最高裁の壁

弁護士 木 下 正 一 郎

1 2つの敗訴確定事件

平成18年、2つの事件で最高裁に上告兼上告受理申立を行った。

1つは、病院に対する名誉毀損行為があったとして医師が訴えられた事案で、私は上告時から弁護団に名前を連ねた。上告受理申立理由の補充をして攻勢に出ようとしていた矢先、最高裁から上告棄却決定が送られてきた。

もう1つは、一審を他の弁護士が担当していて、控訴審から受任した医療訴訟である(以下、「本件」という場合、この事件をいう。)。控訴審で複数の鑑定意見書を提出し、できる限りの主張立証活動を行ったが、控訴審でも敗訴し、上告兼上告受理申立を行った。年の瀬も押し迫った時期に上告棄却を伝える決定調書を受け取った。

2 法律審たる最高裁

学校では、日本の裁判制度は三審制をとっている、と教わってきた。しかし、裁判で3回同じ戦いをするチャンスが与えられているわけでは決してない。

最高裁は法律審である。事実関係を争うことができるのは二審までで、二審での事実認定の誤りを理由に最高裁に不服申立をすることはできない。二審が認定した事実を前提にして、二審の判断に憲法違反がある場合等に上告ができる(民訴法312条1項2項)。また、最高裁判例に反する判断がある場合や、法令の解釈に関する重要な事項を含む場合には、最高裁は、上告受理申立を受けて、裁量により上告審として事件を受けることができる(民訴法318条1項)。

憲法違反というのはそうそうあるものではない。そこで重要なのが上告受理申立である。本件でも、力を入れて二審の判断が最高裁判例に反していること等を理由書で訴えた。書き上げたときには、自分が最高裁で弁論する姿を思い浮かべた。今考えると赤面ものである。

しかし、両事件で受け取った決定書には、上告受理申立てについて「本件申立ての理由によれば、本件は、民訴法318条1項により受理すべきものとは認められない。」との記載が一文あるだけであった。

以前、全く別件の相談者から、医療過誤事件については、最高裁が患者側を勝たせる判決を以前より出すようになったそうだから、地裁・高裁で勝てずとも最高裁まで争えば勝てるのではないかと尋ねられたことがある。私は、「最高裁もそう甘くないですよ。」と答えたが、今回は身をもって思い知らされた格好だ。

3 本件依頼者の言葉を胸に

本件では、控訴審でも最高裁でも破れ、この結果に依頼者としても納得されていないが、それでも私をはじめ担当した弁護士に、頑張っていただき感謝しているとの言葉を下さった。ありがたい限りである。

そもそも弁護士になって医療訴訟に取り組もうと思ったのは、非のない患者・家族が突然の被害を受け不幸な事態に陥っていることに対して、こういう方々の力になる仕事ができれば、と思ったからである。この当初の願いを達成するために、本件依頼者からいただいた言葉を胸にさらに精進していきたい。

産婦人科医の減少問題に初心を思う

弁護士 梶 浦 明 裕

1 産婦人科医の減少・不足の現状

今や産婦人科医不足は社会的な問題であり、最近では産婦人科医の「減少」「不足」を指摘する報道等は枚挙に暇がない。

つい先日の一般紙の朝刊にも、今年度(平成18年度)は、2年間の臨床研修を終えて日本産婦人科学会に入った医師が、これまでより2割以上減ったという記事があった。

産婦人科医が減少していることは紛れもない事実である。

2 原因は医療訴訟か

産婦人科医の減少・不足の原因については、過酷な勤務実態と訴訟率の高さが指摘されている。

確かに、お産は昼夜を問わず緊急の診療行為を求められる。平成16年の北海道大学の調査では、産科医の年間当直回数は平均123回(つまり3日に1回)で、土日祝日の勤務も37回であるという。また、訴訟率は、医師一人当たりの提訴件数でみると、産婦人科は平均の2.5倍程度で全診療科のトップである。以上の数字をみると、弁護士が関わる訴訟率の高さが産婦人科医の減少・不足を招いているとも考えられ、現にその趣旨の論評も存在する。

実際はどうであろうか。

大学(文化系学部)在学中に医師を志し、医学部に再入学して、間近に国家試験を控えた尊敬する友人がいる。彼女が志したのは産婦人科医である。自分自身、そして身内が産婦人科医にお世話になった、お世話になったのが女医であることに非常に安心感を覚えた、自分も同じように役に立ちたい、そういったところが彼女の志望動機である。もちろん彼女の耳にも、上記の激務・高訴訟率の情報は入っているし、周囲に反対意見もあるという。しかし、そうしたことも、産婦人科医を目指した彼女の志の高さには適わないようだ。

3 初心忘るべからず

産婦人科医が減少・不足しているという話を聞く度に、過酷な勤務実態、何よりも訴訟率の高さが頭を過ぎる。

しかし、訴訟率などとは無関係に、産婦人科にやりがいを感じ産婦人科医を志している若い医学生はたくさんいる。正に、そのような初心が今後の産婦人科を支えていくのではないか。そして、そのような若い医学生や医師の初心をサポートする体制こそが必要ではないか。

医師と医療訴訟を扱う患者側弁護士とは真っ向から対立するようにも思える。

しかし、多くの患者側弁護士は、被害を救済することはもちろんのこと、今後の同種の医療事故を防止することによってよりよい医療が実現されることを目指しており、究極の目標は医師と同じであることを願っている。

私自身も、そのような考えに共感し、医療事件を扱いたいと考えた。

医療事件を扱っていると、時に困難に打ち当たり、時に疑問を抱くこともない訳ではないが、初心を強く持ち続け、究極の目標の実現を模索していきたいと思う。

生殖補助医療-急がれる法整備

弁護士 五 十 嵐 裕 美

1 「生殖補助医療の光と陰」

タレントの向井亜紀さんと元プロレスラーの高田延彦さん夫妻が、アメリカの女性に代理出産してもらった双子の出生届を受理するよう求めた裁判で、東京高等裁判所が、夫妻の訴えを肯定した裁判は記憶に新しい。

生殖補助医療をめぐっては、これ以外にも、死亡した夫の凍結精子を使って妊娠出産した女性が認知を求めた裁判などがあり、法的整備がなされていない現状で、司法に個別の判断が委ねられている問題点が指摘されて久しい。

生殖補助医療は、かつては神の領域だった生命の誕生に人為的な介入を可能にした、ある意味で画期的な技術である。子宮摘出などの理由で妊娠出産がかなわない人々にとってはこの上ない朗報であるが、反面、精子や卵子を選別することによるデザイナーべビーや親子関係の複雑化、さらには出生前診断にまつわる問題など、たくさんの生命倫理的問題をはらんでいる。人を恣意的にこの世に誕生させることに伴う嫌悪感や人の身体を道具として使う点、生まれてくる子に対する差別の有無など、社会や個人の価値観にかかわる多様な問題をはらんでいるのである。

2 法的整備か?ガイドラインか?

生殖補助医療の分野について法的な規制が必要であるのか、それとも学会や医師会などの団体によるガイドラインに規制を委ねるのかについては、少なくとも、法的権利関係である「親子」の関係を決めなければならないという意味において法の整備が必要なことについては異論がないように思われる。

しかし、法制定について総論賛成でも、いったい誰が親となるべきなのか、利用が許される生殖補助医療の範囲はどこまでなのか、どういう人が生殖補助医療を利用できるのか、生まれてきた子どもの権利は保障されるのかetc、etc、各論となると議論百出で、今日まで法案作成にすら至っていないのが現状である。

3 子の福祉の観点を

生殖補助医療の法的整備を進める際に、忘れてならないのは子の福祉の観点である。子どもは親や生まれてくる方法を選べない。生まれてくる子どもが健やかに成長できることが保証される法でなくてはならない。この点で強調したいのが、子の出自を知る権利である。自分がどこから来たのか、それを知ることは人間にとってアイデンティティの確立に不可欠なのではないだろうか?産院で取り違えられ、実の親を知ることを求めて訴訟を起こした事件があったが、原告の目的はもちろん慰謝料を得ることではなく、自分が真実は誰の子であるか、自分のアイデンティティを確認したいという人として自然で、かつ、根源的な要求に基づく行動であったに違いない。

4 次世代への責任

生殖補助医療が決して一部の特別な人々だけが受けるものではなくなっている現在、法整備の問題は、日本の社会が、どのような次世代を作っていくのかにかかわる議論である。

目を背けたくなるような虐待事件も連日のように報道されているが、生殖補助医療の議論を通じて「子どもを産み育てる」ことについて社会の議論が深まって欲しいものだと思う。

「医療事故調査体制の自己評価基準」ご活用の要望書

当弁護団は、東京を中心とする200名余の弁護士を団員に擁し、医療事故被害者の救済、医療事故の再発防止のための諸活動等を行い、それを通じて、患者の権利を確立し、かつ、安全で良質な医療を実現することを目的とする団体です。
当弁護団は、平成17年5月、「医療事故調査の在り方に関する意見書」(以下、「前意見書」といいます。)を発表しました(当弁護団ホームページhttp://www.iryo-bengo.com/を参照下さい。)。


平成18年11月20日
医療問題弁護団
(事務局)東京都葛飾区西新小岩1-7-9
西新小岩ハイツ506
福地・野田法律事務所内
電 話 03(5698)8544
FAX 03(5698)7512
掲載ホームページ:http://www.iryo-bengo.com/


前意見書では、医療事故調査のあり方、医療事故調査委員会の設置・運営についての指針を提示し、公正かつ適切な医療事故調査が行われることによって、医療事故の原因究明、再発・発生予防、被害者である患者・家族の被害救済に資すると考えました。

近年、重大事故が発生した場合に、医療事故調査委員会を設置する事例が現れ始めてきました。しかし、新聞報道によれば、医療事故が起きた際、公正さを確保するために医療事故調査に第三者が加わることをルール化しているのは、都道府県や公的な病院グループでも3割にとどまり、調査報告書の公表を定めている団体は1割にすぎません(平成18年2月12日朝日新聞東京版朝刊)。かかる現状は、未だ前意見書の趣旨に基づいて医療事故調査が実施されていないことを物語っています。

そこで、当弁護団は、より具体的に前意見書に示した指針をどのように実現すべきか、医療機関にとって行動指針となる評価基準を別表「医療事故調査体制の自己評価基準」(以下、「自己評価基準」といいます。)として作成しました。

本自己評価基準の構成等は以下のとおりです。

本自己評価基準は、医療法、医療法施行規則の定め、厚生労働省の通知などを基本として、「医療事故の原因究明、再発・発生予防、被害者である患者・家族の被害救済」という目的を達成するために、患者・家族の視点に立った医療事故調査体制を理想(満点)として作成したものです。かかる作成の趣旨を踏まえて、広く医療機関においては、医療事故調査体制の自己評価及び改善のためにご活用頂くことを希望しております。

各設問を設置した趣旨については、自己評価項目別に記載しておりますので、そちらをご参照下さい。
医療事故調査体制の自己評価基準

なお、「医療事故」という用語については、医療法施行規則で事故等報告書作成を要する事故等事案(行った医療又は管理に起因して、患者が死亡し、若しくは患者に心身の障害が残った疑いのある事例など)と同意義のものとして、使用しております。そのような理解で本自己評価基準を利用いただきたいと考えております。
以 上

医療過誤刑事事件の立件を巡って

弁護士 安 原 幸 彦

1 「一生懸命やった挙げ句に捕まったのではたまらない」

最近医療過誤事案が刑事事件として立件されたという報道に接することが珍しくなくなった。特に、東京女子医大・慈恵医大と続いた医師の逮捕が医療界に衝撃を与えた。そして最近の福島県立病院の帝王切開失血死のケースで、不満が爆発した。
曰く「一生懸命やった挙げ句に捕まったのではたまらない」「こんなことでは医者なんかやっていられない」。医療従事者に過重な負担が課せられている医療現場の惨憺たる現状を見れば、そう言いたくもなる気持ちは分からないではない。
しかし、この理屈は医者仲間以外では通らない。「一生懸命ですむんなら警察要らない」と言われるのが落ちだ。通らないどころか、この理屈は、特権意識を振りかざした恫喝としか映らないだろう。

2 医療の世界も聖域ではなくなった

福島県立病院のケースを報道で知る限り、確かに逮捕権を行使すべき事案であったかどうか疑問がある。しかし、実は、こうした警察の行きすぎは、医療の世界以外では既に珍しくなくなっている。弁護士なら、選挙違反・ビラ貼り・公務員の政治活動など政治絡み・社会運動絡みの事件だけでなく、交通事故や交通違反、痴漢冤罪事件など、誰でも巻き込まれる可能性がある事件の中で、「何でこんな事案で逮捕しなければならないんだ」と思わされることがしばしばある。身柄を拘束して、自白させて、一丁上がりという旧態依然たる捜査のあり方は、今なお重大な人権侵害を起こしている。
これまで刑事事件の聖域とされていた医療の世界に、警察が足を踏み入れたとき、こうした安易な逮捕・自白の強要という人権侵害が、当然のように医療の世界にも入ってきたのである。

3 感情的反発ではなく、冷静な批判を

医療過誤の相談を受けると、被害者から告訴できないか、と問われることは少なくない。私自身は、よほどのことがない限り、刑事告訴は勧めない。刑事事件の立件はよほどの条件が揃っていなければできないからだ。また、刑事告訴は、報復感情の発露という面が大きい。これには、そう簡単に乗るわけにはいかない。報復感情にとらわれている限り、被害からの解放はないからだ。
しかし、だからといって、医療過誤は、そもそも刑事事件の対象外であるとか、強制捜査の対象外であるなどというわけではない。処罰を受けるべき医療過誤事案は当然にあるし、そういう場合に刑事事件として捜査の対象になること自体を免れる道はない。
その時に、医療の世界に警察が足を踏み入れたことに感情的に反発し、それ自体を非難していたのでは、聖域論に戻るだけだ。それでは、社会的な支持や理解は得られない。そうではなく、安易な逮捕やその中で行われる自白の強要という人権侵害を明らかにし、批判していくことが大切だ。そうしてこそ、多くの国民の共感を呼び、医療現場に無用の混乱を起こす警察の行きすぎを抑制することになるだろう。

「医療事故発生後における説明会開催について」に関する意見書

当弁護団は、東京を中心とする200名余の弁護士を団員に擁し、医療事故被害者の救済、医療事故の再発防止のための諸活動等を行い、それを通じて、患者の権 利を確立し、かつ、安全で良質な医療を実現することを目的とする団体である。
医療事故発生時における医療機関の患者・家族に対する情報開示・説明責任につ いて、2005(平成17)年4月、「医療事故発生時における診療記録等の開示 について」と題する意見を述べた。
本意見書では更に事故後の説明会開催について 意見を述べる。


2006(平成18)年9月20日
医療問題弁護団
代表 弁護士 鈴木 利廣
(事務局)
東京都葛飾区西新小岩1-7-9
西新小岩ハイツ506
福地・野田法律事務所内
電 話 03(5698)8544
FAX 03(5698)7512
掲載ホームページ:http://www.iryo-bengo.com/

目  次

第1 意見の趣旨

第2 意見の理由

  • 1 はじめに
  • 2 アンケート調査
  • 3 医療機関の説明責任
    • (1)医療契約における説明責任の特殊性
    • (2)説明義務の法的根拠
    • (3)判決例
    • (4)「医療事故防止のための安全管理体制の確立に向けて(提言)」
    • (5)「診療情報の提供等に関する指針」
    • (6)小括
  • 4 説明会の開催について
    • (1)手段としての説明会
    • (2)質問書に対する回答書に代えた場合の問題点
    • (3)診療記録を開示しない説明は十分ではない
    • (4)説明会は指弾・糾弾の場ではない
    • (5)説明会を開催する場合の留意点
    • (6)小括
  • 5 結語

第1 意見の趣旨

医療機関は、診療に関する説明責任を果たすため、医療事故発生後において、患者ないしはその家族(以下、「患者・家族」という。)に対し、診療記録を開示するとともに、事実関係、事故原因及び再発防止策等について、診療記録等に基づいて説明する機会を設定(その具体的方法として、説明会の開催)する法的義務がある。

第2 意見の理由

1 はじめに

当弁護団では、医療機関から診療記録等の開示を受けた後、当該医療機関に対して、事実関係、事故原因及び再発防止策等の説明を求めるため、説明会の開催を要請するのが通例となっている。医療事故が発生した場合において、患者・家族は、何よりも原因を知りたいと考えるものである。

そして、患者・家族が診療記録を精査し、生じた疑問点・問題点につき、当該医療行為を行った医療機関に対して質問して説明を求めた場合、医療機関にはこれに対して誠実に対応して、診療に関する説明責任を果たすことが求められている。

2 アンケート調査

そこで、説明会の開催状況を調査するため、当弁護団では、団員を対象として、医療事故が発生した場合において、医療機関が、患者・家族に対する説明会を開催しているか否かにつきアンケート調査を実施した。団員からは代理人となった事件につき68事例の回答があったが、結果として、51事例の病院が、患者・家族の要望に応えて、診療記録を開示した上で説明会を開催していることが判明した。

しかし、17事例の病院では、患者・家族の要望には応えず、説明会開催を拒否している。拒否理由としては、文書による質問書・回答書に代えたというものが11事例、「既に患者に十分な説明を行った」として説明を拒否したものが5事例あり、文書による回答をするとしながら質問書に回答しなかったものが1例であった。説明会拒否事案は、医療機関側に特定の代理人弁護士が就任している場合に顕著であった。

また、質問書に対する回答書に代えるとして説明会の開催を拒否した場合でも、患者・家族の質問事項に対して、簡略すぎる書面であったり(事例1)、抽象的な回答である(事例13)など、患者・家族の納得しがたいものであると感じた。説明会拒否事例17のうち11事例が調停ないしは訴訟(その準備を含む)に移行していることがそれを示しているといえる。

3 医療機関の説明責任
(1)医療契約における説明責任の特殊性

医療契約は、患者の生命・身体に直接影響する極めて重要な事柄に関する契約であって、契約当事者間の高度の信頼関係に基づくものである。診療に何等かの瑕疵があった場合、重大な影響を受けるのは患者であり、その家族であって、それは時として患者の死すらもたらす。患者は、信頼する医師及び看護師など医療従事者等に対し、信頼して自己の生命・身体を預けるのであって、医療契約は通常の契約とは異なった、極めて高度の信頼関係に基づくものなのである。

医療事故が発生したとき、当事者間の信頼関係は崩壊するが、これを回復し、信頼関係を再構築するには、情報の提供と真摯な説明が必要である。適切な資料が開示され、患者・家族もその資料を十分に検討・理解をした後に、直接口頭による説明がなされるのでなければ、その回復など到底適わない。

(2)説明義務の法的根拠

ア:患者に対する説明義務

医療契約の法的性質は、当事者の一方が、法律行為以外の事務の委託をし、相手方がこれを承諾して委任事務を処理するという準委任契約(民法656条)であると解するのが一般的であり、多数の判例も準委任契約とみている(「医療契約法の理論[増補新版]」菅野耕毅著97頁、信山社2001年)。

医療契約の法的性質からは、医療従事者等には、患者に対して、その「請求あるときは何時にても」診療に関する報告義務を負い、また、「委任終了の後」「遅滞なく」その顛末を報告する義務が課せられている(民法656条、645条)。その反面として、委任者である患者は、知る権利を有する。

そして、民法645条・656条は、受任者が善管注意義務を果たしているか否かを委任者の方で判断できるに足りる客観的な資料の提示を委任者に対して要求できる地位を保障したものと解されるところ、同条を根拠として、診療記録の閲覧謄写請求権が認められることは、当弁護団が2005(平成17)年4月に発表した「医療事故発生時における診療記録等の開示について」の意見書に述べたとおりである。

さらに、診療記録の開示によっても明らかにならない事実及び当該診療記録を検討した結果から生じた疑問点や問題点等について、これを患者に対して明らかにし、かつ、返答するなど臨機応変に直接説明する責務が医療機関には課せられているというべきであり、そのような説明義務(患者・家族からは説明を求める権利)もまた民法645条・656条から導き出されるものである。イ:家族に対する説明義務

患者が死亡した場合、委任者の死亡によって準委任契約は終了する(民法653条1号・656条)。

この場合、医療機関は契約当事者でない家族(遺族)に対して説明義務を負うかが問題となりうる。しかし、契約当事者でなくとも、患者は、医療契約締結時において、特段の意思表明のない限り、自らが死亡した場合には、その死因などについて家族に説明して欲しいとの意思を有していることが通常であり、従って医療契約に付随する義務として、患者の家族に対しても説明義務を負っていると解すべきである。

そして、家族による患者の診療記録等の閲覧謄写請求権及び診療記録開示後に説明を求める権利もまた、上記アと同様に解すべきといえる。

(3)判決例

以下は、既出「医療事故発生時における診療記録等の開示について」の意見書発表後の近時の判決例であり、医療事故発生時における患者・家族に対する説明義務を端的に肯定したものである。

ア:甲府地裁平成16年1月20日判決(判例時報1848 号119 頁)

本判決は、妊婦の出産時の死亡事故につき、医師の診療に関する過失は否定したが、当該医療事故訴訟において、医師が証拠書類を改ざん・偽証させたこと及び出産後の新生児の死亡を死産とした医師の行為について損害賠償を求めた事案である。本判決は以下のように判示し、遺族に対する説明義務を肯定し、医師の責任を認めた。

「医師は、診療契約を結んだ患者に対し、診療内容の報告・説明をする義務を負う(民法645条)。患者が診療行為に伴い死亡した場合、説明を求める主体としての患者はすでに亡いが、人の死という重大な結果が発生した以上、患者の遺族がその経緯や原因を知りたいと強く願うのは当然のことである一方、診療の経過を最もよく知っているのは担当医師であるし、また、その専門的な知識をもとに死亡の経緯や原因について適切な説明をすることができるのも担当医師しかいない。

したがって、自己が診療した患者が不幸にして死亡するにいたった場合、担当医師は、患者に対して行った診療の内容、死亡の原因、死亡にいたる経緯について、その専門的な知識をもとに、説明を求める患者の遺族に対して誠実に説明する法的な義務があるというべきである。」

イ:東京高裁平成16年9月30日判決(判例時報1880 号72 頁)

本判決は、術後療養中に亡くなった患者の遺族が、投与薬剤の取り違えという注意義務違反の過失及びそのような危険を回避することが可能なシステムを構築せずに危険な医療を提供してきたという組織構造上の過失によって患者が亡くなったこと、そして、死後の対応において、原因究明義務及び情報開示・説明義務違反があったとして損害賠償を求めた事案である。本判決は以下のように判示し、遺族に対し、説明義務違反が認められると判示した。

「すなわち、医療行為は患者の生命、身体、健康等にかかわるものであり、患者の自己決定を尊重するためにも、患者は、医療行為に先立ってその内容及び効果の情報の提供を受け、医療行為が終了した際にはその結果についても情報の提供を受ける必要があるし、他方、病院側は上記情報を独占している上、当該情報に接しこれを利用することが容易であるから、病院開設者及びその診療契約の締結診療行為の実施を全面的に代行する医療機関は、特段の事情がない限り、連帯して患者に対し医療行為について説明する義務を負うものと解される。

また、医療法は、医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るように努めなければならないと規定している(同法一条の四)。さらに、診療契約は準委任契約であるところ、民法は、受任者は、委任者の請求があるときは、いつでも準委任事務処理の状況を報告し、準委任終了の後は遅滞なくその顛末を報告することを要する旨規定している(同法六五六条による六四五条の準用)。

以上のような医療情報の提供の必要性及び医療情報の偏在という事情に、上記法令の規定を併せ考えると、病院の開設者及びその全面的代行者である医療機関は、診療契約に付随する義務として、特段の事情がない限り、所属する医師等を通じて、医療行為をするに当たり、その内容及び効果をあらかじめ患者に説明し、医療行為が終わった際にも、その結果について適時に適切な説明をする義務を負うものと解される。 病院側が説明をすべき相手方は、通常は診療契約の一方当事者である患者本人であるが、患者が意識不明の状態にあったり死亡するなどして患者本人に説明をすることができないか、又は本人に説明するのが相当でない事情がある場合には、家族(患者本人が死亡した場合には遺族)になることを診療契約は予定していると解すべきであるので、その限りでは診療契約は家族等第三者のためにする契約も包含していると認めるべきである。患者と病院開設者との間の診療契約は、当該患者の死亡により終了するが、診療契約に付随する病院開設者及びその代行者である医療機関の遺族に対する説明義務は、これにより消滅するものではない。」。

なお、本判決では、死因解明義務について、原審判決が、信義則上、診療契約に付随する義務として認めたことに対し、「死因解明義務は上記説明義務を尽くす前提として可能な範囲内で行えば足りるものであるから、最終的に説明義務とは別にこの義務があると解する必要はない。」として、その独自性は否定しながらも、説明義務を尽くす前提として死因解明を行うべきことを肯定している。

(4)「医療事故防止のための安全管理体制の確立に向けて(提言)」

2001(平成13)年6月、国立大学医学部附属病院長会議常置委員会は、「医療事故防止のための安全管理体制の確立に向けて(提言)」を最終報告として公表したが、そのうち「第Ⅳ編事故発生時の対応(2)患者・家族への対応」として、「[2]誠実で速やかな事実の説明」、「[3]診療記録の開示」、「[4]「遺族」について」という項目を設け、以下のとおり提言している。

すなわち、「[2]誠実で速やかな事実の説明」では、「医療事故ないしは事故の疑いのある事態が発生した場合には、患者や家族に対して、事実を誠実に、かつ速やかに説明することが必要であるが、その際、発生した事態について、具体的にどのように説明するべきかが重要である。」「それは、患者・家族への説明は、医療側の考えを「理解させる」ために行うのではなく、患者・家族が自ら「判断」できるようにするために行うものであり、そのために十分な情報を提供するということである。患者・家族の側に立って「この事実・こういう解釈について知らされていれば、異なる判断を下したかも知れない」ということがあれば、そのような説明は、決して誠実な説明であるとは言えないと考える。 また、きちんと医療の専門家としての解釈を提示し、誤った認識に陥らないように協力することは必要であるが、最終的に判断するのは患者・家族であり、特定の考え方を押しつけることにならないように気を付けなければならない。」「大事なことは、患者・家族が自ら適切に理解し判断を下せるために、提供する情報に過不足がないかどうか、伝え方に偏りがないかどうかということであり、こうした観点から検討して見れば、自ずと説明すべき内容も「見えてくる」はずである」とし、患者・家族に説明するにあたり踏まえるべきポイントを以下のとおり掲げる。

  • 重要な事実を省かない。
  • 因果関係を省かない。
  • 明快に説明できないことがあれば率直にそのことを伝える。多少とも不明な点があることについては断定的な言い方はしない。
  • 事態についての異なる解釈があれば、それについてもきちんと伝える。
  • 当初の説明と異なる処置、当初の説明を越える処置をした場合はきちんと伝える。
  • ミスの事実があれば、結果には影響を与えていないと考えられるものでも、包み隠さずに伝える。

また、「[3]診療記録の開示」では、「発生した事態について、患者・家族が自ら理解し判断する上で、いわゆる「カルテ」をはじめとする診療記録は極めて重要な資料である。医療側による説明に必要な場合はもとより、患者・家族の側から求めがあれば、原則としてこれを開示することが必要である。」「医療事故との関わりからは、端的に、診療行為が適切だったかどうか、あるいは過誤と結果とに因果関係があるかどうか、等の点が主たる関心事項になると考えられることから、こうした点について検証することを目的とした開示申請も(他の医療機関に「セカンドオピニオン」を求めるために原資料の謄写を求めることも含めて)、適切なものとして認めるべきことを付言したい。また、サマリーの交付は、分かりやすい説明を行う上で有効な手段であるが、求めがあれば、原資料も開示すべきである。」とする。

さらに、「[4]「遺族」について」では、「患者が死亡した場合に、遺された人々が、患者の疾病とそれに対して行われた医療、患者が最終的に死に至る経緯について知りたいということであれば、病院としては、そうした要請を尊重してできるだけの対応を行うことが望まれ、診療記録の開示要請に対しても、原則としてこれに応じるべきであると考える。開示の目的が、[3]で述べたような、医療行為の適切さを検証すること等であっても同様である。」とする。

以上のとおり、本提言からも、発生した事態について患者側が自ら理解し判断する上で診療記録は極めて重要な資料であり医療機関が説明を行う場合には不可欠の前提となること、誠実で速やかな事実の説明は患者側が自ら「判断」できるようにするために行うものであり、そのために十分な情報(診療記録に尽きず、診療に関与した医師・看護師の説明を含む)が提供されなければならないこと、患者側が自ら適切に理解し判断を下せるために、提供する情報に過不足がないかどうか、伝え方に偏りがないかどうかを検討しつつ適切な説明が求められていることは明らかである。

(5)「診療情報の提供等に関する指針」

2003(平成15)年9月12日、厚生労働省(医政局長)は医療機関において則るべき「診療情報の提供等に関する指針」を都道府県知事に通知し、管内の市町村・関係機関・医療従事者等に対し「周知徹底及び遵守」の要請をするよう指示した。本指針は、インフォームド・コンセントの理念や個人情報保護の考え方を踏まえ、医療従事者等の診療情報の提供等に関する役割や責任の内容の明確化・具体化を図り、医療従事者等と患者・家族とのより良い信頼関係を構築することを目的とするものであり、医療従事者等が負っている説明義務の具体化といえる。

当指針3「診療情報の提供に関する一般原則」では、「医療従事者等は、患者等にとって理解を得やすいように、懇切丁寧に診療情報を提供するよう努めなければならない。」「診療情報の提供は、[1]口頭による説明、[2]説明文書の交付、[3]診療記録の開示等具体的な状況に即した適切な方法により行われなければならない。」とし、また、当指針7「診療記録の開示」では、診療記録の開示に関する原則において、「医療従事者等は、患者等が患者の診療記録の開示を求めた場合には、原則としてこれに応じなければならない。」「診療記録の開示の際、患者等が補足的な説明を求めたときは、医療従事者等は、できる限り速やかにこれに応じなければならない。この場合にあっては、担当の医師等が説明を行うことが望ましい。」とし、さらに、当指針9「遺族に対する診療情報の提供」では、「医療従事者等は、患者が死亡した際には遅滞なく、遺族に対して、死亡に至るまでの診療経過、死亡原因等についての診療情報を提供しなければならない。」として、口頭説明による診療情報の提供、担当医師等による速やかな説明及び遺族に対する診療情報の提供が規定されている。

以上のとおり、本指針においても、「診療情報の提供に関する一般原則」として口頭による説明が挙げられ、また、「診療記録の開示に関する原則」として、患者・家族が診療記録の開示を求めた場合には、原則としてこれに応じなければならないとし、診療記録の開示の際、患者等が補足的な説明を求めたときは、できる限り速やかにこれに応じなければならない、この場合にあっては、担当の医師等が説明を行うことが望ましいことを、原則として掲げている。

(6)小括

以上検討したとおり、医療機関は患者・家族に対して当該診療についての法的説明義務を負っており、診療記録の開示によっても明らかとならない事実経過ないしは疑問点などについて患者・家族から説明を求められた場合には迅速に応じなければならない義務、すなわち、説明責任の具体的手法として説明会開催を求める権利が患者・家族の具体的権利として発現していることは、判決例及び臨床実務の運用からして明らかである。

4 説明会の開催について
(1)手段としての説明会

上記3(4)の提言及び(5)指針による説明が可能となるには、患者・家族が診療経過等の事実関係を十分に理解するために、事前に診療記録を入手した後に行われる説明であること、患者・家族が質問し、疑問点を指摘して返答を求められること等、診療情報を適切に入手し理解する手続きが不可欠である。これに最も適しているのが説明会の開催なのである。

そして、患者・家族の疑問及び問題点を相互に検討し、再発防止のための意見交換を行うことにより、医療機関が再発防止策を提言する切っ掛けともなり、相互不信による紛争の発生・長期化を防止する方策ともなるのである。

(2)質問書に対する回答書に代えた場合の問題点

説明会によるのではなく、質問書に対する回答書に代えた場合、事前に診療記録等の開示がなされていたとしても、生じた疑問や問題点について明確な説明がなされないのであれば、それは説明とはいえない。

当弁護団のアンケート結果からも分かるように、質問書・回答書による書面の行き来では、質問事項に対して明確に回答せず、質問への回答と言えない抽象的な回答に終始する場合があり、かえって患者・家族の不信感を煽る結果となっているなど、医療機関の信頼回復は到底望めないのが現実である。

また、適切な質疑応答など望むべくもなく、患者・家族の十分な理解は得られない。さらに、時間的にも迂遠であり、紛争が長期化することは容易に想像できることである。

(3)診療記録を開示しない説明は十分ではない

アンケートにも表れているように、説明会の開催を拒否する理由として、患者・家族に対し、既に十分な説明がなされていることを挙げる場合がある。

しかし、多くの場合、医療機関は、診療記録を開示しないまま、患者・家族に対する説明を行っている。前述(本意見書8頁)のように、患者・家族への説明は、患者・家族が自ら「判断」できるようにするために行うものであり、そのために十分な情報を提供するということが必要である。診療記録の開示がなされなければ、正しい診療経過を知ることも医療機関の説明が正しいか検証することもできないのであるから、そのような説明では十分な説明とは言えない。

したがって、診療記録の開示がなされない時点で説明を行ったことをもって、「十分な説明を行った」として、説明会の開催を拒否することは許されない。

(4)説明会は指弾・糾弾の場ではない

医療過誤訴訟において医療機関側の代理人に就任することが多い弁護士の中には、「説明会が指弾・糾弾の場になるおそれがある」から、説明会の開催要求には応じないという意見を述べるものもいる。

この点については、少なくとも患者・家族側に代理人弁護士がついた場合には、争点を整理した上で必要な事項に限って説明を求めるよう、十分な配慮をしている。したがって、説明会が指弾・糾弾の場になるおそれがあることから、説明会開催を拒否する運用をしている医療機関があるとすれば、過剰な反応であり患者・家族との信頼回復の機会を自ら逃しているとしかいえないから、そのような運用は直ちに改めるべきである。

(5)説明会を開催する場合の留意点

説明会が以上の目的を達するためには、患者・家族も事前に十分な検討が行えるよう、[1]説明が行われる時期は、患者・家族が診療記録を入手した後に実施され、かつ、[2]説明する医師は、当該診療行為を直接行った医師及び看護師によることが望ましく、これが適わない場合であっても、当該診療を十分理解している医師及び看護師を立ち会わせるべきである。[3]また、説明会に先立って、当該医療機関内で事故の事実関係の確認と原因分析が十分に行われていることが望ましく、医療事故調査委員会が設置された場合には、当該調査委員会の結果を踏まえて説明が行われることが必要である。

また、[4]患者・家族でも十分に理解することが可能は平易な言葉を使用すべきである。診療記録等には英語等の外国語で記載された部分が多く、かつ、各医療従事者等独自の略語が多用される実情にあるので、患者・家族の求めがある場合には、写しに日本語訳を付して交付することが必要である。

5 結語

医療事故の被害者は、[1]事故原因の究明、情報開示と適切な説明、[2]法的責任の明確化と謝罪、[3]再発防止、[4]医療保障・金銭的補償・賠償を求めている。

民事裁判では、損害賠償に焦点があてられ、金銭賠償の問題として矮小化されてしまう可能性があり、また、紛争は長期化して患者・家族の被害感情の慰謝など到底望めない。そして、その結果によっては、被害者である患者・家族の願いである原因究明や再発防止に向けての取り組みが実現しない場合がある。患者・家族の究極の願いは、原状回復であるが、生命・身体に対する被害が元通りとなることは難しいのが現実であるから、原因究明及び再発防止が現実的に求めうる願いであり、それが短い期間に実現されることが、診療を行った当該医療機関の専門家としての責任であり、また、職業倫理として求められるべきものであろう。

医療機関にとっては、患者・家族の求めに応じるだけでなく、自発的に原因を究明し、情報を開示し、説明責任を尽くすことが、医療事故が発生した場合における、信頼回復につながるのである。説明会の開催は、医療機関及び患者・家族にとって、原因究明、再発防止及び医療に対する信頼回復という点で極めて重要な意義を有するのである。以上別表1:説明会実施に関するアンケート(pdf)
別紙2:アンケート結果(説明会拒否事例)(pdf)

医療問題弁護団政策班
○ 鈴木 利廣,  大森 夏織
  宮城  朗,○ 五十嵐裕美
 伊藤 律子,  髙井 章光
 木下正一郎,  中川 素充
◎ 藤田  裕

  * ○印は本意見書起案担当者
      ◎印は責任者

「ビデオ撮影」に関する要望書

【要望の主旨】
医療法第17条に基づく厚生労働省令(医療法施行規則)によって、手術時のビデオ撮影を義務づけるよう要望する。


【要望の理由】

第1 はじめに [ ビデオ撮影に関する現在の状況 ]

現在、手術時のビデオ撮影に関しては、特に法的には義務づけられていないため、撮影の要否、対象等については、各病院の対応に任されている。
 すなわち,医療法第21条1項9号により,診療に関する諸記録を備えて置かなければならないとする(特定機能病院につき同法22条の2第3号)。そして,医療法施行規則第20条11号によれば,診療に関する諸記録は、過去二年間の病院日誌、各科診療日誌、処方せん、手術記録、検査所見記録、エックス線写真並びに入院患者及び外来患者の数を明らかにする帳簿とする(特定機能病院につき同規則22条の3第2号)。従って,手術時にビデオ撮影がなされれば,その結果は手術記録として「診療に関する諸記録」として医療機関が保存しなければならない。しかし,これらは手術記録の保存を定めるだけで,ビデオ撮影を義務づける内容になっていない。
 また,医師法24条1項は医師に,診療をしたときは,遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならないことを定めるが,診療に関する事項の内容として,手術中の映像を含むとは明示されていない。
 よって,手術中のビデオに関しては,撮影が行われれば保存義務の対象になるが,これを行うか否か,その対象の範囲については各病院の対応に任されている。なお,実際には,研究・研修等の名目でビデオ撮影が行われていることがあるが,これを保存することについては必ずしも励行されていない場合が多い。

第2 医療以外の分野でのビデオ撮影の現状

1 医療以外の分野においては,既にビデオや音声などの記録が幅広く行われている。それが事故等の原因解明,再発防止に大いに資している。以下,その例を挙げる。

2 具体例

(1) 航空機のボイスレコーダー

 航空機は,ボイスレコーダー,フライトレコーダーの設置が義務づけられている(航空法第61条)。航空機事故が起きた場合に,こうした再現記録が航空機事故という人命に関わる場面において原因解明に大いに役立ち,再発防止の対策構築につながっている。
 こうした原因解明,再発防止策の構築は,航空機事故のみならず,手術中の医療事故においても同様のことが言えるのである。

(2) ドライブレコーダー

 近時では,自動車運転に関しても運転状況を撮影し,保存するドライブレコーダーが開発され,タクシーなど職業的運転車両に普及しつつある。これにより事故が起きた場合の状況が映像として把握することができ,原因究明に資する。

第3 医療現場におけるビデオ撮影による記録化の必要性

1 術中事故の原因分析

 手術中に事故が起きたことが疑われる場合,紙媒体の診療記録では必ずしも事故の有無や詳細が判断できず,原因分析が充分に行われないことが多い。
 こうした場面において,手術中の映像は,術者の手技,患者の状態を映像・音声で保存するものであり,現時点でとりうる最も再現性の高い方法である。
 これを分析することにより,手術中の事故の有無の判断がより容易になる。また,事故の原因分析にも大いに役立ち,再発防止につながるのである。
 なお,2004年12月に社会問題化した東京医科大学附属病院で心臓手術の患者が相次いで死亡した問題では,手術中ビデオを事後的に検証することにより,事故原因の解明につながった。この結果,同病院では全手術をビデオ撮影することとなった。また,2002年10月に発生した昭和大学藤が丘病院での腹腔鏡手術による事故についても,外部調査委員会でビデオを検証することにより,事故原因の解明につながった。

2 医師の技術向上

 また,手術中の映像をカンファレンスや研修などで活用することで,術者のみならずその他の医師も,同種の手術の技術向上につながっていく。
 また,近時,各学会が専門医認定を行っているが,こうした手術中の映像を活用することになれば,専門医認定等において医師の技術水準の評価を簡便かつ正確・公平になし得る。実際に,日本内視鏡外科学会では,技術認定制度において,応募者は最近行った内視鏡手術の未編集ビデオの提出を要求している。

3 患者の知る権利

 手術は人体に大きな侵襲を伴うものである。しかし,患者は麻酔を受けていることが多く,自らどのような手術を施されたかについて知る由もない。
 厚生労働省の2003年9月16日付「診療情報の提供に関する指針」では,手術や侵襲的な検査を行う場合には,その執刀者及び助手の氏名をを提供することを医療従事者に求めている。まさに,手術内容の透明性が求められているからである。
 しかし,これだけでは不充分である。手術内容を単に手術記録という紙媒体で記録し,患者の求めに応じて開示するというだけでは,その手術が具体的にどのように行われたかを患者は理解できず,患者の知る権利を充分に満たしたことにはならない。
 このような場合に,手術中にビデオ撮影が行われ,映像を患者が事後的ではあるが見ることが出来れば,患者は自らが受けた手術の内容を具体的に知ることが出来るし,その内容についての疑問点を適切に医師に尋ねることが出来るので,医師の説明としてもより充実したものになり,患者の知る権利をより満たしうる。
 患者の権利に関する世界医師会(WMA)リスボン宣言では,「7c.情報開示は患者の属する文化的背景に従い,患者に理解可能な形でなされるべきである。」とする。まさに,現在の我が国においては,ビデオ映像による情報開示こそが「患者の属する文化的背景に従い,患者に理解可能な形」の情報開示といえよう。  最近では,いくつもの病院が,手術におけるビデオ撮影を導入している。

第4 ビデオ撮影の許容性

1 現行法はビデオ撮影を否定していないこと

 第1で述べたように,手術時のビデオ撮影に関しては,特に法的には義務づけられていないが,これを特に否定するものでもない。よって,立法措置や医療法施行規則の改正などでこれを義務づけたとしても,何ら他の法令等に違反するものではない。
 むしろ,2003年12月24日付「厚生労働大臣医療事故対策緊急アピール」では,「施設」に関する対策として,「(3)手術の画像記録を患者に提供することによって、手術室の透明性の向上を図る」こととし,「ビデオ等による記録及び患者への提供のあり方の研究」を具体例としてあげていることからしても,ビデオ撮影を義務づけることは望ましいことである。

2 撮影設備,保存に関するコストは低いこと

 このようなビデオ撮影を義務づけた場合,コストの問題を懸念する意見も想定されよう。
 しかし,撮影機器の価格は近時,技術開発が進み,さほど費用を掛けずとも撮影装置は設置できる。実際に,個人事業者であるコンビニエンスストアでさえ,防犯ビデオを設置していることからして,手術設備を備えた医療機関ならば,決して大きな負担にはならないはずである。
 また,保存スペースの問題については,ハードディスクやDVDなどで保存すれば,倉庫などのスペースも要することなく,大きな負担とはならないはずである。

第5 結論

 患者の権利が高まり,診療記録の開示がもはや当然のこととなりつつある現在,診療記録が単に開示されるだけではなく,開示される情報の内容が充実したものでなければならない。
 患者が手術を受けた際にビデオ撮影をし,その映像記録を開示することは,手術中の事故の原因分析,医師の技術向上に役立つ。当然に,患者が自ら行われる医療を知ることは患者の権利向上,医師との信頼関係構築のためにも極めて重要である。
 よって,当弁護団としては,要望の趣旨記載のとおり,手術時のビデオ撮影については,医療法施行規則の改正によって義務づけるよう要望する。

「司法解剖結果の開示」に関する意見書

【要 約】
医療関連死に関する司法解剖結果について、遺族と当該医療機関双方に対し、早期に開示されるよう、刑事訴訟法47条を改正するか、行政通知で指導することを、求めた。


平成17年5月

医療問題弁護団
(事務局)
東京都葛飾区西新小岩1-7-9
西新小岩ハイツ506
福地・野田法律事務所内
電 話 03(5698)8544
FAX 03(5698)7512
掲載ホームページ:http://www.iryo-bengo.com/

目  次

第1 意見の趣旨

第2 意見の理由

1 司法解剖結果を早期に開示することの意義

(1)遺族の被害救済の観点から必要
(2)医療関連死発生時の紛争予防・早期解決の点からも重要
 [1]意義
 [2]死因調査専門機関での解剖結果開示
(3)医療安全の点からも重要

2 患者の死亡原因解明の重要性や法的義務に関する判決例

3 司法解剖結果開示の現状と問題点

(1)遺族側への開示の現状
 [1] 現状における司法解剖結果開示の法制度
 [2] 運用による、不起訴確定時の司法解剖結果開示
 [3] 公判請求後
 [4] 不起訴処分ないし公判請求確定前
(2) 現状の問題点
 [1] 実例
 [2] 法医学教室のアンケート結果
 [3] 小活-実例における具体的な弊害

4 提言

第1 意見の趣旨

 医療関連死に関する司法解剖結果について、遺族と当該医療機関双方に対し、早期(遅くとも死亡から3カ月以内)に開示するよう、刑事訴訟法47条を「訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。但し、司法解剖結果の関係者への開示等公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合は、この限りでない」との文言に改正することにより、司法解剖結果が公判開廷前に開示できることを明文化すべきです。
 もし、上記改正が直ちに困難な場合は、起訴不起訴の処分確定にかかわらず、捜査段階における司法解剖結果の開示が、刑事訴訟法47条但書の「公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合」に該当することを、行政通知によって、指導すべきです。
 また、司法解剖結果が早期に作成されるよう、司法解剖制度を整備すべきです。

第2 意見の理由

1 司法解剖結果を早期に開示することの意義

(1) 遺族の被害救済の観点から必要

 [1] 意義

 患者が死亡した場合の医療事故・医療過誤(以下「医療関連死」といいます)が発生したとき、被害者たる遺族が希望することは、何よりも、患者に対する医療行為の全容や、患者の死亡原因等の、「事実を知る」ことです。
 よって、患者がどのような医学的機序で死亡したのかという死因解明が早期になされ、遺族側に結果が開示されることは、遺族の被害救済の第一歩という観点から、重要です。

 [2] 厚生労働省「診療情報の提供等に関する指針」

 この点、2003(平成15)年9月12日、厚生労働省医政局長発各都道府県知事宛通知「診療情報の提供等に関する指針」が発せられており、同指針において、遺族が、診療情報の開示対象者として明文で位置づけられ、遺族に対する診療情報開示の重要性が指摘されています。

(2) 医療関連死発生時の紛争予防・早期解決の点からも重要

 [1] 意義

 また、患者が死亡した場合の医療関連死においては、「患者がどのような原因・機序で死亡したか」を解明することが、当該ケースの医学的評価・法的判断の出発点です。 
 医療関連死で死亡原因・機序がわからない段階では、遺族側も医療機関側も、その診療過程におけるミス(過失)や死亡との因果関係を確定できず、双方の主張や推定が交錯するため、本来、紛争や訴訟が妥当しないケースでも、紛争化・訴訟化したり、紛争・訴訟が長期化することとなります。
 よって、医療関連死が発生し、司法解剖手続がとられた場合、当該事案の紛争化予防や紛争の長期化予防の観点からも、医療側と遺族側双方に対し、解剖による死因解明結果が、早期に開示されることが不可欠です。

 [2] 死因調査専門機関での解剖結果開示

 この点、既に報道されているように、医療関連19学会の声明を受け、厚生労働省が来年度から全国5地域でモデル事業を補足させる「死因調査専門機関(仮称)」は、各地域の医療機関が医療関連死について死因調査の希望を受け、解剖による死因調査を実施する事業です。
 この事業では、解剖直後に遺族へ交付する死体検案書に解剖結果の概括を記載した上で、遺族に説明し、その後、死因評価委員会により死因調査をまとめた時点で、遺族と当該医療機関へ、詳細な解剖結果を含めむ報告書面を交付し、患者の死亡日から3ヶ月程度をメドとして、死因調査結果を報告する、とのことです。
 このシステムによれば、遺族側は死亡直後に解剖結果概要を知ることができ、また遺族側医療機関側双方とも、遅くとも患者の死亡から3カ月後には解剖結果全容を知ることできるのです。

(3) 医療安全の点からも重要

 さらに、医療関連死において、死亡に至る医学的機序・原因が早期に解明されなければ、医療関連死の事故原因を分析することも遅れ、事故の再発防止策を検討したり、具体的な医療安全策の策定にもつながりません。
 現行医療法施行規則上、全ての有床診療所と病院に、院内の医療安全対策が求められています。
 よって、医療関連死が発生し、司法解剖手続がとられた場合、医療機関が当該事案に関連して求められる医療安全対策をよく実施遂行するためにも、医療側に対し、解剖による死因解明結果が、早期に開示されることが必要です。

2 患者の死亡原因解明の重要性や法的義務に関する判決例

 かような、医療関連死における死因解明の重要性は、医療過誤判例でも諸処に指摘されているところです。
 判例は、患者が死亡した場合、死亡に到った経緯・原因について、診療を通じて知り得た事実に基づき遺族に対し適切な説明を行うことが、診療債務に付随する、あるいは信義則上の法的義務であると判示し、医師の遺族への死因説明を、法的義務であると位置付けています(広島地裁平成4年12月21日判決(判例タイムズ814号202頁、別冊ジュリスト「医療過誤判例百選第二版」24頁)、東京高裁平成10年2月25日判決(判例時報1646号64頁))。
 遺族側からすれば、患者の死亡原因について知る権利を有していることになります(中村哲「医療訴訟の実務的課題-患者と医師のあるべき姿を求めて」判例タイムズ社123頁参照)。
 さらに、遺族に対する患者の死因説明義務からさらにすすんで、具体的な事情いかんによって、解剖という、死因解明に必要な措置を提案し、その実施を求めるかどうかを遺族に検討する機会を与え、遺族の求めがあれば適宜の方法で解剖を実施し、解剖結果に基づいて死因説明をするという、医師の遺族に対する、死亡原因の解明提案義務についても、否定できないとされています(前掲東京高裁平成10年2月25日判決(判例時報1646号64頁)、前掲「医療訴訟の実務的課題-患者と医師のあるべき姿を求めて」124頁参照)。
 ここでは、病理解剖についてではありますが、「一般に、解剖が、患者の死因解明のための最も直接的かつ有効な手段である」と判示され、医師が、死因解明にあたり解剖の提案をしてその実施を求めるかどうかを遺族に検討する機会を与えることが、具体的事情によっては法的義務と認められる、と指摘されています。
 かように、医療過誤判例上、患者死亡時における遺族に対する死因説明や解剖実施による死因解明提案について、法的義務性が指摘されていることに鑑みても、司法解剖結果が遺族側・医療機関側双方に早期に開示されることの重要性は、明らかです。

3 司法解剖結果開示の現状と問題点

(1)遺族側への開示の現状

 [1] 現状における司法解剖結果開示の法制度

 医療関連死が、告訴等の端緒により業務上過失致死事件として捜査対象となった場合、捜査機関の嘱託及び裁判所の鑑定処分許可により司法解剖が行われ(刑事訴訟法129条、168条)、解剖結果は、刑事訴訟法47条「訴訟に関する書類」に該当します。
 同条は、「訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。但し、公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合は、この限りではない。」と定めており、医療関連死による業務上過失致死事件の第1回公判の開廷前には、司法解剖結果の報告を含む捜査関連書類は、原則として公にされません。
 ただし、同条但書により、訴訟に関する書類であっても、公益上の必要その他の事由があり相当性がある場合は、第1回公判開廷前にも、開示可能です。
 例えば、交通事故による業務上過失致死・致傷事件の実況見分調書等の書類については、従来から、刑事訴訟47条但書の適用事例であるとし、第1回公判開廷前にも被害者側にも開示する運用が行われてきました。
 よって、現行の刑事訴訟法47条の文言によっても、医療関連死の司法解剖結果について、但書を適用するという運用により、当該業務上過失致死事件が起訴され第1回の公判がひらかれる前の時点でも、開示は可能です。

 [2] 運用による、不起訴確定時の司法解剖結果開示

 この点、法務省刑事局は、交通事故事件以外の書類に関する上記刑訴法47条の運用につき、2000年(平成12年)2月4日付刑事局長通知「被害者等に対する不起訴記録の開示の取扱いについて」により、「被害者等が民事訴訟等において被害回復のため損害賠償請求権その他の権利を行使するために必要と認められる場合」には、「捜査・公判に支障を生じたり、関係者のプライバシーを侵害しない範囲内で、客観的証拠で、かつ、代替性がなく、その証拠なくしては立証が困難であるという事情が認められるもの」について、被害者側からの請求に対して、不起訴記録の開示を認めるという弾力的な運用を、不起訴記録の開示も刑事訴訟法47条但書に該当する旨、全国の検察庁へ指導しました。
 これにより、医療関連死での業務上過失致死事件における司法解剖結果についても、不起訴処分が確定した後は、遺族側に開示されるようになりました。

 [3] 公判請求後

 2000年(平成12年)6月に施行された犯罪被害者保護法でも、従来は公判記録の開示が刑事裁判確定後に限られていたことにより被害者の民事損害賠償請求の妨げになっていたことを是正するため、公判記録の閲覧・謄写を、刑事事件公判係属中にも認めました。
 これにより、医療関連死での業務上過失致死事件における司法解剖結果についても、公判請求後は、遺族側に開示されるようになりました。
 また、業務上過失事件の被告人となる医療従事者は、被告人の刑事訴訟法上の権利として、当該刑事裁判の書類である司法解剖結果の開示を受けることは勿論です。

 [4] 不起訴処分ないし公判請求確定前

 このように、医療関連死が、業務上過失致死事件として捜査対象となったときに、上記[2]の場面、当該業務上過失致死事件の不起訴処分が確定した場合には、刑事訴訟47条の運用により遺族側へ司法解剖結果が開示されますし、上記[3]の場面、当該業務上過失致死事件の公判請求が確定した場合も、犯罪被害者保護法もしくは刑事訴訟法により、遺族側は司法解剖結果が開示されます。
 しかし、[2][3]の間隙である、「不起訴処分となるか公判請求となるかが確定しない期間」(以下「捜査段階」といいます)において、法制度も運用上も、遺族側が司法解剖結果を知り得ない状況にあります。なお、この捜査段階は医療過誤事案の場合、専門性の高い分野であることから、長期間に及んでいるのが実情です。
 その結果、以下「(2)現状の問題点」に述べるような重大な弊害が、全国的に生じています。
 本来は、前記「1 司法解剖結果を早期に開示することの意義」で述べたように、医療関連死で司法解剖がなされた場合、早期の段階で、遺族側にも医療機関側にも、解剖結果が開示されなけばならないのです。

(2) 現状の問題点

 [1] 実例

別表1は、ここ数年で、医療関連死での業務上過失致死事件として捜査の対象になった事件のうち、上記「(1)遺族側への開示の現状」で述べたとおり、捜査段階において司法解剖結果が開示されないために、民事手続がストップしてしまい、徒に被害救済が遅れ、紛争が長期化し、しかも医療安全策も遅れているという、実状と問題点の一端を紹介するものです。

イ、司法解剖結果報告に時間がかかりすぎる

 まず、解剖結果の報告が作成されるまでの期間が長期化しています。
 例えば別表1の⑥事件では、死亡事故日から2年5カ月たっても正式な解剖報告書が作成されていません。また[4]事件では、死亡事故日から解剖報告書作成まで1年1カ月もかかっています。さらに、[5][7]各事件は、2年以上経過しても解剖結果が開示されないために、作成期間が遺族側に不明です。
 かように、解剖結果が作成されるまでに長期を要している原因の一端は、司法解剖制度の整備が遅れている現状にあると思われます。本年3月16日、日本法医学会は、司法解剖件数の増加傾向に比して法医学教室の予算や人員が削減される現状を指摘し、早晩、法医学教室が機能不全に陥ることを危惧する旨の提言(http://web.sapmed.ac.jp/JSLM/170316.html)をしました。
 このような現状を改善し、遅くとも医療関連死から3ヶ月以内には、解剖結果報告が作成されなければならない、と考えます。

ロ、警察・検察が「捜査中」を理由に開示しない

 このような、解剖結果に時間がかかりすぎるという問題点に加え、解剖結果作成後においても、現行の運用では、前記のとおり、捜査段階には、遺族側にも当該医療機関側にも、捜査機関から解剖結果が開示されません。
別表1の[2][4][5]各事件では、いずれも、民事医療訴訟の文書送付・調査嘱託がなされたのに対し、警察・検察が「捜査中」を理由に回答を拒否しました。

 [2] 法医学教室のアンケート結果

別表2は、首都圏で司法解剖を行う法医学教室に対し、2004年(平成16年)中の医療関連死の解剖実績や解剖報告書の作成期間、遺族へどのように開示しているか、をアンケートした回答例です。
 この回答結果によれば、解剖結果報告書の作成期間も、遺族側への開示方法も、実態は各法医学教室により対応がまちまちで、遺族側の混乱を招いています。
 遺族側が証拠保全で取得した医療記録中に解剖報告書が存在したという別表1の[1]事件のように、法医学教室が医療機関側にのみ書面開示していた事例もあります。
 かような混乱について、ある法医学教室(別表2「F」)は「司法解剖の情報開示がシステム化されない限り、本当の解決にはならない」と回答しています。
 つまり、司法解剖を行う法医学教室も、捜査段階には司法解剖結果を開示しないことが、被害者救済、紛争解決、医療安全策実施の妨げとなっている現状を改善すべきとの認識であることが伺われます。

 [3] 小活-実例における具体的な弊害

 かように、現在、捜査段階において、長期にわたり、司法解剖結果が開示されないために、第1に被害者救済が妨げられ、第2に紛争が長期化し、第3に医療機関側にとっても再発防止策策定による医療安全策の遂行が妨げられているのです。
 とりわけ、医療関連死での業務上過失致死事件の遺族は、当該医療関連死が刑事手続捜査対象とされることによって、かえって、民事解決の被害者救済を妨げられているのであり、これは自家撞着といえます。
 例えば、別表1の[8]事件では、そもそも当該医療機関の法的責任の有無を検討する調査段階で事件の進行が中断しています。また[2][4][5]各事件では、医療過誤民事訴訟の審理が中断しています。
 これらはいずれも、司法解剖結果が、捜査段階において、しかも長期にわたり、遺族側にも医療機関側にも開示されないために生じる問題点なのです。 

4 提言

 そこで、本意見書では、以上述べてきたような、医療関連死での業務上過失致死事件における司法解剖結果の早期開示がなされない現状を改善すべく、第1に、刑事訴訟法47条を、「訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。但し、司法解剖結果の関係者への開示等公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合は、この限りでない」との文言に改正することを提言します。
 第2に、もし、上記改正が直ちに困難な場合は、司法解剖結果の開示は、刑事訴訟法47条但書の「公益上の必要その他の事由があって、相当と認められる場合」に該当することを、行政通知によって、指導すべきことを提言します。
 前掲平成12年2月4日付刑事局長通知「被害者等に対する不起訴記録の開示の取扱いについて」でも、医療関連死での業務上過失致死事件における司法解剖結果を開示することが、被害者等である遺族側が被害回復のため民事訴訟で損害賠償請求権を行使するために必要としています。しかも、司法解剖結果を関係者に開示したところで、捜査・公判には何ら支障を生じることもなく、プライバシー侵害の問題も生じず、さらに、司法解剖結果は極めて客観的証拠であり、代替性もなく、司法解剖結果なくして医療関連死の死亡原因を確定することも困難です。このような理由で、同通知の定立する弾力的な運用要件に合致するとして、司法解剖結果を、不起訴確定時には開示することを指導しているのです。このような事情は、捜査段階でも同様です。
 第3に、司法解剖結果が早期に作成されるよう、法医学教室における人員・設備等の整備をすすめるべきです。
 なお、行政解剖結果の開示についても、司法解剖同様、遺族側と医療機関側双方に対し、早期に開示されるべきこと、司法解剖結果に同じです。
以上

別表1:司法解剖報告書の遅れ、不開示による弊害ケースの紹介
別表2:法医学教室への医療関連死の司法解剖調査


      医療問題弁護団政策班

  鈴 木  利 廣 ,◎ 大 森  夏 織 

  宮 城    朗 ,  五十嵐  裕 美

  伊 藤  律 子 ,  髙 井  章 光

  中 島  ゆかり ,  木 下  正一郎

○ 中 川  素 充 ,○ 藤 田    裕


  * ○印は本意見書起案担当者
      ◎印は責任者

医療事故調査の在り方に関する意見書

【要 約】
医療事故発生時に医療事故調査を実施すること、及び、重大な事故事例である場合には医療事故調査委員会を設置して医療事故調査を実施することを,全国の医療機関に対し周知徹底することを求めた。


平成17年5月

医療問題弁護団
(事務局)
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西新小岩ハイツ506
福地・野田法律事務所内
電 話 03(5698)8544
FAX 03(5698)7512
掲載ホームページ:http://www.iryo-bengo.com/

目 次

はじめに ~ 「医療事故調査の在り方に関する意見書」の目的

第1 本意見書の要旨

第2 医療事故調査の目的
1 事故原因を究明して,医療事故の再発防止,発生予防を図ること
2 事故原因を究明して,医療事故被害者らの被害救済を図ること

第3 医療事故調査の法的位置づけ
1 医療法施行規則に基づく医療事故調査義務
2 医療事故調査委員会による調査義務
3 診療契約または信義則に基づく報告義務等の前提として必要な医療事故調査

第4 医療事故調査の実施
1 医療事故調査を実施すべき場合
2 小規模医療機関における医療事故調査の実施
3 医療事故発生直後の初動対応
(1) 初動対応の重要性・必要性
(2) 初動対応に関する医療機関の現行の取り扱い
4 内部通報者の取扱い

第5 医療事故調査委員会による調査・報告
1 医療事故調査委員会の設置
(1) 医療事故調査委員会を設置すべき場合
(2) 設置基準に関する医療機関の現行の取り扱い
(3) 医療事故調査委員会設置までの流れ
2 医療事故調査委員会の組織形態及び委員の構成
(1) 組織形態
 [1] 内部調査委員会のみを設置するもの
 [2] 外部調査委員会のみを設置するもの
 [3] 混合型調査委員会のみを設置するもの
 [4] 内部調査委員会及び外部評価委員会を設置するもの
(2) 委員の人選及び構成
 [1] 内部委員
 [2] 外部委員
 [3] 混合型調査委員会における委員の構成
(3) あるべき医療事故調査委員会の組織形態
3 事実調査の対象
 [1] 人
 [2] 記録
 [3] 物
4 事実調査における課題
(1) 事故原因の分析
(2) 再発防止策の提言
(3) 事故後の対応とその評価
5 医療事故調査委員会における調査過程の可視性・透明性の確保
6 委員への資料等の配布
7 議事録の作成
8 事務局体制の充実
9 医療事故調査報告書の作成と交付
(1) 医療事故調査報告書の作成
(2) 医療事故報告書の記載内容
(3) 医療事故調査報告書の医療事故被害者らへの交付
10 調査結果の公表

はじめに ~ 「医療事故調査の在り方に関する意見書」の目的

 これまで,医療事故調査は,各医療機関によってそれぞれ独自の考え方で行われてきた。そのため,医療事故調査報告書から読み取ることができる調査活動の内容は,実に様々である。
 本意見書は,これまで公開されている医療事故調査報告書を検討し,その上で,医療事故調査のあり方,医療事故調査委員会の設置・運営について一つの指針を提示した。本意見書を参考に公正かつ適切な医療事故調査が行われることによって,医療事故の原因を究明し,医療事故の被害者である患者及びその家族(以下,「医療事故被害者ら」という。)の被害の救済を図るとともに,医療事故の再発防止・発生予防を図ることを求めるものである。

第1 本意見書の要旨

 医療事故調査の目的は,事故原因を究明して,[1]医療事故の再発防止・発生予防,[2]医療事故被害者らの被害救済を図ることにある。
 医療法施行規則は,医療事故調査を実施すべきこと,及び,重大な事故事例の場合に医療事故調査委員会を設置して調査すべきことを義務づけていると解する。医療事故が発生した場合はすべて医療事故調査を実施すべきであり,重大な事故事例では医療事故調査委員会を設置して調査を実施すべきである。
 小規模医療機関において医療事故調査を実施することに困難が伴う場合には,地区中核医療機関・地区医療団体の協力を得る等の方法により医療事故調査を実施すべきである。
 医療事故が発生した場合,医療安全管理委員会等の責任の下,医療事故に関係した医療従事者に事実経過を記録させ,重要な証拠を保存する等の初動対応をとるべきである。
 内部通報者が現れた場合は,当該内部通報者に不利益処分を科さないようにする。
 医療事故調査委員会を設置する場合は,外部委員のみで構成される外部委員会,または,外部委員と内部委員とで構成される混合型委員会を組織しすることを原則とし,外部委員としては,患者側弁護士や事故調査の手法に知見を有する有識者を入れるべきである。
 医療事故調査では,人,記録,物のすべてが調査対象となり,医療事故被害者らからは初期の段階で意見を聴取する。
 事故原因の分析にあたっては,多角的に事故原因を検討することが必要である。また,回顧的視点から事故原因を分析することは,実効性のある再発防止策の策定には不可欠である。
 再発防止策策定にあたっては,当該医療機関におけるシステムとしてどのような再発防止対策がとれるかという視点が重要であり,現場に根付く対策を策定することが必要である。
 医療事故調査委員会の開催要項を事前に医療事故被害者らに伝える。医療事故被害者らが求めれば,原則として医療事故調査委員会の議事の傍聴を認めるべきであり,傍聴を認めない場合は速やかに議事録を医療事故被害者らに交付すべきである。
 委員への資料等の配布,議事録の作成その他の庶務を円滑に行うため,事務局体制の充実が必要である。
 医療事故調査報告書には,調査の経過・結果をすべて記載しなければならず,その記載は具体的で,第三者が理解できる内容でなければならない。医療事故報告書を作成すれば,同報告書を医療事故被害者らに交付し,事故原因等について説明する。
 最初の医療事故調査委員会招集から医療事故調査報告書の医療事故被害者らへの交付までは,3ヶ月程度を目標とすべきである。
 医療事故調査の結果は原則として公表すべきであり,公表にあたっては医療事故被害者らのプライバシーに配慮すべきである。

第2 医療事故調査の目的

1 事故原因を究明して,医療事故の再発防止,発生予防を図ること

 医療事故調査の目的が,医療事故の原因を究明し,その原因を踏まえて再発防止策を策定し,もって,医療事故の再発を防止することにあることは明らかである。
 これだけにとどまらず,医療事故調査は,他の医療機関における医療事故の発生予防をも目的とする。すなわち,ある医療機関において発生したものと同種の医療事故は,他の医療機関において他の患者に対しても起こりうる。したがって,医療事故発生の事実経過並びにその原因及び対策を,広く共有することによって,他の医療機関における医療事故の発生を予防することができ,ひいては日本の医療の安全を確保することとなるのである。
 かかる医療事故発生予防という目的を達成するためには,医療事故調査の結果が,医療事故報告書として公表されることが極めて重要である。

2 事故原因を究明して,医療事故被害者らの被害救済を図ること

 医療事故調査や医療事故調査報告書の公表の場面において,医療事故被害者らの感情に配慮すべきであることは言うまでもなく,公表されている医療事故調査報告書の中にも,このような配慮を示しているものも存在する。しかしながら,医療事故被害者らの感情の点については,それに配慮することで足るという性格のものではない。
 そもそも,医療事故とりわけ医療過誤が発生した場合に,医療事故被害者らの被害救済・被害回復を図るべきことは当然である。そして,医療事故に遭遇した時,医療事故被害者らが求めるものは,通常,真相究明,情報開示と説明責任,法的責任の明確化と反省謝罪,再発防止等であるところ,医療事故原因等を究明することは,医療事故被害者らの上記要望に応えることになり,ひいては医療事故被害者らの救済を図ることとなる。
 したがって,医療事故の原因等を究明することにより,これら医療事故被害者らの要望に応え,もって,被害救済を図ることは,医療事故調査の重要な目的の一つである。

第3 医療事故調査の法的位置づけ

1 医療法施行規則に基づく医療事故調査義務

 医療法施行規則11条4号は,病院又は患者を入院させるための施設を有する診療所の管理者は,「医療機関内における事故報告等の医療に係る安全の確保を目的とした改善のための方策を講ずること」としている。医療機関が,事故報告等の上記方策を講じるためには,まずは公正かつ適切な医療事故調査を行う必要がある。したがって,医療機関の管理者は,同規則11条4号によって,医療事故調査を義務づけられている。
 また,特定機能病院や国立高度専門医療センター等の事故等報告病院に対しては,同規則9条の23第1項2号,11条の2は,事故発生日から2週間以内に事故に関する報告書の作成を義務づけ,同規則12条は,事故発生日から原則として2週間以内に報告書を厚生労働大臣の登録を受けた分析事業機関に対して提出しなければならないとしている。この事故等報告書には「事故等事案に関して必要な情報」を記載することとされており(同規則9条の23第2項5号),医政局長平成16年9月21日付「医療法施行規則の一部を改正する省令の一部の施行について」によれば,「事故等事案に関して必要な情報」とは,発生要因,患者側の要因(心身状態),緊急に行った処置,事故原因,事故の検証状況,改善策とされている。かかる事項を事故等報告書に記載するためには,医療事故調査を実施することが不可欠である。したがって,医療法施行規則9条の23,11条の2,12条も医療事故調査が実施されることを当然の前提としている規定であるといえる。

2 医療事故調査委員会による調査義務

 医療事故調査の方法の一つとして,医療事故調査委員会による調査がある。
 医療法施行規則11条2号では,病院又は患者を入院させるための施設を有する診療所は「医療に係る安全管理のための委員会を開催すること」としている。医療に係る安全管理のための委員会(以下,「医療安全管理委員会」という。)について,平成14年8月30日医政発第0830001号各都道府県知事宛「医療法施行規則の一部を改正する省令の一部の施行について」では,「第2(2) 新省令第11条第2号に掲げる『医療に係る安全管理のための委員会』(以下「安全管理委員会」という。)とは,医療機関内の安全管理の体制の確保及び推進のために設けるものであり,次に掲げる基準を満たす必要があること。」「ウ 重大な問題が発生した場合は,速やかに発生の原因を分析し,改善策の立案及び実施並びに職員への周知を図ること。」としている。このことからすれば,医療安全管理委員会には,少なくとも重大な事故事例については,発生の原因を分析し,改善策の立案をする委員会,すなわち医療事故調査委員会が含まれることが予定されているといえる。

3 診療契約または信義則に基づく報告義務等の前提として必要な医療事故調査

 医師は,診療契約に基づいて,患者を診療・治療した場合,患者に対し,診断の結果,治療の方法,その結果などについて説明,報告すべき顛末報告義務を負っている(民法645条,受任者の報告義務)。
 また,裁判例では,患者が死亡した場合において,その死因が不明である等の場合で,遺族が患者の死因の解明を望んでいる時は,病院としては,遺族に対し,死因解明に必要な措置について提案をし,それら措置の実施を求めるかどうかを検討する機会を与える信義則上の義務を負う(東京地判平成9・2・25判例時報1627号118頁)としたものが存する。さらに,医師の付随的な義務として,患者が死亡するに至った経緯・原因について,診療を通じて知り得た事実に基づいて,遺族に対し適切な説明を行うことも,医師の遺族に対する法的な義務というべきであるとした裁判例も存する(広島地判平成4・12・21判例タイムズ814号202頁)。
 このような顛末報告義務,遺族への死因解明提案義務,死因等説明義務を医師及び医療機関が履行するためには,医療事故調査を行い事故発生に至る事実経過及び事故原因を明らかにすることは必須である。
 したがって,診療契約上または信義則上の顛末報告義務等を履行するためにも,医療事故調査は必要なものである。

第4 医療事故調査の実施

1 医療事故調査を実施すべき場合

 前記のとおり,医療事故調査の目的が,原因究明等の調査をすることによって,医療事故の再発防止・発生予防,及び,医療事故被害者らの被害救済を図ることにあることからすれば,医療事故が発生した場合はすべて,医療事故調査を実施しなければならない。

2 小規模医療機関における医療事故調査の実施

 小規模医療機関についても,診療契約または信義則に基づく報告義務等を履行するため,及び,医療事故の再発防止・発生予防のために,医療事故調査が必要であることに変わりはない。そして,小規模医療機関においては,人的・物的資源の制約から,医療事故調査,とりわけ医療事故調査委員会を開催してする調査には困難が伴う場合がある。したがって,このような場合には,地区中核医療機関・地区医療団体の協力を得る等の方法により医療事故調査を実施すべきである。
 地区中核医療機関・地区医療団体は,医療事故調査の実施または医療事故調査委員会の設置に困難を伴う小規模医療機関における安全管理を推し進めるため,そのような医療機関に協力して医療事故調査が実施できる体制を早急に整えるべきである。

3 医療事故発生直後の初動対応

(1) 初動対応の重要性・必要性

 原因究明のためには何よりも事実の調査が重要である。しかし,事実についての人間の記憶は,記憶した時点から時間の経過とともに薄れていくものであり,時間が経過した後に関係者から事情を聴取しても正確な事実を把握できない可能性が高くなる。特に,チーム医療が行われることが多い今日,診療経過を通じてすべての事実を把握している者が存在する場合の方が少なく,一人一人の医療従事者にその者が関与した事実を,発生した医療事故との関係で意味ある事実としていつまでも記憶しておくことを期待することはできない。ましてや,医療事故発生という混乱した状況の下では,事実を正しく記憶できていないおそれもあり,これが時間の経過とともに風化していけば,ますます事実の調査は困難を極める。
 また,事故発生直後の段階で,重要な証拠(医療器具や記録等)を保存する措置を講じなければ,それらが散逸し,その収集が困難となる。
 以上から,医療事故発生直後から,関係者が記憶する事実を記録にとどめさせ,重要な証拠を保存する等の初動対応をとることが必要である。
 そこで,事故発生直後から,医療安全管理委員会(医療法施行規則11条2号),「医療に係る安全管理を行う部門」(同規則9条の23第1項1号ロ。以下,「医療安全管理室」という。),「専任の医療に係る安全管理を行う者」(同規則9条の23第1項1号イ。以下,「医療安全管理者」という。)(以下,医療安全管理委員会,医療安全管理室及び医療安全管理者を総称して,「医療安全管理委員会等」という。)が,医療事故に関係した医療従事者に事実経過を記録させ,重要な証拠を保存する等の初動対応をとり,直ちに調査に着手すべきである。
 なお,後述する医療事故調査委員会が設置されることとなった場合には,医療安全管理委員会等は,その時点までに調査した結果を,保存した記録・証拠とともに医療事故調査委員会に引き継ぎ,同委員会における調査が円滑,公正かつ適切に実施されるようにしなければならない。

(2) 初動対応に関する医療機関の現行の取り扱い

 上記のような初動対応に関しては,平成12年9月の「リスクマネージメントマニュアル作成指針」(国立病院・療養所及び国立高度専門医療センターにおける医療事故発生時の対応方法について,国立病院等がマニュアルを作成する際の指針を示すために,厚生省リスクマネージメントスタンダードマニュアル作成委員会が策定したもの)において,「医療事故発生時の対応」として「事実経過の記録」について,「医師,看護婦等は,患者の状況,処置の方法,医療事故被害者らへの説明内容等を,診療録,看護記録等に詳細に記載する」こととされていた。しかし,これでは,医療事故発生という混乱した状況の下で,事実の記録を現場の医療従事者だけに委ねてしまうことになり,事故後の調査において精査されなければならない事実経過の掌握として不十分なものとなる可能性を内包していた。
 これに対し,平成15年3月の「国立病院・療養所における安全管理のための指針」(平成14年8月の医療法施行規則の一部改正等を踏まえ,平成15年3月に「リスクマネージメントマニュアル作成指針」が改訂されたもの。)では,医療安全管理室の所掌事務に「医療事故発生時の指示,指導等に関すること (1)診療録や看護記録等の記載,医療事故報告書の作成について,職場責任者に対する必要な指示,指導」を掲げ,医療安全管理者の主要な役割について,「医療安全管理者は医療安全管理室の業務のうち,以下の業務について主要な役割を担う」と述べた上で,主要な役割として「医療事故発生の報告又は連絡を受け,直ちに医療事故の状況把握に努めること」を挙げている。
 これは,医療事故発生時における初動対応の重要性を認識し,医療安全管理室及び医療安全管理者に初動対応を実施させる趣旨の指針と解される。
 なお,国立病院(現 独立行政法人国立病院機構の開設する病院),国立療養所及び国立高度専門医療センター以外の他の医療機関においても,医療事故発生時には医療安全管理室(医療安全管理室を設置していない医療機関においては医療安全管理委員会)及び医療安全管理者が,関係した医療従事者に事実経過を記録させ,重要な証拠を保存する等の初動対応をとるようにすべきである。しかし,この点に関し,医療機関の中には,医療事故対策マニュアル等において,医療事故発生時の対応として,医師・看護師等が事実経過の記録を行うべきとのみ定めているものも少なくない。したがって,各医療機関は,医療事故発生時には医療安全管理室(医療安全管理室を設置していない医療機関においては医療安全管理委員会)及び医療安全管理者が,関係した医療従事者に事実経過を記録させ,重要な証拠を保存する等の初動対応をとることとするよう,マニュアル等を改訂すべきである。

4 内部通報者の取扱い

 医療機関が事故の発生を認識する端緒が内部通報である場合,その内部通報者が誰かを追求することは原則として行わないこと,内部通報者が判明した場合でも,その者に不利益を課さないこととすべきであり,そのことを事故調査の原則のひとつとすることが,各医療機関内において明らかにされるべきである。これは言うまでもなく,すべての事故を,同種事故の再発防止・発生予防を図り医療安全の向上の教訓とするために,広く事故の情報を得られるようにするためである。
 なお,平成16年6月に成立した「公益通報者保護法」においては,労働者が不正目的ではなくして,個人の生命または身体の保護,消費者の利益の擁護等にかかる事実を公益通報することによって,降格・減給・その他不利益な取扱いをしてはならないことを定めている。

第5 医療事故調査委員会による調査・報告

1 医療事故調査委員会の設置

(1) 医療事故調査委員会を設置すべき場合

 前記のとおり,医療事故が発生したときには医療事故調査が行われなければならないが,重大な事故事例が発生した場合には,医療事故被害者らの被害救済の重要性が高まるとともに,原因究明及び再発防止・発生予防を求める社会一般の要請も強くなる。そのため,原因究明のための調査及び再発防止・発生予防策の策定がより公正かつ適切な手続きで行われる必要が生じる。したがって,重大な事故事例が発生した場合には,医療事故調査委員会を設置して医療事故調査を実施しなければならない。
 「重大な事故事例」の範囲については,医療事故事例の報告制度における報告範囲と同様に考えればよい。
 すなわち,医療法施行規則は,国立高度専門医療センター,特定機能病院等について,特に重大な事例の報告を義務づける制度に関する規定を置いている(医療法施行規則9条の23第1項2号,11条の2)。そして,事故事例報告を求める医療機関における事故等の範囲については,厚生労働省に設置された医療に係る事故事例情報の取り扱いに関する検討部会 事故報告範囲検討委員会が取りまとめた「報告範囲の考え方」(参考資料1)と具体例(参考資料2)が存在する。そこで,「報告範囲の考え方」(参考資料1)において事故として報告すべきとされている範囲と同様の範囲について,医療事故調査委員会を設置すべきである。ただし,「報告範囲の考え方」(参考資料1)記載の「C.濃厚な処置・治療を要した事例」については,一過性のものであるので,医療事故調査委員会の設置を判断するにあたっては,必ずしも「重大な事故事例」に含めなくともよいと考える。
 なお,参考資料1 注2記載のように,「管理(管理上の問題)」には,療養環境の問題の他に,医療行為を行わなかったことに起因するもの等も含まれることに留意すべきである。

(2) 設置基準に関する医療機関の現行の取り扱い

 現在,多くの医療機関では,医療事故調査委員会規程,医療事故防止対策マニュアル等で,「原因究明の必要があると認めた医療事故について」「必要がある場合」等に医療事故調査委員会を設置する旨の規定が置かれているにとどまる。しかし,重大な事例の場合に医療事故調査委員会を設置することとすべきであり,これを明示していない点で,上記のような規程は妥当でない。
 ただし,「重大な事例が発生した場合」に医療事故調査委員会を設置すべきと定めるだけでは不十分であり,医療事故調査委員会設置をできる限り明確な基準に基づいて判断できるものとし,もって,医療事故調査委員会を速やかに設置し早期に医療事故調査に着手できるようにするとともに,医療事故調査委員会設置の判断に恣意的判断が入らないようにすべきである。そこで,次のような規程案を,各医療機関の医療事故調査委員会規程,医療事故防止対策マニュアル等に明文化すべきである。

<規程案>
 病院長は,次に掲げる事例が発生した場合には,医療事故調査委員会を設置する。
 1 明らかに誤った医療行為又は管理に起因して,患者が死亡し,若しくは患者に障害が残った事例
 2 明らかに誤った医療行為又は管理は認められないが,医療行為又は管理上の問題に起因して,患者が死亡し,若しくは患者に障害が残った事例(医療行為又は管理上の問題に起因すると疑われるものを含み,当該事例の発生を予期しなかったものに限る。)
 3 1及び2に掲げるもののほかに,医療に係る事故の発生の予防及び再発の防止に資すると認める事例

(3) 医療事故調査委員会設置までの流れ

医療事故調査委員会設置までの流れを図示すると,次のとおりとなる。

  事故発生の認識
  (医療従事者による事故の認識
  ・患者からの苦情申立)

    直ちに

  医療安全管理委員会等への報告

    直ちに

  医療安全管理委員会等による
  初動対応・
  医療事故調査開始

    設置基準に該当する場合,速やかに

  医療事故調査委員会設置

2 医療事故調査委員会の組織形態及び委員の構成

(1) 組織形態

 医療事故調査委員会は,委員の構成によって内部調査委員会,外部調査委員会,混合型調査委員会に分類される。これらに外部評価委員会を加え,医療事故調査委員会の組織形態としては次のようなものが考えられる。

[1] 内部調査委員会のみを設置するもの

 内部調査委員会:事故が発生した医療機関の職員から委員として任命された者(以下,「内部委員」という。)のみで構成され,事故原因を調査する権限を有し,同調査の実施・医療事故防止策を策定する委員会

[2] 外部調査委員会のみを設置するもの

 外部調査委員会:事故が発生した医療機関の外部の者から委員として任命された者(以下,「外部委員」という。)のみで構成され,事故原因を調査する権限を有し,同調査の実施・医療事故防止策を策定する委員会

[3] 混合型調査委員会のみを設置するもの

 混合型調査委員会:内部委員及び外部委員が参加して構成され,事故原因を調査する権限を有し,同調査の実施・医療事故防止策を策定する委員会

[4] 内部調査委員会及び外部評価委員会を設置するもの

 外部評価委員会:事故が発生した医療機関の外部の者で構成され,内部調査委員会が調査した調査結果及びこれに基づき認定した事実並びに策定した医療事故防止策やその実施状況が適正か否かを事後評価する委員会

(2) 委員の人選及び構成

[1] 内部委員

a. 医療事故に関与した医療従事者及び当該診療科に所属する者(部門長を含む。)は委員に任命しない。

原因を究明して医療事故被害者らの被害救済を図ることが医療事故調査の目的であること,医療事故調査委員会が設置される重大な医療事故事例では原因究明及び再発防止・発生予防に社会も大きな関心を寄せていることからすれば,医療事故調査委員会における調査は,公正さ・透明性を保って行われなければならない。
 かかる公正さの観点,及び,医療事故に関与した医療従事者は調査の客体となることからすれば,当該医療従事者が医療事故調査委員会の委員に任命されるべきでないことは当然のことである。
 また,公正さの観点からは,医療事故に関与した診療科に所属する者(部門長を含む。)も委員として任命すべきではない。医療機関が作成した医療事故対策マニュアル等によれば,医療事故が発生した診療科責任者を医療事故調査委員会の委員とするものも存在するが,当該診療科の知識など専門性を要するという事情がある場合には,当該診療科に精通した外部委員を任命するようにすべきである(後述[2]a.)。

b. 医療機関の顧問弁護士を委員として任命する場合は,内部委員扱いとする。

[2] 外部委員

a. 発生した医療事故ないし起因する医療行為等の分野における医療の専門家を外部の者から任命する。

 適切に調査を実施するためには,発生した医療事故または起因する医療行為等の分野における医療の専門家の意見を聞くことは必要不可欠である。

b. 医療従事者ではない者を委員として任命する。患者側弁護士(通常患者側で代理人を務めたり,その他患者のための活動をする弁護士)や科学的な事故調査の手法についての知見を有する有識者を委員として任命することが重要である。

 医療従事者は医療の専門家であるが,必ずしも事実調査及び事実認定の専門家ではなく,医療に関する事故の調査であっても事実調査及び事実認定に長けた委員の存在が不可欠である。また,医療事故調査委員会における調査が医療事故の再発を防止するという目的でなされるものである以上,調査によって事故当時の状況を明らかにするだけでは足りず,事故の発生前から発生後にかけての経過,及び,発生した結果に照らし,いずれかの時点で事故が発生しない何らかの措置を執ることができなかったかという回顧的な視点での調査が必要となる。
 そこで,かかる視点から調査及び事実認定を行うことに長けている弁護士や事故調査の手法についての知見を有する有識者等が外部委員として加わるべきである。
 さらに,事実調査及び再発防止策策定にあたり,医療という専門性の枠内だけで考えるのではなく,医療事故が発生した場合に医療事故被害者となる患者側の意見をもくみ上げ,より適切な再発防止策を講じるためには,患者側弁護士を委員として任命することが重要である。

c. 公正さの観点,及び,当事者は調査の客体となるという理由から,事故に関与した医療従事者と同様,当該医療事故被害者らが委員として任命されるべきでないことは当然である。

d. 医療事故被害者らが委員として推薦した人物は,公正性の確保の観点から,委員の人選にあたって十分に尊重すべきである。

[3] 混合型調査委員会における委員の構成

 混合型委員会を設置する場合は,内部委員と外部委員の人数のバランスを図る。

(3) あるべき医療事故調査委員会の組織形態

 医療事故調査委員会を組織するにあたっては,公正さの確保と,事故調査に適切な人材による調査の実施という観点から,外部委員が加わる形態,すなわち,[2]外部調査委員会または[3]混合型調査委員会を設置する形態を原則とすべきである。そして,前記のとおり,[3]混合型調査委員会を設置する場合には,内部委員と外部委員の人数のバランスを図る必要がある。
 また,事故をきっかけとして,病院の運営体制や医療従事者の意識等,改めて病院全体の構造的な問題にまでさかのぼって検討を深めるべき場合には,病院のあり方そのものについて第三者の率直な意見を仰ぐという観点から,また,医療事故調査とは切り離してそのような検討に特化して対策を講じるという観点から,[4]外部評価委員会を設置するということも有意義であると考える。

3 事実調査の対象

 事故が起きた症例について,どのような事実経過を辿ったのかを詳細に確定することは,事故調査の基本であり,調査に実効性をもたせるための不可欠の前提である。事故調査は,どのような事実が積み重なって事故発生に至ったのかという事実を確定する作業からまず始まることになる。事故調査委員会のメンバーが,いったい何が起きたのかを再現的にイメージできる程度にまでなっていると,事故原因の分析においても再発防止策の提言においても,具体的で有意義な議論を行うことができる。
 事実調査の対象となるのは,[1]人,[2]記録,[3]物に分類される。

[1] 人

 その事故の発生に関与したすべての人は調査対象となる。医療チーム(医師・看護師・薬剤師・医療機器の管理者等),患者自身,患者の家族などである。カルテなどの医療記録に記載されている事実は,必ずしもすべてではなく,これらの人々から体験した事実を聴取して医療記録に記載されていない事実経過をも補充すべきである。
 患者自身あるいは患者の家族については,2つの面で調査対象とされるべきである。一つは,言うまでもなく各人が体験した事実について聞き取りをするという意味で事実調査の対象である。そしてもう一つは医療事故被害者らの被害感情と事故調査への要望を聴取する対象である。事故調査の目的の一つが,医療事故被害者らの真相究明等の要望に応えて,被害救済を図ることからするならば,各委員が医療事故被害者らの意見・要望を明確に認識することが必要であり,そのためにも医療事故被害者らからの意見の聴取は不可欠である。
 なお,医療事故被害者らの意見・要望に応えこれを調査に反映させるとともに,調査の公正さ・透明性を確保するためにも,医療事故被害者らからの聴取は,事故調査の初期の段階で行われるべきである。

[2] 記録

 カルテなどの医療記録,看護記録,各種検査結果,手術のビデオなどの画像資料,その他すべての当該患者の診療に関して作成された記録は調査の対象とされるべきである。また,意図的な改ざんはもとより,事故発生後に既存の記録に手を入れて改変することは,その目的いかんに関わらず,調査の公正さを担保するために行われるべきではない。事故後の経過を記録にとどめる場合には,診療録・看護記録などに事故後の記載であることがわかるように区別して記述するか, あるいは,事故報告書などの別文書とし,通常,作成される医療記録とは区別して行うべきである。
 前記第4,3「医療事故発生直後の初動対応」の項で述べたとおり,これらの記録の管理は,医療事故調査委員会設置前においても現場の医療従事者ではなく医療安全管理委員会等の責任の下で行われるべきであり,医療事故調査委員会設置後は同委員会の責任の下で管理されるべきである。
 なお,事後的調査によって容易に原因究明がなされるためには,再現性に資する資料(充実した診療記録,術中ビデオ等)が診療過程で作成されることが不可欠である。

[3] 物

 診療に用いられた各種医療機器・医療機材も,当然,調査対象に含まれる。これらは,そのままの状態で保全されなければならない。東京都立広尾病院事件のように誤投薬された際に用いられた注射器が廃棄されるなどの事態があれば,重要な証拠資料が失われて事実が不明になるばかりでなく,その主観的意図とは関係なく,医療機関としての事故調査に対する姿勢を疑われることとなる。また,とりわけ医療機器が関与する事故である場合,事故を起こした「物」そのものがまずは事故時の状態のままで保存されるべきである。
 さらに,事故原因の解明のための「物」に対する分析調査など,事故調査のために物に対して手を加える必要がある場合には,医療事故被害者らの同意を得つつ,かつ,物の性状を記録しつつ行われるべきである。
 なお,記録同様に,調査対象物の管理も,調査委員会設置前においては現場の医療従事者ではなく医療安全管理委員会等の責任の下で行われるべきであり,調査委員会設置後は委員会事務局の責任の下で管理されるべきである。

4 事実調査における課題

(1) 事故原因の分析

 事故調査においては,第一には事故がなぜ起きたのかという事故原因についての分析的・科学的な検討が行われなければならない。
 実際に施された個々の医療行為の誤りの有無という漫然かつ抽象的な吟味や,科学的な知見を前提とせず,それまでの医療慣行を基準として是非を論じるような検討の仕方は,事故原因の分析においても再発防止策の提言においても意味がない。
 具体的な事故原因分析の手法としては,アメリカの航空宇宙局(NASA)による事故分析と対策に用いられている4M4E分析法や,フロー分析,SHELL分析等などが知られている。これらの事故分析手法として評価のある手法を用いる等して,多角的に事故原因を検討することが必要である。
 また,分析に際しては,医療従事者のみで行うべきではなく,回顧的・後方視的な証拠に基づく事実認定の訓練を受けている法律実務家,科学的な事故調査の手法についての知見を有する有識者などの外部委員を医療事故調査委員会に入れ,学際的な議論を行うようにすべきである。とりわけ,法律実務家が有する事実認定の手法や法的発想は,事故発生の予見可能性や結果回避可能性の有無,あるいは,事故原因と生じた結果の因果関係を認定する上で重要であり,実効性のある再発防止策の策定の不可欠の前提となりうる。

(2) 再発防止策の提言

 事故原因の分析に基づき,同種の事故を繰り返さないための再発防止策の具体的な提言を行うことまでもが,事故調査委員会には望まれる。
 再発防止策を検討するにあたっては,どのような事故であっても,事故原因を特定の個人のミスの指摘や個人の努力のレベルの問題にとどまるとすべきではなく,当該医療機関におけるシステムとしてどのような再発防止対策がとれるかという視点が重要である。
 また,この再発防止策は,現場に根付くものであることが必要である。そのためには,事故発生の直接の原因だけでなく,背景事情までをも十分に理解・検討することが必要である。提案される再発防止策は,医療現場の実態に基づいた実施可能なものであるべきである。現場の実情を無視した実施困難な提言ばかりが増えると,提言無視の風潮を助長するだけであり,結局は,実効性ある再発防止策の実現に結びつかない。
 なお,再発防止等の実施状況の点検も重要である。

(3) 事故後の対応とその評価

 事故発生時までではなく,事故後にとられた対応についての検討も有用である。
 事故後の対応の中では,とりわけ医療事故被害者らに対する対応が問題となる。事故発生を認識したら,その法的責任いかんにかかわらず,医療機関としては,医療事故被害者らから求められなくても医療記録の写しを交付するなど,積極的に情報開示し,説明責任を尽くすべきである。
 これに対し,事実の隠蔽・証拠の隠滅廃棄など,不適切な事後対応については,同様の事態の再発防止・発生予防のために事故調査委員会において批判されるべきである。事故調査委員会において,事故後の対応の適否についての検討を積み重ねることによって,事故後の医療事故被害者らへの対応が成熟することが期待される。

5 医療事故調査委員会における調査過程の可視性・透明性の確保

 医療事故調査がどのように行われているかについて医療事故被害者らの知りたいという要望に応えるため,また,医療事故調査委員会における調査が公正さ・透明性を保って行われるようにするため,医療事故被害者らに対し,医療事故調査委員会での調査を知る機会を提供すべきである。
 そのためには,まず,医療事故調査委員会開催の日時・場所などの要項を事前に医療事故被害者らに伝えるべきである。
 また,医療事故被害者らが求めれば,原則として医療事故調査委員会の議事の傍聴を認めるべきである。仮に,委員に対する心理的影響を考慮して委員会の傍聴を認めない場合は,委員会開催後速やかに議事録を作成して,医療事故被害者らに開示し,その写しを交付すべきである。
 なお,医療事故被害者らが委員会の議事進行を録音したりビデオ撮影することについては,単に傍聴を認める場合と比較して委員の心理に与える影響が大であるので,一律に認めるべきか否か判断することは難しく,個々の場合に応じて適切に判断するほかない。

6 委員への資料等の配布

 医療事故調査委員会では,細かい事実経過に基づき,医療という専門性ある分野の議論がなされることになる。
 そのため,委員が十分な準備をして委員会の議論に臨むことができるように,可能な限り,資料・参考文献は事前に委員に配布すべきである。診療記録写しや医学文献等の参考文献につき,翻訳や補充説明が必要とされる場合には,必要に応じて,訳文や補充の説明書も用意しなければならない。

7 議事録の作成

 医療事故調査委員が開催された場合,必ず議事録を作成する。これによって,調査の過程ないし終了後に生じた疑問点を検証したり,調査終了後に同種事故が発生した場合の当該調査・防止策の適正さを再検討できるようにしなければならない。

8 事務局体制の充実

 前記のとおり,医療事故調査委員会の開催にあたり委員への資料の配布,議事録の作成その他の庶務が円滑に行われることによって,迅速かつ適切な医療事故調査・報告がなされるためには,事務局体制を充実することが必要不可欠である。多くの場合,医療安全管理室が事務局を務めることが考えられる。
 医療事故が発生した場合,医療安全管理室を含む医療安全管理委員会等が初動対応にあたり,医療事故調査委員会が設置されたときは医療安全管理室が事務局を務めることからすれば,医療法施行規則上の義務ではないが,一定規模以上の医療機関で医療安全管理室を常設することが望ましい。

9 医療事故調査報告書の作成と交付

(1) 医療事故調査報告書の作成

 医療事故被害者らの真相究明等の要望に応えるため,また,再発防止・発生予防策の周知のためには,医療事故調査の結果をまとめ,医療事故調査報告書を作成することは必須である。

(2) 医療事故報告書の記載内容

 医療事故調査報告書には,医療事故等の内容に関する情報,発生要因,患者側の要因(心身状態),緊急に行った処置,事故原因,事故の検証状況,改善策,医療事故調査委員会の構成,その他調査の経過・結果をすべて記載しなければならない。
 その記載にあたっては,同報告書に基づき実践すべき事項が明確になるよう,具体的な記載をこころがけるべきである。
 また,医療事故調査報告書は,報告者や当該医療機関関係者だけが内容を把握できればよいというものではない。医療事故被害者らや,広く第三者において十分に理解することができる内容でなければならない。したがって,平易な文章にて記載される必要があり,適宜,説明に必要な資料等を付けたり,議論の内容が分かるように対立意見を紹介することなどが必要となる。

(3) 医療事故調査報告書の医療事故被害者らへの交付

 医療事故調報告書作成後,調査結果を公表する前に,医療事故被害者らに対し,医療事故調査報告書の写しを交付して,事故原因などについて説明しなければならない。
 なお,医療事故調査報告書が医療事故被害者らへ交付されるまでの期間については,被害救済の目的に照らせば,早期に医療事故調査報告書が医療事故被害者らに交付されるべきであり,再発防止・発生予防という目的に照らしても,事故が風化する前に報告がなされるべきである。具体的には,最初の委員会招集から医療事故調査報告書の医療事故被害者らへの交付までを,3か月程度で進めることを原則とすべきである。

10 調査結果の公表

 公的医療機関等においては,医療事故の公表について独自に公表基準を定めていることが多い。医療事故のみならず,医療事故調査の結果等についても公表基準を事前に規定しておくことが望まれる。
 医療事故調査の目的は,医療事故が発生した医療機関における同種事故の再発を防止するとともに,他の医療機関における同種事故の発生を予防することにあるから,医療事故調査報告書は広く外部へ公表し,医療事故発生の事実経過並びにその原因及び対策が社会一般に共有すべきである。また,このように公表することによって,外部の批判に晒され,あるいは,外部の知恵を入れることで,より良い再発防止・発生予防策を構築することができ,日本の医療のさらなる安全確保につながっていくこととなるのである。
 公表にあたっては,医療事故被害者らのプライバシーに配慮すべきことは当然である。この点,平成16年12月24日厚生労働省「医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイドライン」では,「Ⅲ 医療・介護関係事業者の義務等 5.個人データの第三者提供(法第23条)(5)その他留意事項」として,「医療事故等に関する情報提供に当たっては,患者・利用者及び家族等の意思を踏まえ,報告において氏名等が必要とされる場合を除き匿名化を行う。また,医療事故発生直後にマスコミへの公表を行う場合等については,匿名化する場合であっても本人又は家族等の同意を得るよう努めるものとする。」との指針を示している。したがって,同指針に則り,医療事故調査報告書を公表するようにすべきである。

以 上

参考資料1「報告範囲の考え方」

参考資料2「事故報告範囲具体例」


医療問題弁護団政策班

 鈴 木  利 廣 , 大 森  夏 織 

 宮 城    朗 ,○五十嵐  裕 美

 伊 藤  律 子 ,○鄕 井  章 光

 中 島  ゆかり ,◎木 下  正一郎

 中 川  素 充 , 藤 田    裕

  * ○印は本意見書起案担当者
      ◎印は責任者

敗訴者負担制度導入に関する意見書

【要 約】
弁護士費用の敗訴者負担制度の導入は,患者側からの医療訴訟の提起を萎縮させること等から,不適切かつ不必要であるとの意見を具申した。 ※なお,その後,この弁護士費用の敗訴者負担制度の法制化は,多くの市民団体,弁護士会等による反対運動の結果,廃案となっている。


意 見 書

2003年8月27日

司法制度改革推進本部 御中

代表  鈴  木  利  廣
〒124-0025
東京都葛飾区西新小岩1-7-9西新小岩ハイツ506
電話 03-5698-8544 FAX 03-5698-7512
医療問題弁護団事務局

意見の趣旨

医療過誤訴訟に、弁護士報酬敗訴者負担制度を導入すべきでない。

意見の理由

1、医療問題弁護団とは

  医療問題弁護団は、患者側で医療過誤訴訟を扱う、東京を中心とする約200名の弁護士のグループです。年間に約300件の医療過誤事件の相談を受けており、これまでに多くの医療過誤訴訟を手がけているほか、医療過誤訴訟をめぐる司法問題や医療の安全および患者の権利の確立のための提言等の活動を行っています。
  医療問題弁護団では、2000(平成12)年8月4日、司法制度改革審議会に本書と同趣旨の意見書を提出していますが、今般の司法制度改革推進本部のパブリックコメント募集に際し、再度、医療過誤訴訟への弁護士報酬敗訴者負担制度の導入に強く反対の意見を述べるものです。

2、司法制度改革審議会の意見

  2001(平成13)年6月12日の司法制度改革審議会の意見書では、総論部分で、「21世紀の我が国社会にあっては、司法の役割の重要性が飛躍的に増大する。国民が、容易に自らの権利・利益を確保・実現できるよう、そして、事前規制の廃止・緩和等に伴って、弱い立場の人が不当な不利益を受けることのないよう、国民の間で起きる様々な紛争が公正かつ透明な法的ルールの下で適正かつ迅速に解決される仕組みが整備されなければならない」とした上、「21世紀の司法制度の姿」として「国民にとって、より利用しやすく、分かり易く、頼りがいのある司法とするため、国民の司法へのアクセスを拡充する」と明記しました。そして、各論部分中の「民事司法制度の改革」の項に、「7、裁判所へのアクセスの拡充」を置き、その中の(1)のイで、「弁護士報酬の敗訴者負担の取扱い」を論じています。そこでは、勝訴しても弁護士費用を相手方から回収できないために訴訟を回避せざるを得なかった当事者にも訴訟を利用しやすくするという見地から敗訴者負担制度の導入を提言し、その際、合わせて敗訴者負担制度が当事者の裁判へのアクセスを不当に萎縮させる場合も当然あることから、この制度をすべての訴訟に一律に導入することのないよう指摘をしています。
  すなわち、あくまでも、弁護士報酬の敗訴者負担は、「裁判所へのアクセスの拡充」の観点から論じられなければなりません。各訴訟類型ごとに、敗訴者負担制度が当事者の裁判へのアクセスを萎縮させることになるのか、アクセスを拡充することになるのかを慎重に検討し、アクセスを拡充することになる例外的場合にのみ、導入を是とすべきものと理解すべきです。

3、敗訴者負担制度の導入の根拠

  この趣旨からするならば、敗訴者負担制度の導入の是非を判断するには、訴訟利用の促進につながるのか、逆に裁判に対する萎縮効果がより大きいのかを、まず、判断の基準とすべきであることになります。
  この点、敗訴者負担制度が導入された場合、医療過誤の被害者が萎縮し、提訴を抑圧されることは明らかです。私たちは、これまでに提訴にあたって当事者から「裁判に負けたら、相手方の弁護士費用まで払わなくてはならないのでしょうか?」と不安げに質問された多くの経験を持っています。被告である医師・医療機関側の答弁書に「訴訟費用は相手方の負担とする」との答弁が記載されているのを読んで、負けたならば相手方の弁護士費用を支払わなければならないのかと驚いて電話をしてくる依頼者もまれではありません。
  また、昨年、患者側弁護士の全国的組織である医療事故情報センター(※)が、敗訴者負担制度についてのアンケートを医療過誤被害者を中心とする諸団体に対して実施したところ、回答者の80%以上もの人が、敗訴者負担制度が導入された場合、医療事故の被害者が訴訟を提起することが現在よりも困難になると述べています。
※平成14年12月25日付医療事故情報センターの司法制度改革推進本部あて意見書
http://www3.ocn.ne.jp/~mmic/
  他方、敗訴者負担制度賛成論の立場からは「一般的に勝訴しても弁護士費用が相手方から回収できないことを理由に提訴を断念している場合がある」という論拠が主張されていますが、これは医療過誤訴訟にはまったく当てはまりません。医療過誤訴訟は、後述のように勝訴の可能性自体が一般的に低く、かつ、立証も難しい訴訟です。それでも医療過誤被害者が提訴に踏み切る動機は、経済的な賠償を得ようという点だけにあるのではありません。医療過誤被害者に、提訴を決断させる動機は、金銭賠償のみならず、真実を知りたいという気持ちや医師・医療機関からの謝罪を求める気持ち、医療改善への希望などです。人身賠償事件においては、ビジネスベースでの単なる損得計算のみでの提訴への動機付けは基本的にありえないのです。弁護士費用を相手方から回収できないという点は、医療過誤被害者にとっては、司法へのアクセスの障害にはほとんどなっていないと言えます。
  従って、医療過誤被害者にとっては、敗訴者負担制度は、もっぱら提訴を萎縮させる効果のみをもたらすもので、司法へのアクセスの拡充に資するものではありません。

4、公平の原則の議論

  今般の敗訴者負担制度の議論の中で、この制度に賛成する論拠のひとつに公平の原則に基づき、応訴を余儀なくされる被告側の保護を指摘する意見があります。
  医療過誤訴訟においては、公平の原則からしても、敗訴者負担制度を導入すべきではありません。
  その理由は、第1には、医療過誤訴訟は、原告となる患者側にとって基本的に勝訴の見込みが低い事件類型だということです。地方裁判所の1審判決の統計で見ると、通常訴訟の認容率が84.9%であるのに対し、医療過誤訴訟の認容率は38.6%です(平成14年度。最高裁HP)。
  医療過誤訴訟では、従前より、患者にとって診療行為が密室で行われる(密室性の壁)、医学という被告の専門領域で戦わざるを得ない(専門性の壁)、医療界に相互批判を許さない体質がある(封建制の壁)という3つの壁があると言われています。にもかかわらず、患者側が医師・医療機関の過失を立証しなければ勝てないのが医療過誤であり、しかもその立証のハードルは決して低くはないのが現実です。患者側は、もともとこうした立証面でのハンデを背負っているのです。
  第2には、資金面での不公平さです。医療過誤訴訟では、患者側は弁護士費用以外にも多くの実費がかかります。最重要証拠であるカルテひとつ入手するにも、証拠保全という費用も時間も労力もかかる方法をとらざるをえませんし、少なからぬ医学文献のコピー代、協力してくれる医師への謝礼、訴訟ともなれば高額な印紙代、鑑定費用と、事案によっては弁護士費用を超えるような高額な実費がかかることがあります。資金の余裕のない人については、扶助制度を利用しますが、これで実費がすべてまかなえない場合も少なくありません。これらは、患者側にとって、すべて自己負担を余儀なくされる費用です。
  これに対し、医師・医療機関側は、通常、何らかの医師賠償責任保険に加入しており、自己の弁護士費用は保険でまかなわれるのが通常です。ですから、自腹を切っての経済的負担はありません。さらに、万が一、根拠のない提訴であれば不当訴訟が不法行為となることが認められており、医療過誤においては、その枠組みで被告側が救済されれば足りると言えます。
  逆に、それでは、患者側が勝訴した場合は、相手方から弁護士費用をとれなくては損害の補填が目減りするのではないかとの意見があるかもしれませんが、不法行為である医療過誤においては、原告である患者側が勝訴した場合、自らの弁護士費用は認容額の一割程度は損害として認められます。すなわち、実際には、片面的敗訴者負担制度とほぼ同じ運用がなされており、実質的な公平が保たれているのです。現状の弁護士費用負担の問題を損害論で解消する方法で、何ら問題なく運用がされているにもかかわらず、あえて敗訴者負担制度の導入をする積極的な理由は何ひとつありません。

5、司法的救済の必要性

  現状で医療過誤の被害者が救済を求める手段は、ほとんど司法的解決による方法しかありません。それ以外には、医師むけの医師賠償責任保険がありますが、交通事故などとは異なり、財源の脆弱さや医師・医療機関の過失の認定の困難さもあって任意に保険金が支払われることは少ないとされています。
  日本における医療過誤被害については、その実態が調査されておらず、被害者数も不明です。しかし、アメリカにおける医療過誤の統計を参考に人口比で算出するならば、死亡事案だけとってみても約3万人の人が日本で毎年、医療過誤で死亡していることになります(前出の医療事故情報センター意見書参照)。これに対し、医療過誤訴訟の新受件数は、平成5年が442件だったのに対し、平成14年は896件とこの10年間だけでも倍増していますが、それでもこれらは、ごくごく氷山の一角であるといわざるを得ません。
  最高裁判所は、司法改革の中で、医事関係訴訟委員会を設置し、またいくつかの地方裁判所に医療過誤集中部を設置し、弁護士会・医療機関との協議を行うなど、医療過誤訴訟の審理方法などについて工夫をはじめ、ようやく医療過誤訴訟は迅速かつ適切な司法的解決の実現に向けてスタートしたところです。今ここで敗訴者負担制度を導入することは、ようやく門戸を広げてきた医療過誤被害者の司法的救済への扉を再び閉ざすこととなるでしょう。

6、結語
  医療事故は「『専門知識も金もなく、弁護士とは無縁の患者』と『専門知識はもちろんのこと、重要な証拠となるカルテを握り、顧問弁護士や他の医師から支援を受けられ、資金も潤沢な医師・病院』との極めて不平等な闘い」(※)だと指摘する医療事故被害者がいます。

※医療事故対処マニュアルP.70(現代人文社)
  医療過誤訴訟は、つねに、優位な立場に立つ医師・医療機関と、弱い立場にある患者との対決です。医療過誤訴訟に敗訴者負担制度が導入されれば、医療事故被害者にとって、救済へのハードルがまた一段と高くなることになります。
  以上のような医療過誤訴訟の実態をふまえ、医療過誤被害者の司法的救済への道を狭めることのないよう敗訴者負担制度の導入を回避していただきたいと考えます。
                                   以上