない」の回答者は、「完全に中立な機関など、存在は困難である」と記載していました。
- 刑事責任医療事故の刑事責任に関する質問(Q23)では、「刑事責任は一切問うべきではない」が2名(12.5%)、「問うべきケースはある」が13名(81.3%)でした。自由記載のコメント記載によると、「問うべきケースはある」とした回答者の中にも、刑事責任追及に慎重派と積極派がありました。慎重派からは、「特別な症例を除き、基本的には刑事責任を追求することはないと思う」「事前のインフォームドコンセントがしっかりしており、患者の同意があれば、事故が起こっても刑事責任は問うべきではない」「現実的にリピーター医師を矯正する方策がない状況では、刑事責任を問うケースがあっても仕方ないと思う。ただ、医療が萎縮してしまう面もあるから、適応は慎重に行うべきと考える。」との回答がありました。積極派からは、「未熟な医療は、故意でなくても、刑事責任が生じると思う。」、「治療には医師の裁量権があるが、医学は日進月歩しており、医学常識的な治療で治療されない場合は、責任があると思う。」「医師及びその他医療従事者として働いているのだから、業務上過失致死(傷)罪などで当人が罰せられて、当然だと思う」「医療事故は、死亡例だけがとりあげられる傾向があるが、死亡例のみならず、重度障害例も含め場合により業務上過失致傷を適応すべき事例があると思う。」「医療事故に対する刑事責任が軽すぎる」「患者の精神的な苦しみを償うには、金銭だけでなく免許の剥奪・一定期間の職務停止・身体の拘束も必要」といった回答がありました。中間的な立場のコメントとしては、「残念ながら適性のない医師が現実的に存在する。そのような医師を放置する限り医療事故はなくならないため、刑事責任を問うこともやむを得ないと思う。」といった回答がありました。なお、「一切問うべきではない」とした回答者からは、自由記載のコメントはありませんでした。
- 行政処分医療事故の行政処分に関する質問(Q24)では、「一切問うべきではない」が2名(12.5%)、「問うべきケースはある」が13名(81.3%)でした。自由記載のコメントによると、「問うべきケースはある」との回答者の中にも、行政処分の慎重派と積極派がありました。慎重派からは、「仕方のない結果というものはあると思う。そこは、しっかり医療者を守って欲しい。そうしないと防ぐことが出来る事や、故意的なことに対して、隠すことになる。」との回答がありました。積極派からは、「医師に適さない人が医療を続けると、いつか悪いことが生じると思う。」「刑事責任以上のものは行政処分を問うべき」「医師として良識に欠けるようなケースでは積極的に処分すべきである。」「知識や経験が一定レベル以下の医師及びその他の医療従事者は、その状態で免許を持って業務を行っていることそのものが、犯罪だと思うので。」「医療事故に対する行政処分全て甘すぎる。そこから医師の堕落がある。」「医療事故自体が、不透明なことがあり、厚生労働省は、手術数などの公表を病院に指導するなら、医療事故内容についても詳しく公表すべきである。」との回答がありました。その他、「医療事故をおこした担当医の所属する医療機関が行政処分を受けるべきではないだろうか。それによって医療機関による所属医師に対する指導がいきとどきやすくすることを期待したい。」「該当する学会でも充分話し合い、再教育のシステムを構築することが大事と考える。」との指摘もありました。なお、「一切問うべきではない」の回答者2名は、刑事責任(Q23)についても「一切問うべきではない」と回答しており、本設問にも自由記載のコメントはありませんでした。
- 事故防止のための努力医療事故防止のために、医療界として、今後どのような努力をしていく必要があるのかを、自由記載していただきました(Q25)。(1) 医療システム改善に関するコメント
「病院のレベルが患者側には分かりにくいので、もっとオープンになればいい。」「事故は起こり得ることであり、オープンにすることが普通になるように、システム作りを。」「[1]ミスのないようにチェックを何事も行う、[2]小さなミスでも、その原因を考え、再発のないようにする、[3]医療人の間のコミュニケーションをよくする、[4]技術アップを図る、[5]リスクの高い医療行為を行った時は、ミスを犯したらすぐにバックアップ体制を整備しておく」「学会は、かばい合うのでなく、再発を防ぐための努力をしていただきたい。医療に関係する者はすべて、『人の命を守る』という原点を忘れることなく携わることが必要」「医師の充実、1人医療の廃絶」といった回答がありました。(2) 医師の医療水準、再教育・研修等に関するコメント
「医療水準の向上。特に開業医のレベル。」「事故を起こすには、何かの問題が蓄積されて、起こっているような気がする。偶然ではないと思う。患者に対する医師の姿勢に問題があるのでは。研修医の教育に問題があるのでは。」「根本的には大学受験から問い直さなければならないと思うが、大学教育中に倫理感について徹底的教育が必要と思う。また、定期的な研修も必要と思う。」といった回答がありました。(3) 医療紛争や責任追及に関するコメント
「病院側の弁護士が、職員に対して講義を行っているが『家族は、謝って欲しかったと言うが、結局はお金を要求してくる。だからすぐ謝ってはいけない』と話していた。まずは病院側の弁護士も、もっと考えを変えて欲しい。」「(裁判所から)鑑定を依頼された機関の中立性・妥当性を確保するのは、本来困難と思う。鑑定が公開され、その鑑定内容の妥等性が一般の医療現場の人間から見えるようにしてもらいたい。」「医療事故の責任をもっと重くすべきだ。それ以外に医療事故が少なくならない。」といった回答がありました。
以上
銀座眼科事件刑事裁判に被害者参加して
弁護士 東 晃一
銀座眼科被害対策弁護団は、銀座眼科事件の刑事裁判において、被害者参加制度を利用して活動を行いました。当弁護団は、被害救済、再発防止(特に被告の医師免許取消し)等を目指して、民事、刑事、行政の3つの観点から、いくつかの班を設けて活動しています。
私は、当弁護団内では、行政班に所属し、民事訴訟に関しては第1グループ長に任じられていて、本来は刑事裁判に積極的に関与する立場にはありませんでした。
私が行ったのは専ら「被害者参加をしたらどうですか。」と提案したことだけです。
石川団長ほか当弁護団の先生方が提案を受け入れてくださらなかったら、この活動は実現しませんでした。
また、実務的・実戦的な事柄は、富澤先生をはじめとした被害者参加班の先生方や、班が違うにもかかわらず、この活動に熱意をもって多忙な身を投じてくださった先生方、そして何よりも、忘れてしまいたい過去を思い出す辛さに耐えながら、時間を割いて参加をしてくださった被害者ご本人たちがいらっしゃらなかったら、とても進みませんでした。
銀座眼科事件の刑事手続きは、平成21年7月30日の告訴から始まりました。
立証上の問題等のためか、なかなか進展がありませんでしたが、各方面のご尽力により、ようやく翌22年12月7日、被告人の逮捕に至りました。
そして、同月27日に、50名の告訴被害者のうち5名の方について感染の原因菌の同定ができたとのことで起訴がなされ、平成23年6月23日には、さらに2名の被害者について追起訴がなされました。
初公判は、平成23年2月25日でしたが、その後、係属部がかわったり、前述の追起訴があったりという展開で、5月31日、7月19日と回を重ねました。
被告人質問が行われたのは9月1日、判決は9月28日でした。結果は、禁錮2年の実刑でした。
昨年末から今年初め頃の状況としては、民事訴訟は相当長期に及び、書面の応酬や細かい事務作業に日々追われており、かつ、被告本人と法廷において対決する機会もないままでしたし、告訴班は起訴が実現したことで活動が終了したかのように見られており、また、行政班は厚労省のあまりの手応えのなさに打つ手が見いだせないでいました。
こうした状況下で、原告(被害者)らの訴訟進行への関心が次第に薄れ、弁護団内にも疲労感が漂っているようでした。
そうした日々の中で、丸ノ内線に乗っているとき、ふと「業務上過失傷害被告事件の場合には被害者参加ができる」ということが頭に浮かびました。
被害者の方々には、被告の応訴態度などを含む裁判の進行や厚労省の対応に対して不満が鬱積している様子が垣間見えていましたから、まさにこうした思いを刑事裁判にぶつけるための制度が被害者参加であり、結果的に被告人の実刑を勝ち取ることができれば、医師免許取消しという目標にも繋がりやすいのではないかと考えました。
しかも、被害者参加をすれば、裁判に先立って刑事記録の閲覧等が可能であり、期日においては、直接、被害者自身や被害者参加弁護士から被告人などに質問をすることができますから、民事訴訟では到底出てこない多くの事実を明らかにできる可能性があります。
このことは、真相究明・再発防止にとって非常に役立つのではないかと考えました。
とはいえ、私には、単に被害者参加制度の趣旨・手続きについてわずかな知識があっただけで、実際の参加の経験はありませんでしたし、本件のように多くの被害者がいて弁護団が組まれているケースで、どのように制度を運用していくのかについては、何の資料も持ち合わせていませんでした。
また、医療刑事事件自体が珍しいものですし、それに被害者参加がなされたケースは過去に例がないのではないかとも思いました。
そこで、多少の迷いはありましたが、弁護団会議において、これを提案したところ採用され、弁護団員全員が被害者参加弁護士に就任することとなり、従前の告訴班を中心として被害者参加班が構成されると、その後は色々なことが沢山の先生方の手により目まぐるしく進んでいきました。
ここでは活動の詳細については触れることができませんが、刑事記録には、想像していた以上に悪質な事実が詳細に明記されていて、衝撃を受けました。また、特筆すべきは、被害者の方々自身が率先して、当弁護団と委任関係にある全被害者の意見調査を行い、その結果を基に当弁護団と一緒になって被告人質問や意見陳述を組み立てたことです。
刑事裁判にかける被害者の方々の熱意は大変なもので、ある被害者の方は「これで初めて私たちの裁判だという気持ちになったんです。」とおっしゃっていました。こうした熱意があればこそ、公判廷で被告人の不誠実さを白日の下に曝すことに成功し、被害者らの思いが裁判所を動かし、同種事件では数少ない実刑という結果を獲得できたのだと思います。
本稿を執筆している時点では、まだ控訴期間が経過していないので、今後刑事裁判がどのような帰趨を辿ることになるかは分かりませんが、これまでに得た結果は、当然、民事訴訟にも利用しますし、厚労省への働きかけにも大きな力となることを期待しております。
銀座眼科事件は、私が医弁に入団して初めての医療集団訴訟であり、その刑事裁判は、私が初めて被害者参加弁護士として活動した裁判でした。
様々な点で一般的な医療事件・被害者参加事件のイメージとは異なっていて、特に集団訴訟・弁護団事件において被害者参加をすること特有の問題点も痛感させられつつ、多くの方々に助けていただき、得難い経験をすることができました。以上
医療事故の第三者調査制度の構築及び院内事故調査制度の 法制化を求める意見書
患者の視点で医療安全を考える連絡協議会、医療問題弁護団、患者の権利法をつくる会の連名で、内閣総理大臣及び厚生労働大臣に対して、「医療事故の第三者調査制度の構築及び院内事故調査制度の法制化を求める意見書」を提出しました。
2011(平成23)年7月26日
患者の視点で医療安全を考える連絡協議会(略称:患医連)
代 表 永 井 裕 之
参加団体:医療過誤原告の会
医療事故市民オンブズマン・メディオ
医療情報の公開・開示を求める市民の会
医療の良心を守る市民の会
陣痛促進剤による被害を考える会
(連 絡 先)
〒279‐0012 浦安市入船3-59-101
携帯:090(1795)9452 FAX 047(380)9086
e-mail:kan-iren-info@yahoogroups.jp
医療問題弁護団
代表 弁護士 鈴 木 利 廣
(事務局)
〒124-0025 東京都葛飾区西新小岩1-7-9
西新小岩ハイツ506 福地・野田法律事務所内
電 話 03(5698)8544 FAX 03(5698)7512
患者の権利法をつくる会
事務局長 小 林 洋 二
(連 絡 先)
〒812-0054 福岡市東区馬出1-10-2
メディカルセンタービル九大病院前6階
電 話 092(641)2150 FAX 092(641)5707
e-mail:kenri-ho@gb3.so-net.jp
意見の趣旨
医療事故調査制度の確立のため、以下の制度を法制化することを求める。
- 第三者調査制度を速やかに構築すること
- 重大な医療事故(合併症と考える余地がある事例を含む。)が発生した場合に、医療機関が院内で事故調査を行う制度を法制化すること
意見の理由
第1 はじめに
わが国では、後述第2の2(1)のとおり、現在医療事故死亡例が多発しており、医療事故の再発防止・医療安全の推進を図る必要がある。そのためには、医療事故調査制度の確立が不可欠である。
医療事故が発生した場合、後述第3の1のとおり、医療機関自らが院内事故調査で、原因究明を行い、医療事故の再発防止・発生予防、及び医療事故に遭った患者・家族の被害救済を図り社会的説明責任を尽くすことが必要である。
しかし、後述第2の2(3)のとおり、いまだ医療機関での院内事故調査が十分になされている状況にはない。第三者調査制度が確立され、適切な事故調査・再発防止策の策定を行うことによって、医療事故調査の範とならなければならない。
また、全国のあらゆる医療機関で発生する医療事故の原因を究明し再発防止図り、全国レベルで医療安全を推進していくためには、やはり第三者調査制度が確立されなければならない。
したがって、医療事故調査制度の確立には、第三者調査制度及び医療機関内での事故調査制度の両方が制度として確立することが不可欠である。
第2 第三者調査制度の構築(意見の趣旨1)について
- 第三者調査制度構築に向けたこれまでの動向及び現状
(1) 診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業の実施平成16年4月、日本内科学会、日本外科学会、日本法医学会、日本病理医学会の共同声明、同年9月の日本医学会主要19学会による共同声明、及び平成17年6月の日本学術会議の提言によって、医師法21条の届出制度に替わる新たな届出制度及び中立的・専門的な調査機関を創設する必要があるとの提起がなされた。このような機関を創設する「モデル」となることを企図して、平成17年9月、日本内科学会が実施主体となって、「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」が開始された。同事業は、診療行為に関連した死亡について原因を究明し、適切な再発防止策を立て、それを医療関係者に周知することによって、医療の質と安全性を高めていくことと、評価結果を遺族及び医療機関に提供することによって医療の透明性の確保を図り、医療への信頼性の確保につなげることを調査の目的としている。モデル事業の過去5年間の成果を踏まえ、平成22年3月、「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業・これまでの総括と今後に向けての提言」がまとめられた。同提言は、医師法21条の異状死届出事案について調査が困難であること等、同事業実施にあたっての現行制度上の限界が示され、モデル事業の実施によって、医療事故調査を行う中立的第三者機関が、法制度として必要であることが更に明らかになったと述べている。
(2) 厚労省における第三者調査制度創設に向けた動向と現状ア 新たな医療事故の届出制度及び中立的・専門的な調査機関の創設を求める医療界の声を受けて、モデル事業が開始された後、平成18年2月に福島県で産科医師が逮捕される事態が発生した(福島県立大野病院事件)。
これに対し医療界から、警察・検察の捜査方法などに批判の声があがった。
このような事態と批判の声を受けて、平成18年6月、衆参両院の各厚生労働委員会が、第三者による調査、紛争解決の仕組み等の検討が必要であるとの決議をした。イ そのため、厚労省では第三者調査制度の創設に向け具体的検討に入ることとなった。
平成19年3月、「診療行為に関連した死亡の死因究明等のあり方に関する課題と検討の方向性」(いわゆる第一次試案)を公表し、4月には、診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会を設置した。
同年10月には、「診療行為に関連した死亡の死因究明等の在り方に関する試案」―第二次試案―を公表した。第二次試案を公表したころから、厚労省の考える第三者調査制度は医師の刑事責任追及を目的とするものに他ならず認めることはできない等という意見が一部の医師らから強行に主張され始めた。平成20年4月、「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案」―第三次試案―が公表された。
第三次試案に対しては、一部の医師、学会が第二次試案に引き続き反対の意思を表明した。
これに対して、医療事故被害者の団体などは、第三次試案は第二次試案と比べて後退しているところがあるものの、原因究明、再発防止を目的とした第三者機関(「医療版事故調」とも言う。)を創設すべきとして、第三次試案に賛同する意思を表明した。同年6月には、第三者調査制度創設のための法律案の概要を示した「医療安全調査委員会設置法案(仮称)大綱案」が公表された。
大綱案と第三次試案をベースとしたものが、第三者調査制度の厚労省案である。同案は、標準的な医療から著しく逸脱していると判断される事案につき警察へ通知することを設計していた。これに対し、医療者より強い反発があり、厚労省案は成案に至らず、平成21年の政権交代後、第三者調査制度創設の動きは進んでいない。ウ 医療事故被害者の団体で構成される「患者の視点で医療安全を考える連絡協議会」(患医連)は、平成22年5月12日、内閣総理大臣、両議員、各党に対し、計23,846筆の「医療事故調査機関の早期設立を求める要請署名」を提出した。そして、(1)平成22年の国会期間内の早い時期から、両院厚労委員会での真剣な討議を開始すること、(2)同年度中には「医療版事故調」に関する法案を提出し、成立させること、(3)各党のマニフェストに「医療版事故調設置」に関する政策を盛り込むことを要請した。さらに、同年11月24日、患医連は、両議員及び厚生労働省に対し、平成22年度中には「医療版事故調」に関する法案を提出し、成立させるよう要請し、岡本充功厚生労働大臣政務官と面談をした。それでもなお、第三者調査制度の構築に向けた動きは進展していない。 - 第三者調査制度の構築の必要性
(1) 多数の医療事故死亡者の存在-日本における医療事故死亡者の推計-我が国の医療機関で医療事故がどの程度起きているか、その実態は把握されていない。このような状況の下、過去に事故の発生頻度を調べることで日本の医療事故の全体像を推計するという考え方に基づき、「医療事故の全国的発生頻度に関する研究」が行われ、平成18年3月に報告書がまとめられた。同研究結果に基づくと、入院患者の314人に1人が有害事象で死亡し、627人に1人が医療過誤で死亡していると推計される。この割合から、医療事故死亡数を推計することができる。厚生労働省平成20年患者調査の概要によると、平成20年9月の一般病床における退院患者数は106万3700人であるので、全国の年間退院患者数を約1276万4400人と考えることができる。これを入院患者数と同視して上記推計を基に計算すると、314分の1にあたる年間約4万0651人が有害事象で死亡し、627分の1にあたる年間約2万0358人が医療過誤で死亡している計算になる。過誤の有無を問わず、医療事故での死亡者数は、2万を大きく上回ることが予想される。日々多数の医療事故死亡が発生していると考えられる現状からすれば、医療事故の再発防止・医療安全の推進のため、医療事故調査制度を早急に法的に整備し確立していかなければならない。
(2) これまでの動きを促進・発展させる必要性前述の過去5年間のモデル事業の成果を踏まえてまとめられた提言では、医師法21条の異状死届出事案について調査が困難であること等、同事業実施にあたっての現行制度上の限界が示され、モデル事業の実施によって、医療事故調査を行う中立的第三者機関が、法制度として必要であることが更に明らかになったことに言及している。
同提言が述べるとおり、中立的な第三者機関の構築に向けた法整備を行い、法制度の下で、医療事故調査・再発防止が行われなければならない時期に来ている。また、第三者調査制度について、1年以上に渡って医療者と医療事故に遭った患者の家族等が議論して厚労省案が設計された。
これを棚晒しにして、第三者調査制度を創設しないということがあってはならない。厚労省案に不備があるというのであれば、その不備を補う議論を、医療者・医療事故に遭った患者・家族を入れた公開の検討会で行い、一日も早い第三者機関の創設を実現すべきである。
(3) 院内事故調査委員会による調査の不十分さア 院内事故調査委員会とは、診療の過程で生じた死亡事故、重度の後遺障害を残す医療事故など重大な医療事故が発生したときに、事故原因を究明し再発防止を図るために当該医療機関内に設置される、医療事故を調査する委員会をいう。医療者自身による事故調査と再発防止の取り組みとして院内事故調査は極めて重要である。イ しかし、平成22年12月7日のモデル事業の運営委員会において、委員から、大学病院や国立病院でもひどい院内事故調査報告書を作成する事例があることが指摘されている。
かかる指摘は、現在の院内事故調査委員会による調査の実情を示している。
(一般社団法人日本医療安全調査機構「第3回運営委員会議事録」 http://www.medsafe.jp/gijiroku/gijiroku_talk03.pdf)ウ また、平成21年3月1日、医療問題弁護団は、医療事故調シンポジウム「医療版事故調を検証する ~ 広尾病院事件から10年」を開催した(http://www.iryo-bengo.com/general/press/pressrelease_detail_30.php)。
同シンポジウムにおいて、平成11年に起こった東京都立広尾病院での医療事故を契機として「医療安全」の取り組みが行われてきたものの、医療事故調査における原因究明と再発防止の取り組みは、まだまだ不十分であるという実態が明らかになった。例えば、患者側が院内事故調査委員会による調査の実施を求めたにもかかわらず、○内部の事例検討会で検討済み、○異常な経過ではない、過誤はない、○過失があったことを認めているので調査は不要といった理由で、拒否されたものがあった。また、医療安全の取り組み・院内事故調査はすでに多くの病院で十分に行われていると訴えている医師が院長であった医療機関(当時)において、医療事故の報告がなされていない事例が存在した(後の調査では「隠蔽」と断定され、関係した医療従事者を糾弾する内容となっている。)。
同事例において作成された院内事故調査報告書では、病状の悪化を早期に診断できなかったのか、治療は医学的にどのようになされるべきであったのかという点への回答や具体的改善策の提示が不十分であった。エ さらに、医療機関の規模などから院内事故調査委員会を設置することができない医療機関は多数存在する。オ したがって、第三者調査制度が確立され、適切な事故調査・再発防止策の策定を行うことによって、医療事故調査の範とならなければならない。なお、医療事故の再発防止・医療安全の推進のために求められる第三者機関は、次の性格を備えたものである。(1)公正中立性:中立の立場で、手続と調査内容が公正であること
(2)透明性:公正中立に調査が行われていることが外部からみて明らかなこと
(3)専門性:事故分析の専門家によって、原因究明・再発防止を図ること
(4)独立性:医療行政や行政処分・刑事処分などを行う部署から独立していること
(5)実効性:医療安全体制づくりに、国が充分な予算措置を講じること
(4) 患者・医療者双方の第三者調査制度創設の要望第三者調査制度創設に向けた動きがない現状には、患者側だけでなく医療者も強い不満を持っている。平成22年4月からモデル事業の運営を行っている一般社団法人日本医療安全調査機構の平成23年4月22日の運営委員会において、助成金削減を理由に事業の中止を理事会が決定したことに対し、医師である運営委員より死因究明を行う第三者機関の創設実現に向けてモデル事業を継続すべきであるとの意見が相次ぎ、理事会決定が再考されることになった。
これも、医療者自身が第三者機関の創設を求めている端的な表れである。 - 第三者調査制度を早急に構築すべきこと以上の理由から、医療事故の再発防止・医療安全の推進のため、第三者調査制度を早急に構築しなければならない。この課題は、日々多数の医療事故死亡が発生していると考えられる現状からすれば、緊急の課題である。
第3 院内事故調査制度の法制化(意見の趣旨2について)について
- 院内事故調査の必要性(1) 医療機関自らが原因究明のための調査を行わない、あるいは、調査をすべて第三者に委ねるのでは、当該医療機関における医療安全の向上に結びつかない。医療機関が自ら事実関係の調査・整理を行い、原因究明・再発防止策の検討等を行い、再発防止に取り組むことが重要である。(2) また、院内事故調査委員会が原因究明を行い、調査結果に基づき医療機関が患者・家族に説明を尽くせば、患者・家族との信頼回復につながる。外部委員等を経験した弁護士の指摘でも、調査後説明を尽くし紛争の解決に至った事例が存在する(日本弁護士連合会第51回人権擁護大会シンポジウム第2分科会基調報告書「安全で質の高い医療を実現するために―医療事故の防止と被害の救済のあり方を考える―」(以下、「基調報告書」という。)132~134頁)。さらに、重大な医療事故が発生した場合、社会も医療機関が事故に対しいかなる対応をとり、どのように再発防止を図るかについて、関心を寄せている。そのため、適切に院内事故調査を実施しその結果を公表等することは、社会的な説明責任を果たすことになる。(3) 以上からすれば、院内事故調査は、原因究明を行った上で、①医療事故の再発防止・発生予防、②医療事故に遭った患者・家族の被害救済を図り社会的説明責任を尽くすために必要なものである。
- 院内事故調査委員会の設置に関する現在の法律上の位置づけ現行の法制度の下においても、以下に述べるとおり、医療機関に医療事故調査義務、院内事故調査委員会による調査義務があると認められる。
(1) 医療法施行規則に基づく医療事故調査義務ア 医療法施行規則11条4号は、病院又は患者を入院させるための施設を有する診療所の管理者は、「医療機関内における事故報告等の医療に係る安全の確保を目的とした改善のための方策を講ずること」としている。
医療機関が、事故報告等の上記方策を講じるためには、まずは公正かつ適切な医療事故調査を行う必要がある。したがって、医療機関の管理者には、同規則11条4号によって、医療事故調査が義務づけられている。イ また、特定機能病院や国立高度専門医療センター等の事故等報告病院に対しては、同規則9条の23第1項2号、11条の2は、事故発生日から2週間以内に事故に関する報告書の作成を義務づけ、同規則12条は、事故発生日から原則として2週間以内に報告書を厚生労働大臣の登録を受けた分析事業機関に対して提出しなければならないとしている。
この事故等報告書には「事故等事案に関して必要な情報」を記載することとされており(同規則9条の23第2項5号)、医政局長平成16年9月21日付「医療法施行規則の一部を改正する省令の一部の施行について」によれば、「事故等事案に関して必要な情報」とは、発生要因、患者側の要因(心身状態)、緊急に行った処置、事故原因、事故の検証状況、改善策とされている。
かかる事項を事故等報告書に記載するためには、医療事故調査を実施することが不可欠である。したがって、医療法施行規則9条の23、11条の2、12条も医療事故調査が実施されることを当然の前提としている規定であるといえる。ウ なお、平成11年2月ないし平成13年1月の医療事故を取り扱った下記の地方裁判所の裁判例でも、医師・医療機関等の事故原因調査義務を認めた裁判例が存在する。(ア) 東京地裁平成16年1月30日判決(都立広尾病院事件判決)(判例タイムズ1194号243頁、判例時報1861号3頁)は、「(1)医療行為に関する情報は病院側が独占しており、しかも、病院側は当該情報にアクセスすることが容易であること、(2)医師は医療行為をつかさどる者として、一定の公的役割を期待されており、医師法21条の規定する届出義務もその一つの現れと見ることができること、(3)医療行為により悪い結果が生じた場合、当該患者が生存している場合は、医師には患者に対しその経過や原因について説明する必要があるところ、より重大な患者の死亡という結果が生じたにもかかわらず、医師が説明する義務を何ら負わないというのは不均衡であることからすれば、診療契約の当事者である病院開設者としては、患者が死亡した場合には、遺族からその求めがある以上、遺族(具体的事情に応じた主要な者)に対し、当該事案の具体的内容、保有する又は保有すべき情報の内容等に応じて、死亡に至る事実経過や死因を説明すべき義務を、信義則上、診療契約に付随する義務として負うというべきである。
さらに、上記(1)及び(2)からすれば、病院開設者において上記の説明をする前提として、診療契約の当事者である病院開設者としては、具体的状況に応じて必要かつ可能な限度で死因を解明すべき義務を、信義則上、診療契約に付随する義務として負うというべきである。」と判示する。(イ) 京都地裁平成17年7月12日判決(判例時報1907号112頁)は、「受任者である医療機関ないし医師は、診療契約上の債務ないしこれに不随する債務として、患者の治療に支障が生じる場合を除き、委任者である患者に対し、診療の内容、経過及び結果を報告する義務があるといえ、このことから、委任者である患者について医療事故が起こった場合、患者に対し、医療事故の原因を調査し、報告する義務があるといえる。」と判示している。
(2) 院内事故調査委員会による調査義務医療法施行規則11条2号では、病院又は患者を入院させるための施設を有する診療所は「医療に係る安全管理のための委員会を開催すること」としている。
医療に係る安全管理のための委員会(以下、「医療安全管理委員会」という。)について、平成14年8月30日医政発第0830001号各都道府県知事宛「医療法施行規則の一部を改正する省令の一部の施行について」では、「第2(2) 新省令第11条第2号に掲げる『医療に係る安全管理のための委員会』(以下「安全管理委員会」という。)とは、医療機関内の安全管理の体制の確保及び推進のために設けるものであり、次に掲げる基準を満たす必要があること。」「ウ 重大な問題が発生した場合は、速やかに発生の原因を分析し、改善策の立案及び実施並びに職員への周知を図ること。」としている。
このことからすれば、医療安全管理委員会には、少なくとも重大な事故事例については、発生の原因を分析し、改善策の立案をする委員会、すなわち院内事故調査委員会が含まれることが予定されているといえる。
(3) 院内事故調査制度の確立を定めた明文規定の不存在 - 院内事故調査制度法制化の必要性
(1) 「医療事故調査の在り方に関する意見書」に基づく要望ア 医療問題弁護団は、平成17年5月、「医療事故調査の在り方に関する意見書」(以下、「意見書(1)」という)を作成し、厚生労働大臣及び文部科学大臣に対し、下記の事項を要望した。記- 医療事故が発生した場合に、医療機関が医療法施行規則11条4号に基づき医療事故調査を実施すること、及び、発生した医療事故が重大な事故事例である場合に、医療法施行規則11条2号に基づき医療事故調査委員会を設置して医療事故調査を実施することを、全国の医療機関に対し、周知徹底するよう指導されたい。
- 厚生労働省及び文部科学省は、医療事故調査の在り方につき検討し、適切なガイドラインを作成し、これを全国の医療機関に対し、周知徹底するよう指導されたい。
(2) 医療事故情報収集等事業への事故事例報告がない医療機関の存在財団法人日本医療機能評価機構による医療事故情報収集等事業の第9回報告書(平成19年6月27日、http://www.med-safe.jp/pdf/report_9.pdf)において、報告義務を負う医療機関(平成19年末で273施設)のうち、平成16年10月から平成19年3月までの2年半に医療事故事例の報告がゼロの施設が53施設にものぼったことが明らかにされた(同報告書16頁)。これを受けて、厚労省は、平成20年9月1日付で、事案報告を促す通知を全報告対象医療機関に送付した。当時、厚労省医療安全推進室は「安全管理が完ぺきな病院がないとは言えないが、報告すべき事例が1件もないとは考えにくい」と指摘していた(平成20年9月3日毎日新聞)。その後、医療事故情報収集等事業平成21年年報(http://www.med-safe.jp/pdf/year_report_2009.pdf)において、平成21年1月から12月までの医療事故事例報告件数が報告されている。しかし、平成21年単年度で見ても、報告義務対象医療機関全273施設のうち、報告件数がゼロの施設は61施設に上る(同年報)。以上の結果は、報告義務対象医療機関の中にも、医療事故を報告することによって、医療安全等に寄与しようとする意識が希薄な医療機関が少なからず存在することを示すものである。医療事故事例の報告すら行わない医療機関が、院内事故調査委員会による事故調査を行って、医療事故の再発防止を図ることなど期待できない。
(3) 院内事故調査実施経験のある医療機関の少なさと院内事故調査の実情基調報告書では、院内事故調査に関するアンケート調査の結果が報告されている(同398頁以下)。
同アンケート調査は、特定機能病院、医療法施行規則11条による事故等報告病院及び社団法人日本病院会の会員のうち病床数300床以上の病院合計1037施設を対象に、平成20年4月に実施されたものである。うち275施設から回答があった。同調査によれば、有効回答275のうち、4分の1を超える71施設が平成20年までに院内事故調査を行った経験すらなかった(同399頁)。また、一定の事故事例が発生した場合には院内事故調査委員会を設置して、厳格に公正性等を確保しつつ事故調査を行う必要があるところ、院内事故調査委員会に外部委員が選任されている例が少ない、委員長を病院長が務める等、問題と思われる実情が見られたと報告された(同163頁)。
(4) 合併症として医療事故調査の対象とされない事例の存在前記第2の2(3)において、異常な経過ではない、過誤はないとして、医療機関が院内事故調査を拒否する事例があることを示したが、患者側の代理人として調査活動などを行う過程で、合併症であるという理由で、院内事故調査委員会による調査を拒否されることはしばしば経験するところである。しかし、合併症と言われる事例の中には医師・医療機関の努力によって防ぎうる事例が存在する可能性があり、かかる事例に該当するか否かは調査を尽くさなければ判明し得ないことである。このように合併症と考える余地がある事例であっても、調査を行うことによって、防ぎ得る合併症を見つけ、同様の被害の再発防止・発生予防につなげることができる。
(5) 死亡事例以外の重大な事故事案の調査の必要性以上の院内事故調査委員会による調査の現状とは別の理由として、厚労省案では、医療安全調査委員会が調査の対象とする事案が死亡事案とされていることを考えなければならない。死亡に至らなかった重大な事故事案についても、適切に事故調査がなされ再発防止を図る必要があり、かかる事案に対しては院内事故調査制度の下、調査が実施されなければならない。 - 院内事故調査制度を法制化すべきこと1件の医療事故からは多数の教訓が得られ、院内で事故調査をし再発防止策を策定することは、医療安全、医療事故の再発防止・発生予防に役立つ。
平成11年以来、医療事故の再発防止・医療安全の推進及び院内事故調査の必要性が叫ばれてきた。しかし、これまで院内事故調査委員会による調査を実施するか否かは、医療機関の任意の判断に委ねられてきた。
そうしたところ、上記のとおり、院内事故調査委員会による調査に基づく医療事故の再発防止・発生予防の対策が十分に行われてきたとは言えない。かかる現状においては、第三者調査機関が設立され、同機関が適切な事故調査・再発防止策の策定を行うことによって、医療事故調査の範とならなければならない。
そして、院内の事故調査制度は、現在のモデル事業でなされているように、同機関と連携を図り、院内事故調査を充実・促進させていくものであることが必要である。したがって、重大な医療事故(合併症と考える余地がある事例を含む。)が発生した場合には、物的・人的観点から院内事故調査制度を敷くことができない医療機関を除き、院内事故調査委員会を設置し事故調査を行う院内事故調査制度を法制化すべきである。なお、院内事故調査委員会の設置方法、調査の進め方などについては、意見書(1)(http://www.iryo-bengo.com/general/press/pressrelease_detail_20.php)、または、基調報告書『第2編院内事故調査ガイドライン』を参照されたい(http://w3.nichibenren.or.jp/ja/jfba_info/organization/sympo_keynote_report.html)。
第4 結論
したがって、意見の趣旨記載のとおり、第三者調査制度を早急に構築すること、及び、重大な医療事故(合併症と考える余地がある事例を含む。)が発生した場合に、医療機関が院内で事故調査を行う制度を法制化することを求める。以上
「福島県立大野病院事件の事故調査を求める要望書」に関するご報告
- 医療問題弁護団は、平成21年11月24日、「福島県立大野病院事件検討報告書-刑事記録等から見えてきたもの-」 を公表するとともに、日本産科婦人科学会、日本産婦人科医会および日本麻酔科学会に対し、「福島県立大野病院事件の事故調査を求める要望書」 を提出しました。
日本産科婦人科学会からは同年12月12日付文書により、日本産婦人科医会からは同年12月25日付文書により、事故調査委員会を設置する意向がない旨の回答を受けました。 - そこで、医療問題弁護団は、平成22年5月25日、「福島県立大野病院事件の事故調査を求める再度の要望書」を、日本産婦人科医会と日本産科婦人科学会に対し提出しました。しかし、日本産科婦人科学会からは同年6月12日付文書により、日本産婦人科医会からは同年7月27日付回答書により、本事件に関して事故調査を行う予定はないとの回答が再びありました。
日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会には、専門家職能集団としての社会的役割を期待しておりましたので、両団体が本事件の調査を行わないとの結論を下したことは大変残念です。加えて、両団体とも、「刑事判決の内容は、妥当なものである」(日本産科婦人科学会)、刑事判決が確定し「その結果については万人が十分に尊重すべき」(日本産婦人科医会)であるから事故調査を行わないとしていることに、違和感を覚えました。医療界では、常日頃から、“刑事裁判では医療事故の原因究明や再発防止はできない”と刑事裁判に対する批判の声が大きいにもかかわらず、無罪判決のときにはそれを理由に事故調査をしないという対応は、業界外の一般市民から見ると辻褄が合わない考え方のようにも映るのではないかと思われます。 - 日本麻酔科学会からは、要望書に対する直接の回答はいただいておりません。
もっとも、要望書が契機となり、2010年6月5日、福岡にて、日本麻酔科学会第57回学術集会市民参加シンポジウム「周術期管理における麻酔科医の役割-手術前・手術中・手術後の患者ケアについて-」が開催され、周術期の全身管理・危機管理に対する麻酔科医の役割について討議が行われました。同シンポジウムには、医療問題弁護団代表であり福島県立大野病院事件検討班の一員でもあった弁護士鈴木利廣もシンポジストとして参加し、当弁護団の検討報告書について発表いたしました。
しかし、本事件には麻酔科医の診療に関する問題点が含まれているのであり、日本麻酔科学会が本事件の事故調査を行わないのは、大変残念であると考えています。
福島県立大野病院事件の事故調査を求める再度の要望書
社団法人日本産婦人科医会
会長 寺 尾 俊 彦 殿
拝啓貴会におかれましては、平素より産婦人科医療の発展と向上のためにご尽力いただいていることと存じます。
さて、貴会からの平成21年12月25日付書簡を拝受いたしました。
以下、当弁護団の考えを説明させていただくとともに、福島県立大野病院事件(以下「本事件」といいます。)に関する事故調査を実施していただきたく、貴会に対し、ご再考を申し上げます。
- 貴会において、本事件に関する事故調査委員会を設置して事故調査を実施する意向はないとのこと、大変遺憾に存じます。
貴会は、事故調査を実施しない理由として、以下(1)~(3)の3点をあげておられます。(1)新たな死因究明制度の法制化に向けて協力している(2)医療事故防止に向けて取組をしている
「医会は、新たな死因究明制度における原因究明と再発予防に向けた取り組みの法制化に協力するとともに、医療事故の防止に向けて数々の取り組みをしてまいりました。その一端をご紹介いたします。」(以下、8項目にわたるご紹介)(3)前例がない
「個々の事例について大規模な事故調査委員会を設置した前例はありません。」
しかしながら、当弁護団といたしましては、以上の(1)~(3)は、事故調査を実施しない理由にはならないのではないかと考えております。以下、理由を述べます。
[1] (1)(新たな死因究明制度の法制化に向けて協力している)について
貴会において、新たな死因究明制度の法制化に協力していることは、個々の事例に対する事故調査が不要であることの理由付けにはならないと考えます。むしろ、現段階において、死因究明制度や中立的第三者機関における医療事故調査制度が法制化されていないからこそ、本事件に関しては専門家職能団体である貴会による事故調査が必要だと思っています。[2] (2)(医療事故防止に向けて取組をしている)について
確かに、貴会が医療事故防止に向けて取り組んでおられる8項目は、いずれも産婦人科医療の向上および事故の再発防止のために大変有益なことです。貴会の書簡を拝読させていただく限り、貴会の取り組みは次の4分野に亘っていると思われます。i) 医療の標準化を目指すもの(1項:研修ノート、2項:冊子、5項:産婦人科診療ガイドライン)
ii) 事故情報収集による統計的な事故原因の分析・防止策の策定を目指すもの(3項:偶発事例報告、8項:妊産婦死亡症例届出)
iii) 新たな医療安全施策や法制度実現に向けての協力(6項:産科医療補償制度への協力、7項:わが国の妊産婦死亡の調査と評価に関するモデル事業)
iv) 貴会内部における情報共有体制(4項:全国支部医療安全担当者連絡会)確かに、上記i)のような一般的な事故予防、iii)およびiv)のような施策・法制度への協力や会内での情報共有体制といった間接的・バックアップ的な医療安全対策が重要であることはいうまでもありません。また、ii)について、貴会が指摘されるように「多くの偶発事例を集積・分析することにより再発防止・医療安全への施策を練ることができる」ことにも異論はありません。しかし、個々の医療事故から教訓を学ぶこともまた、重要な再発防止策です。とくに警報的・教訓的な事例については、個別事例を対象として具体的かつ詳細に検討することで、多数の偶発事例の分析という手法では把握し得なかった教訓・再発防止策を導き出しうると考えます。医療は不確実であると言われており、医療事故を完全に防止することは困難です。だからこそ、貴会の取り組んでおられる8項目以外にも実施可能な事故防止対策があるのであれば、それについても貴会に実施していただきたいと望んでいます。特に、本事件は、刑事訴追され、社会問題となったことで却って、臨床経過に関する冷静な判断・医学的評価がこれまでなおざりにされて来ました。しかし、医療界だけでなく一般社会にも大きな影響を与え、社会問題となった医療事故だからこそ、本事件から具体的な教訓と再発防止策を導き出し、今後の医療安全のための共有財産とすることが必要なのではないでしょうか。[3] (3)(前例がない)について
新しい試みを行おうとする場合、第1例目に前例はありません。「個々の事例について大規模な事故調査委員会を設置した前例」がないことは、本事件について事故調査を実施しないことの理由にはなりません。社会問題となった医療事故だからこそ、専門家職能集団の社会に対する説明責任として、本事件を第1例目として事故調査をしていただきたいと要望しております。参考のため申し添えますと、他学会では以下のような個別事故事例に関する調査の例があります。a 2001年3月に東京女子医科大学病院で発生した陰圧吸引補助脱血体外循環に関わる事故について、日本胸部外科学会・日本心臓血管外科学会および日本人工臓器学会において3学会合同調査が行われた例b 2002年10月から2004年1月にかけて東京医科大学病院で発生した心臓手術に関わる事故について、日本胸部外科学会および日本心臓血管外科学会が調査委員会委員長を推薦した例c 2006年9月にCCT Surgical 2006のライブ手術(解離性胸腹部大動脈瘤に対して行われた手術)に関わる事故について、日本心臓血管外科学会において調査が行われた例d 2006年10月および同年11月に三井記念病院で発生した歯科医師の医科麻酔科研修に関わる事故2症例について、日本麻酔科学会および日本歯科麻酔学会の2学会合同調査が行われた例 - なお、貴会の書簡には、「医会が本件に関する事故調査委員会を設置していないことをもって、再発防止策が講じられていないとのご指摘」とあります。
しかしながら、当弁護団は、貴会が「再発防止策が講じられていない」との指摘はしておりません。本年4月、貴会・日本産科婦人科学会ほか3学会の合計5団体にて「産科危機的出血への対応ガイドライン」を作成されたことも、承知しております。ただ、本事件の事故調査を行うという手法による再発防止策があるにもかかわらず、現時点までに行われていないことから、この事故調査をも実施してほしいと要望しております。 - 貴会においては、本事件の事故調査の実施について、再度ご検討いただきたくお願い申し上げます。
敬具
福島県立大野病院事件の事故調査を求める再度の要望書
社団法人日本産科婦人科学会
理事長 吉 村 泰 典 殿
拝啓 貴会におかれましては、平素より産婦人科医療の発展と向上のためにご尽力いただいていることと存じます。
さて、貴会からの平成21年12月12日付書簡を拝受いたしました。
以下、当弁護団の考えを説明させていただくとともに、福島県立大野病院事件(以下「本事件」といいます。)に関する事故調査を実施していただきたく、貴会に対し、ご再考を申し上げます。
- 貴会において、本事件に関する事故調査委員会を設置して事故調査を実施する意向はないとのこと、大変遺憾に存じます。 貴会は、事故調査を実施しない理由として、以下(1)~(3)3点をあげておられます。(1)ガイドラインを作成した
「同事件を契機にわが国の産科医療事故の防止の観点から果たしうる即時に対応すべき役割は何かを考え、日本産婦人科医会とも協議の上、医師が起訴された直後の平成18年4月に両会の共同事業として、『産婦人科医療ガイドライン-産科編』を作成することを決定いたしました。」(2)先例がない
「臨床の個別事故事例については、事故調査委員会を設置した先例はございません。」(3)調査・処断権限がない
「本学会にはそもそも、本学会会員以外の臨床に関わった多くの関係者及び施設についての調査を行い、処断する権限はないからです。」
しかしながら、当弁護団といたしましては、以上の(1)~(3)は、事故調査を実施しない理由にはならないのではないかと考えております。以下、理由を述べます。[1] (1)(ガイドラインを作成した)について
確かに、産婦人科医療の向上および事故の再発防止のためには、学術団体・専門家職能団体において標準的医療を示すことは重要であり、貴会と日本産婦人科医会において産婦人科診療ガイドラインを作成されたことについては、敬意を表しております。なお、本年4月、貴会・日本産婦人科医会ほか3学会の合計5団体にて「産科危機的出血への対応ガイドライン」を作成されたことも、承知しております。しかし、ガイドラインの作成は、産婦人科医療の向上および事故の再発防止のための方法の1つに過ぎません。事故防止対策には多様な方法があり、ガイドラインを作成しさえすれば、他の事故防止対策を実施する必要はないということではありません。ガイドライン作成による一般的な事故予防も重要ですが、臨床の個別事故事例を詳細に検討することから学べる再発防止策もあるのではないかと考えます。医療は不確実であると言われており、医療事故を完全に防止することは困難です。だからこそ、ガイドライン作成以外にも実施可能な事故防止対策があるのであれば、それについても貴会に実施していただきたいと考えております。なお、貴会の書簡には、本事件を「契機に」ガイドラインを作成することを決定したとされています。本件が医療界や社会の大きな関心事になったのは担当医逮捕からですが、貴会の理事会議事録を拝見させていただいたところ、本事件の担当医逮捕(2006年2月18日)前である2006年1月初めから、貴会と日本産婦人科医会は、産婦人科医療ガイドライン作成のプロジェクトを合同で進められており、同年2月3日のプロジェクトチーム打合せ会では「一般産婦人科の中で先ず周産期医療から着手」する方針で進められていたようです(2006年2月18日開催・平成17年度第4回理事会議事録14頁)。したがって、ガイドライン作成の過程において本事件の影響があったことまでも否定するものではありませんが、本事件を「契機に」ガイドラインを作成したとは言えないのではないでしょうか。[2] (2)(先例がない)について
新しい試みを行おうとする場合、第1例目に先例はありません。「臨床の個別事故事例については、事故調査委員会を設置した先例」がないことは、本事件について事故調査を実施しないことの理由にはなりません。本事件は、医療界だけでなく一般社会にも大きな影響を与えました。社会問題となった医療事故だからこそ、専門家職能集団の社会に対する説明責任として、本事件を第1例目として事故調査をしていただきたいと要望しております。参考のため申し添えますと、他学会では以下のような個別事故事例に関する調査の例があります。a 2001年3月に東京女子医科大学病院で発生した陰圧吸引補助脱血体外循環に関わる事故について、日本胸部外科学会・日本心臓血管外科学会および日本人工臓器学会において3学会合同調査が行われた例b 2002年10月から2004年1月にかけて東京医科大学病院で発生した心臓手術に関わる事故について、日本胸部外科学会および日本心臓血管外科学会が調査委員会委員長を推薦した例c 2006年9月にCCT Surgical 2006のライブ手術(解離性胸腹部大動脈瘤に対して行われた手術)に関わる事故について、日本心臓血管外科学会において調査が行われた例d 2006年10月および同年11月に三井記念病院で発生した歯科医師の医科麻酔科研修に関わる事故2症例について、日本麻酔科学会および日本歯科麻酔学会の2学会合同調査が行われた例[3] (3)(調査・処断権限がない)について
貴会において「本学会会員以外の臨床に関わった多くの関係者及び施設についての調査を行い、処断する権限」がないとしても、福島県立大野病院およびその関係者から任意に事情聴取をする等の事故調査は可能だと思われます。なお、本事件のご遺族は、事故調査のために、その所持している刑事訴訟記録等の資料を貴会に提供する用意がございます。また、当弁護団は、貴会に対し、産婦人科医療の向上と事故の再発防止のために事故調査を要望しているのであり、本事件の関係者や施設に対する処断を求めておりませんので、貴会が「処断する権限」を有しておられる必要はありません。 - なお、貴会の書簡には、「本学会が県立大野病院事件に関する事故調査委員会の設置を行っていないことを以て、本学会が産婦人科医療の向上ないし手術においての事故防止に努めていないかの如くの今般の貴弁護団からのご指摘」とあります。
しかしながら、当弁護団は、貴会が「産婦人科医療の向上ないし手術においての事故防止に努めていない」との指摘はしておりません。本事件の事故調査を行うという手法による再発防止策があるにもかかわらず、現時点までに行われていないことから、事故調査を実施してほしいと要望しているものです。 - 貴会におかれましては、本事件の事故調査の実施について、再度ご検討いただきたくお願い申し上げます。
敬具
福島県立大野病院事件検討報告書
-刑事記録等から見えてきたもの-
社団法人日本産婦人科医会 御中
社団法人日本産科婦人科学会 御中
社団法人日本麻酔科学会 御中平成21年11月24日
医療問題弁護団 代表 弁護士 鈴 木 利 廣 | |
(事務局) | 東京都葛飾区西新小岩1-7-9 西新小岩ハイツ506 福地・野田法律事務所内 電話 03(5698)8544 FAX 03(5698)7512 HP http://www.iryo-bengo.com/ |
(担当連絡先) | 弁護士 松 井 菜 採 東京都文京区大塚1-5-18 槌屋ビル4階A号室 すずかけ法律事務所 電話 03(3941)2472 FAX 03(3941)2473 |
要望の趣旨
貴会等において、「福島県立大野病院事件検討報告書-刑事記録等から見えてきたもの-」を参考にされ、福島県立大野病院事件に関する事故調査委員会を設置して事故調査を実施し、原因究明・再発防止を図ることを要望します。
要望の理由
当弁護団は、東京を中心とする200名余の弁護士を団員に擁し、医療事故被害者の救済、医療事故の再発防止のための諸活動等を行い、それを通じて、患者の権利を確立し、かつ、安全で良質な医療を実現することを目的とする団体です。
福島県立大野病院事件は、帝王切開時の癒着胎盤剥離に伴う産婦の失血死につき執刀医が業務上過失致死罪等に問われた事件です。
刑事裁判に先立ち県立大野病院医療事故調査委員会が行った事故調査報告では、事故の要因として(1)癒着胎盤の無理な剥離、(2)対応する医師の不足、(3)輸血対応の遅れが指摘されました(平成17年3月22日付報告書 県立大野病院医療事故について)。
これに対し、刑事裁判では、平成20年8月20日、無罪判決が下りました。
貴会等は無罪判決を受け、次の声明を表明されました。
- 今後も医学と医療の進歩のための研究を進めると共に、関係諸方面の協力も得て診療体制の更なる整備を行い、本件のように重篤な産科疾患においても、母児ともに救命できる医療の確立を目指して最大限の努力を続けてゆくことを、ここに表明致します。
(以上、日本産科婦人科学会) - このように診療行為に伴って患者さんが死亡されたことを深く受け止め、再発防止に努めねばなりません。
そのためには専門家集団による透明性のある事故調査が必要です。 - 今後、医療の専門家である医師は、医療事故発生の防止に努めるとともに、医療を受ける患者さん方と、真摯に向き合い、相互の理解に努め、医師・患者間の溝を埋めていくよう、一層の努力を払わねばならないと考えています。
(以上、日本産婦人科医会)
貴会等が努めると表明されている「母児ともに救命できる医療の確立」「再発防止」「医療事故発生の防止」のためには、まずもって福島県立大野病院事件について、原因究明がなされ再発防止策が講じられることが不可欠です。
しかし、同事件について、その後、「専門家集団による透明性のある事故調査」が遂げられ、あるいは「専門家中心の第三者機関」が設置されて、その成果が広く国民に対して開示されるということは、今日に至るまでなかったように思われます。
当弁護団としましては、産科医療ないし手術における医療事故の発生防止に努められる貴会等に、同事件につき徹底した事故調査を行っていただきたいと考えております。
今般、当弁護団の検討班は、ご遺族の協力を得て、刑事事件の訴訟記録を精査し、併せて医学文献の検討と専門医からの参考意見の聴取を行い、「福島県立大野病院事件検討報告書-刑事記録等から見えてきたもの-」と題する報告書にまとめました。
その結果、術前における癒着胎盤の診断の可能性や循環管理・補充療法等に関する事実関係はどのようなものだったのか、診療行為の評価にあたり医学的知見が充分に検討されたといえるのか、地域医療体制・輸血供給体制などの医療行政・医療制度上の問題点を検討する必要があるのではないか等、刑事事件の無罪判決で解消されているとは思われない多くの疑問点ないし問題点が、再発防止には必ずしも活かされないまま、なお未解明のままに残されていることを知りました。
貴会等におかれましては、同報告書を参考にされ、福島県立大野病院事件に関する事故調査委員会を設置して事故調査を実施し、原因究明・再発防止を図られることを、本書をもって要望します。
以上
繰り返される医療事故 ―ジャクソンリース回路の再回収に思う―
弁護士 松 井 菜 採
繰り返される医療事故。たしかに、人は誰でも間違えます。しかし、繰り返される医療事故に鈍感になっているということは、ないでしょうか。
私は、以前、小児用ジャクソンリース回路と気管切開チューブの接続不具合事故で亡くなった赤ちゃんの遺族の代理人を務めました。*1
ジャクソンリース回路と気管切開チューブの接続不具合事故―それは、「繰り返される医療事故」の象徴のような事故です。
ジャクソンリース回路は、麻酔や人工呼吸などの人工換気を行うときに、麻酔ガスや酸素などの吸気(吸う空気)として患者の体内に取り込み、患者の呼気(吐く空気)を排出するために使用する医療機器です。
気管切開チューブ、気管チューブ、人工鼻など、他の医療器具(呼吸補助用具)に接続されて使用されます。
2001年3月、東京都内の病院で、生後3か月の赤ちゃんに装着した気管切開チューブに、ジャクソンリース回路を接続したときに、ジャクソンリース回路の内管(新鮮ガス供給用パイプ)が気管切開チューブの内径に密着してはまり込んで回路が閉塞し、呼気を排出することができなくなり、赤ちゃんは、死亡しました。
この事故は、当時、テレビや新聞でも、事故の起こる仕組みを図や映像で解説するなどして、比較的大きく報道されました。*2
2001年5月、厚生労働省は、この事故に関連して、医薬品・医療用具等安全性情報No.166を出しました。
当時、日本では、11社16種類のジャクソンリース回路、10社11種類の気管切開チューブが販売されていました。業界団体の調査により、この事故で使用されたジャクソンリース回路と気管切開チューブの組み合わせ以外にも、回路閉塞の恐れのある組み合わせが複数あることが確認されました。*3
事故の恐れのあるジャクソンリース回路を販売しているメーカーは、製品の自主回収を行いました。
実は、ジャクソンリース回路を他の医療用具と組み合わせて使用したときに、回路が閉塞する恐れについては、2001年より前から指摘されていました。
1983年、アメリカのFDA(食品医薬品局)は、「安全警告:呼吸システムコネクター」を出しました。*4
この安全警告は、内管(新鮮ガス供給用パイプ)のあるジャクソンリース回路を、他の医療用具に接続したときに、回路に閉塞が生じる危険があることについて、次のように注意していました。
- いくつかの呼吸回路のアダプターには、新鮮ガス供給用パイプを取り入れており、この新鮮ガス供給パイプを気管チューブが接続される先端の近傍まで突出しています。
- このようなアダプターを、「死腔の少ない」気管チューブのコネクターと接続すると、呼吸経路の部分的あるいは完全な閉塞が起こることがあります。
- 不適合の部品を接続して使用することがないように、「死腔の少ない」気管切開チューブコネクターか、「死腔の少ない」新鮮ガス供給パイプを有するアダプターのいずれかを、病院から撤去することを考慮して下さい。
時を経て、日本でも、同じような接続不具合事故が起こっていました。
中には、医学雑誌で報告されている事故もあれば、厚生労働省に報告されている事故もありました。
事故年月 | 不具合報告、雑誌掲載など |
---|---|
1992年1月 | 大橋陽子ほか「Jackson-Rees回路使用時のカプノグラフィーの注意」 臨床麻酔16巻1号102頁 |
1997年5月 | メーカーから厚労省へ不具合報告(98年9月)*5 高倉照彦ほか「呼気ガスモニタでの換気トラブル」日本手術医学会18巻臨時93頁(97年9月) |
1997年5月 (2症例) | 萬家俊博ほか「小児用人工鼻とジャクソンリース回路の組み合わせによる換気障害」日本臨床麻酔学会誌18巻9号729頁(97年11月) |
1998年6月*6 | * 栃木県内の病院で新生児の肺損傷事故 メーカーは日本新生児学会において使用上の注意を小児科及びNICU関係者に配布(98年7月12-14日、福岡) メーカーから厚生省へ不具合報告(98年7月、9月) |
1999年6月 | * 兵庫県内の病院で生後6か月児の事故(1か月後死亡) |
2000年8月*7 | * 東京都内の病院で生後8か月児の死亡事故(2001年3月事故と同一病院での事故であり、2001年3月後に病院の調査により判明) |
しかし、これらの警告・報告や過去の事故は、生かされることはなく、2001年3月の事故が起こったのです。
2001年の事故後、回路閉塞の恐れのあるジャクソンリース回路は自主回収され、同じような事故が再び起こることはないはずでした。
しかし、事故は、繰り返されました。
2008年10月、石川県内の病院で、生後数ヶ月の乳児に、ジャクソンリース回路と人工鼻を組み合わせて使用したところ、呼吸困難となり肺を損傷したという事故*8が報道されました 。*9
今回使用されたジャクソンリース回路は、2001年の事故とは異なるメーカーの製品でしたが、医薬品・医療用具等安全性情報No.166では、回路閉塞の恐れがあることを指摘されていました。
2001年の自主回収のときに、回収から漏れた製品により、事故は起こったのです。
2008年11月、厚生労働省は、ジャクソンリース回路の回収等に関する通知を出しました。改めて、メーカーによる自主回収の徹底と確認が行われることとなりました。
2009年2月、医薬品医療機器総合機構も、この事故に関連して、PMDA医療安全情報No.9を出しました。
2010年7月、厚生労働省は、2008年の事故で使用されたジャクソンリース回路のメーカーに対し、ジャクソンリース回路の回収を徹底しなかったとして、薬事法に基づき25日間の業務停止命令を出しました。
2001年の事故の教訓は生かされることなく、2008年に事故は繰り返されました。
なぜ、これほど事故を繰り返すのでしょうか。
業務停止命令を受けたメーカーは、2008年の事故後に行った再度の自主回収で、314施設から1119個も回収したとのことです。*10
事故の元凶は、メーカーの製品回収不徹底であったことは間違いないでしょう。
でも、本当にそれだけなのでしょうか。
ジャクソンリース回路をめぐる呼吸回路閉塞については、2001年の事故後、厚生労働省から医薬品・医療用具等安全性情報が出され、テレビや新聞でも報道されました。
ジャクソンリース回路を使用する部門にいる医療従事者であれば、誰でも一度は、2001年の事故情報に接しているはずです。
なぜ、この病院では、2008年まで、回路閉塞の恐れのあるジャクソンリース回路が院内に残っていて、医師が使用できる状態にあったのでしょうか。
回路閉塞の恐れのあるジャクソンリース回路を病院から撤去することを阻んだものは、何だったのでしょうか。
医薬品・医療用具等安全性情報を、院内で共有していなかったのでしょうか。
院内で情報共有できなかったのであれば、その原因はどこにあったのでしょうか。
自分の使用しているジャクソンリース回路が回路閉塞の恐れのある製品かどうかを調べようとする医療従事者は、いなかったのでしょうか。
院内を点検して、問題のある製品を院内から撤去しようと提案する医療従事者は、いなかったのでしょうか。
病院は、2008年の事故後、院内の事故調査委員会で、徹底的な原因究明を行っているでしょうか。
今後、同じ轍を踏まないために、病院は、どのような再発防止策を策定したのでしょうか。
さらに懸念されるのは、今回314施設から回収したことから推測すると、2001年の医薬品・医療用具等安全性情報に対応しなかった医療機関は、ほかにも多数あるのではないかということです。これらの医療機関は、2008年の事故から学び、再発防止に向けての対応を行う必要はないのでしょうか。
2008年の事故は、医療機器メーカーの自主回収に不備があったことを露呈しました。それのみならず、「事故を教訓とした医療安全」に対する感度が低い医療機関が少なからずあることも、さらけ出したのではないでしょうか。
「医療に安全文化を」にいたる道程は、まだ遠いのでしょうか。
*1 東京地裁平成15年3月20日判例タイムズ1133号97頁・判例時報1846号62頁、民間医局医療過誤判例集No.15
*2 朝日新聞2001年4月7日夕刊、同4月8日朝刊、同12月25日夕刊、毎日新聞2003年2月6日朝刊、テレビ朝日「スーパーJチャンネル」2001年5月9日放映、日本テレビ「きょうの出来事」2002年12月5日放映など
*3 医薬品・医療用具等安全性情報No.166表2参照
*4 September 2, 1983 FDA Safety Alert: Breathing System Connectors
*5 M社の医療用具不具合・感染症症例報告(平成10年9月1日付)
*6 N社の医療用具不具合・感染症症例報告(平成10年7月2日付、同年9月1日付)、毎日新聞2003年2月6日朝刊
*7 毎日新聞2003年2月6日朝刊
*8 平成21年3月24日付医療事故情報収集等事業第16回報告書96頁図表Ⅲ-2-7のNo.3の事故と思われる。
*9日本経済新聞2008年11月20日朝刊、朝日新聞同日朝刊
*10 I社の東京都知事宛報告書(平成21年8月7日付)
院内事故調査委員会シンポで役者デビュー
弁護士 高 梨 滋 雄
少し前のことになりますが、昨年(2009年)の12月20日(日)に明治大学駿河台キャンパス、アカデミーホールにおいて「院内事故調査委員会・演劇とシンポジウム」(財団法人生存科学研究所主催、医療問題弁護団、明治大学医事法センター共催)というシンポジウムが開かれました。私はそのシンポジウムに「役者」として(!?)参加しましたので、そのお話をさせていただきます。
近年、医療機関において患者が死亡する等の医療事故が発生した場合に、院内に事故調査委員会が設置されて、事故調査が行われるようになってきました。
これは医療事故が発生した場合には、その事故を調査し事実解明を行うことが、同種事故の再発防止、医療の質の向上のために必要であることが認識されるようになってきたことによるものと考えられます。
しかし、他方において、院内事故調査委員会はもともと設置が任意であるうえ、委員会の構成、運営等の事故調査の在り方については、未だにコンセンサスが得られていない状況にあります。
そのため、院内事故調査委員会による事故調査の在り方について議論を深めるために院内事故調査委員会についてのシンポジウムが開催されたのです。
シンポジウムは第1部と第2部に分かれ、第1部では、東京近郊の病院で、75歳の男性が大腸内視鏡検査、ポリープ切除が行われた3日後に死亡したため、病院において緊急対応会議が開かれ、院内事故調査委員会が設置され事故調査が行われるというストーリーの演劇が、医療従事者や弁護士らによって演じられました。
そして、第2部では、第1部の演劇を踏まえて、医療安全に関わる医師、弁護士らのシンポジストによって院内事故調査委員会の在り方についてディスカッションが行われました。
このようにシンポジウムが演劇とディスカッションの2部構成になったのは、まだ、必ずしも一般的ではない院内事故調査委員会を、演劇という方法でシンポジウムに来ていただいた皆さまに理解していただこうとする意図からでした。
私は、この第1部の演劇に「役者」として出演することになってしまったのです。私の役は、組織防衛的な考えから事実解明のための院内事故調査委員会を開催に反対する病院の顧問弁護士でした。
普段の仕事とは全く正反対の役どころでしたが、なぜか役のイメージは掴みやすかったです。
ただ、演じるということは容易なことではありませんでした。シンポジウム開催まであと数週間になっても、出演者の演技は学芸会のレベルにも到達していない状況でした。
出演者は、弁護士や医療従事者といった多忙な人々でしたが、最後の1週間は忘年会もキャンセルして、ほぼ連日の猛けいこを行いました。あのときの同じ目標に向かって頑張る出演者の一体感は感動的で、私にとって忘れ難い記憶になっています。
シンポジウムの当日の演劇は一生懸命頑張ったつもりですが、緊張していたせいか、あまり記憶がありません。
後日、ある医療被害者の方と電話でお話したとき、次のようなことを言われました。
「先生、先日のシンポジウムを私、拝見しました。先生のお芝居も、とっても良かったです。でも、先生、安心してください。私、先生が本当はあんな悪い弁護士ではないことを分かってますから。」
シンポジウムでは、医療事故の再発防止、医療の質の向上のため院内事故調査が必要であることについては、医療安全に関わる者の共通の認識が得られていることが確認できました。次はその普及と事故調査の実効性の確保のために院内事故調査委員会の設置基準、構成等について共通の基準が策定されることが望まれるところです。
危うい自由診療
弁護士 服 部 功 志
まだ小学生ぐらいのころだろうか。遊んでばかりしていてろくに勉強などしていなかった私は、クラスの頭の良い友達のかけているメガネになぜか憧れ、自分もメガネかけたらなんか頭良くなるかも知れないし、かっこいいって思われるかも・・・。
なんてバカなことを考えたものである。 高校3年生の夏にはじめて勉強というものに真剣に取り組んだ私は、慣れない勉強に体が悲鳴を挙げ、それまで両方1.5あった視力が、一気に0.5くらいに下がり、その後もドンドン低下した。
憧れのメガネを初めて買って「おっ!ちょっと似合うかも・・・。」なんて思ったのはほんのつかの間。たちまち目が悪いことがいかに不便かを思い知り、同時に「視力が良かったらなんて幸せなのだろうか」「なんとかして視力が戻らないだろうか」と裸眼で生きているひとのことを心からうらやましく思うことになる。
そんな視力の悪い人間が誰もが思う願望につけ込み、医療を道具にした商売。
レーシック事件はまさにそんな事件であろう。 私をはじめ、医療問題弁護団の多くの弁護士が、レーザー光線を使って視力矯正をするレーシック手術により角膜炎や角膜潰瘍に集団感染させた未曾有の眼科被害事件の解決に取り組んでいる。
70人以上にも及ぶ患者の受けた被害は、眼に走る激痛と、眼が見えなくなるかも知れないという恐怖で、まさに地獄のような日々を過ごすことになった。
眼が思うように見えないことにより、また、急に入院を余儀なくされたことにより、被害者は、日常生活を送ることもままならず、中には、デスク仕事の継続が困難となり失業した方、卒論が書けずに留年したりする方、進学や就職の時期と重なり思い描いていた進路を断念せざるを得なくなった方もいた。
被害者へ聴き取り調査の結果、われわれ弁護団は、報道された「角膜炎などへの集団感染」という短い言葉だけでは到底伺い知ることができなかった、生々しくそして壮絶な被害を目の当たりにし、この事件の被害の大きさを痛感することになった。
その眼科は、芸能人の名前をつかった広告、当時の相場に比べて安い値段、お友達紹介割引、3年間再手術無料といったキャンペーンと言ったさまざまな手段を使って、お客を集めていた。
被害者の方々は、その裏側に、手洗い場がない手術室、薄めて使われていた消毒液、使用済みと未使用が別けられていない医療器具といった衛生管理の実態が潜んでいたとは到底想像できなかっただろう。
専門性に対する社会の信頼に応えてこそ本当の専門家であるにもかかわらず、その社会の信頼を利用した金儲けのために、多くの犠牲者を出した責任はあまりにも大きい。
私は、当初、こうした素朴な怒りから弁護団活動に参加したが、徐々にこの事件の背景に横たわる自由診療そのものの危うさに対しても注目していかなければならないのではないかと思いはじめた。
自由診療行為の中には、治療の必要性も緊急性もないために保険適用が外されている性質のものが多くある。美容整形、インプラント治療、ダイエット外来など。これらは、美しさ、若さなど、多くの人の願望を叶えてくれるいわば魔法のような医療行為であろう。
もちろんこれらの全てが、レーシック事件のように安全性を無視したものでないことは言うまでもない。
しかし、自由診療は、料金を自由に決定できるものである以上、市場が大きくなればなるほど価格競争に陥りがちである。料金を安く設定すれば当然その分どこかで経費を抑える必要が出てくるし、ひょっとしたら安全対策、感染対策にかける労力と費用をおろそかにしていく医療機関が現れるかも知れないし、もう既に存在しているかも知れない。
被害回復を実現はもちろん、そんな危うい自由診療に対して警鐘を鳴らすためにも、今後もレーシック事件訴訟に尽力していきたい。